第87話 製造委託のちルサルサ河
「ご無沙汰しています、ダフィドさん」
「お久しぶりです、ダフィドおじ様」
「おぅ。イサム殿もアンネちゃんも元気そうだな。つってもこの間カレンベルク領からの帰りに寄ってもらってるから、一ヶ月も空いてないがな」
勇とアンネマリーの挨拶に、当主のダフィド・ヤンセン子爵が笑いながら答える。
ダフィドの言った通り、カレンベルク伯爵領からの帰りにも立ち寄っており、勇の
その際に勇は、ダフィドを名前呼びすることを認められていた。
ちなみに、セルファースと仲の良いダフィドは、アンネマリーが生まれた時から親交があるため、”おじ様”、”アンネちゃん”と呼び合う間柄だ。
「んな~う」
「よぉ、オリヒメも元気そうだな。今日はちゃんとあらかじめ鳥の肉を用意してあるからな? 好きなだけ食ってけよ」
前回の訪問時に、織姫は鳥の肉が好物と聞いたダフィドは、急遽用意させ手ずから織姫に食べさせていた。
それを覚えていたのか、織姫は随分とダフィドに懐いている。今も差し出された手の甲に、すりすりと額を擦り付けていた。
「いらっしゃいイサム殿、アンネちゃん」
そう言って、美しいブロンドの長髪と、すらりとしたスタイルが印象的な女性が勇達に挨拶をする。ダフィドの妻、ネビュラ・ヤンセンだ。
ネビュラ夫人は、この世界の貴族としては珍しい姉さん女房だという。
「ご無沙汰しております、ネビュラおば様」
「おじゃましています、ネビュラさん」
こちらもすでに面識があるため、挨拶は軽めのものだ。
「ふふ、オリヒメちゃんもようこそ。今日は私がご飯をあげるわね」
そう言ってネビュラが、織姫に指を差し出す。
「な~~」
何度かスンスンと匂いを嗅ぎ、指先をペロリとひと舐めする織姫に、ネビュラが目を細める。
前回の訪問時、ネビュラにはまだ遠慮があったのだが、嬉しそうにご飯をあげていたダフィドが羨ましくなり、次に織姫がやって来た時には自分があげるのだと息巻いていたらしい。
割と早めに念願がかなって良かったよ、と後でこっそりダフィドが教えてくれた。
「さて、今日はイノチェンティ閣下んとこへ行く途中に立ち寄ってくれたんだよな。仕事の話だとは聞いてるが?」
ひとしきり挨拶を終えると、ダフィドが話を切り出す。
「はい。先日の魔物襲撃の一件で、クラウフェルト子爵領では、恥ずかしながら織姫を街を救った英雄としてお祀りする事になりました。住民の方にも気軽にお祀りしてもらおうと、小型のご神体の生産も始まっています」
勇が説明しながら、アンネマリーへと視線を送る。
小さく頷いたアンネマリーは、脇に置いてあった鞄から等身大サイズをひとつと、マスコットサイズを全五種類取り出してテーブルへ並べた。
「うぉ、すげぇな!!」
「まぁっ!!」
それを見たヤンセン子爵夫妻が揃えて声を上げる。
「この実物大のご神体は、単体でお祀りする事を想定していますが、この小さいサイズについては、いくつか並べて陳れ……お祀りしてはどうかと考えております」
アンネマリーが説明を引き継ぐ。
「その際に……」
そこで一度言葉を止め、再び鞄の中から試作品の家庭用神殿をテーブルへと取り出すと、そこへマスコットサイズのご神体を並べていく。
「こうやって、綺麗に並べられるように、家庭用の小型神殿を一緒に販ば……頒布しようと思うのです」
「そう来るかよ!」
「これはっ……!! 確かに並べたくなるわね」
さらに驚きの声を上げる子爵夫妻だったが、その後しばし固まる。
「…………アンネちゃん、可愛い顔してえげつねぇこと考えるな」
ようやく、苦笑しながらしみじみと言うダフィド。
「ふふふ、さすがはニコの娘ね……。 こりゃあイサムさんも大変だわ」
ネビュラは、苦笑しながらも納得している。ちなみに言葉の後半は、ダフィドの耳にしか届いておらず、それを聞いたダフィドが噴き出していた。
ちなみに勇も初めて家庭用神殿の試作品を見たのだが、それはただの神棚もどきではなかった。
