第80話 マレイン・ビッセリンク伯爵

 思わぬ流れで、再びの遠征が決まったチームマツモトだったが、その前に勇が優先させるべき訪問先があった。

 クラウフェルト子爵家の寄親である、ビッセリンク伯爵家だ。


 勇がこちらへやって来た時、当主であるマレイン・ビッセリンク伯爵も迷い人の門にいたため、庇護した後も直接の面会はせず、書面での報告と子爵家当主のセルファースが一度報告に訪問しただけだ。

 寄親/寄子の関係は、一応の上下関係はあるものの主従関係ではない。特に寄子も領地を得ている場合は、その傾向が顕著なので、特段礼を失しているわけではない。


 また、ビッセリンク伯爵本人から、急ぎ面会する必要はない旨を直接聞いているため、これまで面会していなかった。


 しかし、勇は商会長となって新たな魔法具を売り出す事で、ついに表舞台に立つ事になる。

 後ろ盾を得るためにも、あらためてご挨拶をして誼を通じておいた方が良いだろうと、このタイミングで訪問する事となった。


「ビッセリンク伯爵とは、どのような方なのでしょうか?」

 ビッセリンク伯爵領の領都、ビッセリーヘンへ向かう馬車の中で、勇がセルファースへ尋ねる。

 カレンベルク伯爵領から戻ってから、お互い日々忙しくしていたため、聞く事が出来ないまま訪問当日を迎えてしまっていた。


「そうだね……、王国中央部の盟主で、冷静かつ柔軟な方かな。口数が多くない方だから冷たく見られがちだけれど、とても愛妻家で優しい方だよ」

 ビッセリンク伯爵家は古くから王国中央部に領地を持つ名門伯爵家だ。

 建国当初からある家で、森と山しかなかった当時の王国北中部を切り開いて道と街を作り、褒美として切り開いた土地を任されたのだという。


 元々豊富な山林を活用した林業で発展した領地だが、ここ200年は伐採してできた土地を利用した家畜の放牧が盛んで、酪農と毛織物の一大産地となっている。

 織姫のご神体を作ったミミリアも、このビッセリンク領出身だ。


「そうなんですね。私の能力スキルの事は、どこまで話して良いものなんでしょうか?」

 勇の最も気にするところである。

「マレイン閣下には、全てお話しした上で協力をお願いしたほうが良いと思うよ。これから先、上位貴族の後ろ盾は必ず必要になってくる。しかしどんな貴族でも良いという訳ではない。その点マレイン閣下であれば、我々寄子から搾取するようなことは無いと断言できるからね」