いや、正確にはベースである神棚もどきに、色々なオプションが付いていたのだ。
テーブル、円形の絨毯、布が敷かれた籐の籠、丸いスツール、可動式の扉が付いた仕切り、いずれも飾り付けつつ、各ポージングに合わせた絶妙なチョイスとなっている。
もはやドールハウスであり、シル〇ニアファミリーのようだな、と心の中で評していた。
「それで、こちらの家庭用神殿および調度品の生産を、そちらにお願い出来ないか、と言うのがご相談の趣旨となります。ヤンセン子爵領では、古くから木工を生業とされている工房も多く、質の高いものを作っていただけるものと期待しております」
再び勇が話を引き取り、ヤンセン子爵夫妻へ提案内容を伝える。
「なるほどなぁ……。これ、ずっと作り続けるのか?」
腕組みをしながらダフィドが聞き返す。
「はい。毎年ご神体のポー……御姿を変えたものと、それに合わせた調度品を追加していく予定です」
淀みなく答えるアンネマリー。まぁそうだろうなぁと勇が内心苦笑する。
おそらく、遠くない将来期間限定版や地域限定版などが出る事は、想像に難くないだろう。
「ひゅ~~、やるねぇ。一時的なもんだったら断ってたけど、続くってんなら話は別だ。条件面は別途詰めるんだろ?」
軽くおどけてみせながら質問するダフィド。
「はい。本日は、条件面が折り合えば製造委託するという御意思をお聞きできれば十分です。近日中に母がお伺いすると思いますので、条件面はそちらでお話しください」
「了解だ。俺は受けるべきだと思うが、ネビィはどう思う?」
ダフィドが承諾の意を見せながら妻へと確認をする。
「基本的には異存はありません。一つ聞かせて欲しいのは、私達で新しい意匠の神殿や調度品を作っても大丈夫? もちろん合意を得た上でマージンは支払うわ。単に言われたものを作るだけより、新しいモノも作れた方が、職人は喜ぶのよね」
ネビュラはそう言いながらアンネマリーを見やる。
「はい。そちらも問題ございません。意匠の確認さえ出来れば。あと、教会での頒布のみの取り扱いになるので、流通方法等はご相談となりますが……」
アンネマリーの回答は明確だ。
「わかったわ。であれば私も異存ないわね」
回答を聞いたネビュラが頷きながら答える。
こうして、家庭用神殿の製造委託について無事基本合意に至るのだった。
その日の晩餐では、宣言通りネビュラが織姫に手ずから食事を与えていたのだが、その後に
「オリヒメちゃんのサイズに合わせて、私の人形を作らせようかしら……?」
とボソリと呟いた事で、また新たな可能性が芽生えるのだった。
流石に人を教会で頒布するわけにはいかないので、別名目・別ルートでの展開にはなるだろうが、多分これも流行るんだろうなぁと、人形の話で盛り上がる女性陣を眺めながら、この日何度目か分からない苦笑を心の中で漏らす勇だった。
家庭用神殿の交渉を終えた一行は、翌朝いよいよ河下りの出発点である船着き場へ向けて出発した。
ヤンセン子爵領の領都ヤンセイルは小高い所にあるため、船着き場である河川敷へ向けてゆっくりと下っていく。
大半が森の中を通る道なので、運良くまたメタルリーチに出くわさないかと密かに期待していたのだが、そうそう美味い話など無く、船着き場へと辿り着いた。
今回、ヤンセン子爵の口利きで、子爵家が出資している船便の商会に専用船を仕立ててもらっているため、数騎の騎士を伴って子爵自らも同道している。
「おおお、こんな大きな河が流れていたんですね……! 確かにこれなら船で下れますね」
道を下っている途中から見えてはいたが、あらためて目の前にしてみると、大河と呼ぶに相応しいスケールの河だった。
クラウフェルト領もヤンセン領も、雰囲気としては中山間地域っぽいので、勝手に河川の規模も小さいと思っていたのだが、さすがは大陸国家。川幅は数百メートルはありそうだ。
そんな大河の船着き場は、いくつも延びた桟橋には大小さまざまな船が係留され、船宿や宿泊施設、飲食店などが立ち並んでいた。