「……分かりました。では、お話しする方向で心づもりしておきます」

 こちらに来てから、初めて本当の能力スキルについて打ち明けることになる。緊張した面持ちで勇は答えるのだった。


 クラウフェンダムを出て二日目の午後、ビッセリンク伯爵領へと入った。

 しばらく進むと、森を伐採したと思われる日当たりの良い緩やかな斜面を使った、広大な放牧地が目に飛び込んできた。

 かつて北海道で見た放牧地に似ているが、高さのある頑丈そうな柵で囲まれているのが印象的だった。

「あの柵は、やはり魔物対策ですか?」

 気になった勇がセルファースへ質問する。


「そうだね。きちんと森を切り開き、兵による巡回もしているけれど、やっぱり魔物は出るからね。簡単には破られないように、強化の魔法具も使っているらしいよ」

「へぇ、魔法具まで。やっぱり一筋縄では行かないんですね」

 日本でもイノシシやサル、シカなどによる農業被害が問題になっていたが、魔物が相手となるとさらに被害は深刻なのだろう。


 そう思って放牧地を眺めていると、ひときわ日当たりの良いエリアに背の低い木が植えられているのに気付いた。


「ん? あの葉っぱの形は……ブドウか? それになんか、あの辺一帯地面が白いのか?」

 目を凝らして見てみると、手の平のような形をした葉が茂り、収穫作業をしているらしい人の姿が見える。

「ああ、あれはレザーンの木だね。ワインの元になる果物だよ。ビッセリンク伯爵領の、隠れた名産品なんだよ」

 興味深そうに見ているとセルファースがそう教えてくれた。

 ワインの元になる果物であれば、十中八九ブドウに似た植物だろう。


「そうなると、あの白い所は石灰岩とかなのかな? なんか石灰質の土だか石だかがあるところでは美味しいワインが出来るとか聞いたことがあるし」

 うろ覚えな知識でぼんやりそんな事を考えている間にも、馬車は進んでいく。

 そして沈みゆく夕日が、盆地状の景色を綺麗に染め上げる頃、ビッセリンク伯爵領の領都、ビッセリーヘンへと到着した。

 もともと林業が盛んなだけあって、建物は木をふんだんに使いつつ、漆喰のような白い塗り壁の建物が多い綺麗な街並みだった。



 翌日の午後、セルファースは勇を伴って伯爵の館を訪ねていた。

 到着予定は元々伝えてあったため、執事長にスムーズに応接室へと案内される。


 しばし待っていると、コツコツコツとドアがノックされる。

「失礼いたします。主人をお連れいたしました」

 先程の執事長が、ドアの向こうで伯爵の来訪を告げる。

「どうぞ、お入りください」

 セルファースの返答を待ってからドアが開き、執事長と共に一人の男性が入ってきた。


 ややウェーブがかったダークブロンドの髪を丁寧に撫でつけた、鋭い目つきの中老の男性がマレイン・ビッセリンク伯爵その人だろう。

 細かな刺繡が施された、豪華だが派手ではない濃紺のウェストコートとジュストコールが、上品な貫録を醸し出している。


「よく来たな、セルファース。バラデイルの小倅のせいで厄介事に巻き込まれたそうだが、息災で何よりだ」

 よく通る低い声で、マレインが話しかけた。

「はっ、ご無沙汰しておりますマレイン閣下。閣下の薫陶を賜ってこそのものと、感謝しております」

 サッと黙礼した後、セルファースがそう答える。


「フッ、相変わらずよく回る口だな。して、今日は迷い人マツモト殿をあらためて紹介してもらえるとの話だったか?」

 マレインは軽く笑って着席を促すと、自身もソファに腰掛け本題を切り出す。


「はい。この度マツモト殿は自身の商会を立ち上げ、閣下にもご購入いただいた新しい魔法具の販売に乗り出しました。これまでは水面下でなるべく目立たぬよう振舞ってまいりましたが、いよいよ表舞台へ立つこととなります。これを機に、是非とも閣下に後ろ盾をいただけないかと、厚かましくもお願いに参った次第です」

「ビッセリンクさん、初めまして。迷い人のイサム・マツモトです。セルファースさん達のご厚意で、クラウフェルト家に厄介になっています。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません」

 セルファースの目配せに、勇が深くお辞儀をしながら自己紹介をする。


「マツモト殿、迷い人の門では声もかけずにすまなかったな。マレイン・ビッセリンクだ。よろしく頼む」

 軽く目礼をして挨拶をしたマレインは、続けて声を掛ける。

「迷い人の門でもそうだったが、マツモト殿は冷静だな。セルファースが初めて会いに来たときなど、酷かったものだが……」

「閣下、そのお話はご勘弁いただきたく……」

 慌ててセルファースがやんわりと口止めをしにかかる。


「冗談だ。で、私の後ろ盾が欲しいとの事だが、迷い人は一定の地位が約束されている、言わば準貴族のようなものだ。わざわざ私の後ろ盾など不要だと思うのだが……? 理由は聞かせてもらえるのかな?」

 先程までの柔和な雰囲気はなりを潜め、鋭い視線でマレインが問いかける。

「はい、それはもちろん。ただ……」

「ただ……?」

 勇のもったいぶった言い方に眉を顰めるマレイン。


「お話ししたからには、後ろ盾になっていただかざるを得なくなるかと思いますが、問題ございませんでしょうか?」

「……。くくく、はーっはっはっは! なるほど、そう来たか。フフ、やはりセルファースより肝が据わっている。気に入った。よかろう。イサム・マツモトの後ろ盾になる事を、伯爵マレイン・ビッセリンクの名においてここに誓おう」

 思わぬ勇の物言いに、上機嫌でマレインが宣言する。勇の横では、セルファースが青い顔をして胸をなでおろしていた。


「ありがとうございます。理由というのは、私の能力スキルです」

能力スキル……。確か、魔法検査マギ・デバッガと言ったか? サミュエルの奴は魔力操作系だと言っておったが……?」

 迷い人の間での出来事を思い浮かべながら、マレインが呟く。


「はい。大きく外れてはおりませんし、表向きに私のスキルは“魔法を効率よく使えるもの”としています。それも間違いではないのですが、能力スキルの本質ではありません」

「……続けてくれ」

魔法検査マギ・デバッガは、魔法が発動する際の流れを、私の目だけに見えるようにするというもののようなのです」

「魔法が発動する時の流れ……。それは魔力操作で見える魔力の流れとは違うのか?」

 いまいち違いが理解できず、そう問い返すマレイン。


「共通する部分はありますが、決定的に違うのは、魔法検査マギ・デバッガはそれがどういうものなのかまで、かなりの精度で可視化します。例えば、何の属性の魔法を使おうとしているのか、はっきりと理解できますし、魔法語の詠唱内容も理解できるのです……」