それは船着き場と言うより、もはやちょっとした港町のようになっていた。
「壮観ですね。もっとこぢんまりした所だと思ってましたよ……」
「まぁな。ルサルサ河は、大陸でも一、二を争う大河だからな。伊達に水の女神ルサルサ様の名前はついてねぇよ」
驚いている勇に、ダフィドが笑いながら声を掛ける。
時間があれば一日かけて色々見て回りたかったが、あいにく船をチャーターしているのでそうはいかない。
勇は、後ろ髪を引かれつつ、ダフィドの案内で手配してもらった船へと向かった。
「凄い……。立派な船ですね!!」
今日何度目の驚きだろうか。
勇の目の前には立派なマストを備えた大きな双胴船、いわゆるカタマラン船が係留されていた。
外洋に出るわけではなく水深の浅い川を走る船なので、喫水が浅く安定感があり、甲板や船室を広くとれる双胴船は都合が良いのだとか。
全幅は10メートル弱、全長は25メートルほどもあるだろうか。外洋には出ないとの事だが、充分長距離航海が出来そうなサイズだ。
今回は、軽自動車くらいの大きさがある馬車を3台と馬も乗せるため、このサイズが必要だという。
「イサム、アンネ、こっちだ!」
物珍し気に船を見ていると、先に行ってしまったダフィドから声が掛かった。
慌てて追いかけていくと、ダフィドの隣に初老の男性が立っていた。
日に焼けた身体は、年齢を感じさせない引き締まったものだ。
「こいつがこの船の船長レベッキオだ。年はいってるが腕は一流だ」
「年がいってるは余計だっ! ったくガキのまんまだなお前さんは……」
軽口を叩くダフィドに、レベッキオ船長がげんこつでも食らわせそうな勢いで叫ぶ。
「あぁ、申し訳ねぇ。この船を預かっているレベッキオだ。迷い人様に子爵の娘さんを乗せられるとは、ありがてぇ話だ」
そう言ってレベッキオは、ニカッと笑ってからぺこりと頭を下げる。
「初めましてレベッキオさん。迷い人でオリヒメ商会会長のイサム・マツモトです。イサムと呼んでください」
「隣領クラウフェルト子爵家の長女、アンネマリー・クラウフェルトです。私の事もアンネマリーと呼んでください」
勇とアンネマリーも続けて挨拶し、握手を交わす。
「イサム様にアンネマリー様だな。しばらくの間だが、船旅を楽しんでくれ。と言っても、夜は途中の川港の船宿か宿屋で寝ることになるがな」
かっかっか、と笑いながらレベッキオが説明してくれる。
何もない海上を行くわけではないし、行き来する船の数も多いルサルサ河の移動は、暗くなる前に随所に設けられた川港へ寄港して一泊するのが一般的らしい。
川を下るので速度も出るため、わざわざ危険な夜に走らなくても、十分許容できる早さで到着するのだと言う。
「へぇ、そういう事なんですね。それだと毎晩お酒も飲めていいですね」
「かっかっか! 違いない! なんだイサム様もいける口なのかい?」
「あはは、そんなに強くはないですけど、飲むのは好きですね」
「そりゃ良かった。場所によっちゃ珍しい酒もあるからな。まぁ楽しんでってくれ」
上機嫌のレベッキオと話をしていると、船の方から声が掛かる。
「船長~~っ!! 積み込み終わりやした~~~っっ!!!」
「おう! ご苦労さん! つうわけで、早速出港するんで、二人も乗ってくれい」
「分かりました。ダフィドさん、色々とありがとうございました! また帰りに寄れたら顔を出します!」
「おう、気を付けて行ってこい!」
ダフィドに別れの挨拶をして船に乗り込むと、見晴らしの良い二階の甲板に出てその船首側へと立つ。
「もやい解け! 出港するぞっ!!」
一段高い所に設けられたブリッジから、レベッキオの声が飛んだ。カンカンと鐘が鳴らされ、もやいが解かれる。
ゆっくりと桟橋から船が離れると、流れに乗りながら川の中央へ向けて進んでいく。
こうして勇たちは、女神が住まうと言われるルサルサ河へと繰り出していくのだった。
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