「なにっ!? 魔法語の意味が分かると言うのかっ!! それが本当なら……」

 勇の淡々とした説明に、マレインが思わず声を上げる。


「……旧魔法と思われる魔法を使う事が出来ます」

 勇がマレインの目を見てキッパリと断言する。

「なんと……」

「閣下、私もこの目で確認し、またイサム殿に教えていただいた詠唱の“意味”を把握して魔法を使ったところ、通常の1.5倍以上の威力が出る事を身を以て体験しております」

 信じられないといった表情のマレインに、セルファースが太鼓判を押す。


「それだけではありません。一部ではありますが、魔法具に使われる魔法陣の内容が“読める”のです」

「なんだとっっっ!!!?」

 勇の更なる爆弾発言に、ついにマレインが絶叫する。

「お買い求めいただいた魔法コンロも、解読した魔法陣を元に私が作ったオリジナルの魔法陣です。それ以外にも……。セルファースさんフェリス1型をお借りしても?」

 なおも説明しながら、セルファースから自家製の魔剣を受け取り、マレインへと見せる。

「これも、解読した魔法陣を元に開発した切れ味を強化した魔剣になります。影響が大きすぎるので、魔法陣登録も販売もしていませんが……」


 マレインは、手渡された魔剣をしばし見つめると、ポンメルにある魔石に触れてフェリス1強化型を起動させる。

「ほぅ」

 独特の起動音と共に淡く光る魔剣を見て、思わず感嘆の溜息をもらしたマレインは、執事長へ目配せする。

 執事長は、応接室の端に置いてあった椅子を1脚、マレインの下へと持ってくる。

「マツモト殿、試し斬りをしてもかまわんか?」

「ええ、お試しください」


 勇に確認をしたマレインは、剣を鞘から抜くと執事長が持ってきた椅子に向かって構えを取る。

 そして上段に振りかぶった剣を、袈裟懸けに振り下ろした。


 カツン、という硬質な音と共に、綺麗に切断された椅子が応接室の床にガラリと転がった。

「これ程か……。確かに魔剣と言っても差し支えないな……」

 切り口を確認しながらマレインが呟いた。


 フェリス1型を停止させ鞘に戻すと、再びドカリとソファに腰を落とす。

「やれやれ、この年になって肌が粟立つことがあろうとは……」

 かぶりを振りながら盛大にため息をつくマレインだったが、その顔はとても嬉しそうだ。

 そして、あらためて勇の顔を真っすぐに見る。


「マツモト殿、よくぞ話してくれた。ふふっ、確かにこの話を聞いて後ろ盾せぬというのはあり得んな。少しでも疑った、少し前の自分を恥じるばかりだ。すまなかった」

 そう言ってマレインが頭を下げた。

「あ、あ頭を上げてくださいっ! いきなりあんなことを言われて疑わない方がおかしいですからっ!!」

 急に伯爵に頭を下げられ、大慌てでフォローする勇。


「ふふっ、しかしこれは、確かにおいそれと人に言う訳にはいかんな……。世界がひっくり返ると言っても過言ではない……」

 いつになく饒舌なマレインに、セルファースも執事長までも驚きの表情で状況を見守っている。


「分かった。私に出来る事は協力すると約束しよう。替わりと言ってはなんだが、開示できる情報があったら共有してもらえるとありがたい」

「はい。私も無償で後ろ盾になっていただこうなど、虫の良い事は考えておりません。差し当たって、いくつかお役に立てそうな旧魔法をご説明しようかと……。こちらへ来るときに拝見しましたが、放牧地の魔物対策にお役に立てるかと思います」

「そうか! それは有り難い。範囲が広い故、魔物対策には手を焼いていたのだ」


「お役に立てそうで私も嬉しいです。あぁ、それと……」

「それと?」

「私の事はイサムとお呼びください。どうにも目上の方から敬称で呼ばれると背中が痒くてですね……」

 バツが悪そうに頭を掻きながら勇がお願いをする。


「…………。くっくっく、はーっはっはっは!! とてつもない能力スキルを持っているかと思えば、何とも謙虚だな。ますます気に入った。分かった、これからはイサムと呼ぼう。その代わり、イサムも私の事をマレインと呼ぶのだぞ?」

 勇の申し出を了承しながらも、とんでもない交換条件を付きつけるマレイン。その顔はいたずらっ子そのものだ。


「……分かりました。マレインさん、よろしくお願いします」

 苦笑しながら勇が答える。


「うむ、それで良い。なに、親しく呼び合う仲である事を見せれば、牽制にもなろう。なぁセルファース」

 上機嫌で問いかけるマレイン。

「……御意に」

 苦笑いしながらセルファースが答えた。


 こうして勇は、王国中央部を代表する名門貴族、マレイン・ビッセリンクの後ろ盾を得ることに成功した。

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