第5章:新しいスタート
第79話 新体制発足
カレンベルク伯爵領から、再び五日間かけて領都クラウフェンダムに戻った一行は、翌日から休む間もなく動き始めていた。
勇が最初に行ったのは、新体制に係わる調整だった。
まず、フェリクスら4名の騎士は専属の護衛になったため、原則研究所で寝泊まりする事になる。
元々離れだった建物なので、いくつか部屋の余裕はあるのだが、一気に4名が転がり込むと手狭になるため、思い切って増築する事にした。
勇がDIYで増築した浴室棟も、この際なので大工の手できちんと造り直してもらうことになった。
騎士達は、離れが出来るまで騎士宿舎からの通いとなったのだが、非番の騎士達から手伝いの申し出が殺到、僅か四日で増築工事が終わってしまった。
工事の特別現場監督に織姫が就任したという噂を聞きつけて、騎士達が異様に張り切ったのだった。
続いて、増築したことで部屋に余裕が出来たことを知ったアンネマリーが、チーム入りを高らかに宣言した。
商会の副会長も務めているので、勇チームのメンバーのようなものだったのだが、正式に入りたいとの事だった。
元々勇の事をセルファースから一任されていたので、チーム入りはすんなり了承されたのだが、その後にひと騒動起きることになる。
浴室が完備された事もあってか、アンネマリーまでもが離れに住むと言い出したのだ。
流石にそれはどうなのかと、子爵夫妻に相談した所、当然ながらセルファースが難色を示した。
勇もそれが当然だろうと思ったのだが、ニコレットの「屋敷の中で別の部屋に移ったようなものでしょ」という一言でまさかのOKが出てしまう。
これをニコレットからの無言のキラーパスだと認識した勇は、色々と前倒しになる可能性が高いな、と内心苦笑していた。
そこに元々メンバーだったエトとヴィレムを加えて、チームマツモトが正式に結成されるはずだったのだが、これに待ったをかける者がいた。
騎士団長のディルークである。
曰く、勇や織姫との連携は、子爵領の騎士にとっては最重要事項の一つである。
曰く、遺跡の探索は、いつ怪我等で欠員が出るか分からない。また、遺跡は数が多いため複数の探索チームが必要になる。そのため他の騎士団員にも探索経験を積ませるべきだ。
との事だった。
取って付けたような理由ではあるが、的を射ている部分もあるので無碍には出来ず、あらためて協議する事となった。
結果、若干名の流動枠を設け、そこに都度騎士団員を派遣する、ということに落ち着いた。
こうして、紆余曲折あったものの勇(実質織姫)を中心としたチームマツモト(事実上チームオリヒメ)の新体制が正式に発足するのだった。
研究所の増築と並行してスタートしたのが、バステトシリーズ第一号、魔法コンロの出荷作業だ。
今回出荷を開始するのは、貴族向けの高級ラインで、お値段は10,000ルイン(送料別)。日本円でざっと100万円だ。
地球で売っているビルトインタイプのIHコンロが、10万円~20万円の価格帯がボリュームゾーンだったことを考えると、かなり高額だ。
しかしニコレットによれば、貴族向けの、しかも新しい魔法具の価格として見るとお買い得なのだという。
倍の価格にしたところで売れ行きはあまり変わらないそうだが、製造原価が1,000ルインもしない事を考えて、勇の希望で10,000にしてもらった。
名前を知られていない新興の商会の商品なので、お試し価格的な値付けでもある。
初期ロットの出荷先は、クラウフェルト子爵家と親交の深い家が中心だ。
お隣のヤンセン子爵家、寄親のビッセリンク伯爵家、次女がアンネマリーの友人であるイノチェンティ辺境伯家。それに一式を献上した王家からも、追加注文が入っている。
先日土産として1台提供したカレンベルク伯爵家からも、向こうを発つ前に直接発注の連絡があった。
意外な所だと、先日魔法陣の使用権を買おうとしていたヤーデルード公爵家からも注文が入っていた。おそらく、どの程度のものか調べるためだろう。
一番驚いたのは、赤髪のフェルカー侯爵家からも注文があったことだ。
勇の庇護権を売却した以外、貴族としての親交など無いに等しいのにと、当主のセルファースは困惑しきりだった。
その他いくつかの貴族家からの注文を合わせると、計54台が、ファーストロットとしての出荷となる。
もっとも、イノチェンティ家からは「あるだけくれ」という発注であったし、噂を聞きつけた大商会からも問い合わせが多くあったため、売る気があれば作っただけ売れただろう。
それでも合わせて540,000ルイン、5千万円以上の売上なので、かなり好調な滑り出しと言えるだろう。
ちなみに勇のオリヒメ商会からザンブロッタ商会へは2,000ルインで卸している。
それをザンブロッタ商会が10,000ルインで販売、専属契約に則り利益の50%がオリヒメ商会へ還元されるので、今回の商いでオリヒメ商会が得た粗利は約270,000ルインとなった。
「やっぱり3段階の火力をまとめて発注した方ばかりでしたね」
「そうですね。最初から3種類ある事が分かっていて価格もそれほど高くありませんので、セットで購入されたのでしょうね」
ザンブロッタ商会のシルヴィオの見立てでも、1台10,000ルインの値付けはお得なようで、それもあってか今回は全注文が3台セット単位だった。
「まとめてセット割とかも考えてたけど、これなら大丈夫そうだなぁ。後は、火力調整版をいつ、いくらで売りに出すかが、ちょっと悩みどころだ……」
「火力調整版をすぐに売りに出すのは避けたほうが無難でしょうね。価格は高くするにせよ、すぐに新型を出してしまうと、今後もすぐ新型が出るのでは? と買い控えが起きかねません……」
「やっぱりそうですよねぇ。よし、試作して館の厨房でお試ししてもらうだけにして、売るのはもっと後にします」
「それがよろしいかと」
宣伝らしい宣伝を何もしていないにもかかわらず売れた事で、ここから一気に生産体制を整えていく事になるだろう。
また、イノチェンティ辺境伯領での現地生産についても、ファーストロットの納品時に1回目の打ち合わせの場を設ける予定だ。
そして、勇たちがカレンベルク伯爵領へ行っている間に、恐ろしいものが完成していた。
織姫のご神体である。
「お戻りになられて早々に申し訳ございません」
応接室には、神官長のベネディクトと、制作班リーダーの女性神官であるミミリアが訪ねて来ていた。
またしてもサイドテーブルには意味深に布が掛けられている。
「先般お伺いした際に、ミミリアにお話しいただいた、ご神体の商ひ……、お姿違いラインナップ候補の試作が終わりましたので、ご確認いただきたく存じます」
チラリ、と布が掛けられたサイドテーブルに視線を送り、ベネディクトが来訪の目的を告げる。
「早いわね……。ミミリア、無理はさせられていないわよね?」
ジロリと神官長を見た後、心配そうにミミリアに声を掛けるニコレット。
前回話をしてからおよそ一ヶ月。数パターンであれば大丈夫だろうが、サイドテーブルの膨らみの大きさがそんなレベルでは無い事を告げている。
「ご心配ありがとうございます。好きな事、やりたい事をやらせていただいておりますので、全く問題ございません。私はきっと、これをやるために生まれてきたのだと確信しております」
目をキラキラとさせながら言い切るミミリア。
「むしろ、こちらが止めないと食事も摂らず眠りもしないので、逆に監視が大変でございました……」
深いため息をつきながらベネディクトが零す。
「そ、そうだったのね……。問題無いのなら良いけれど、ちゃんと食事と休息はとりなさいよ?」
2人の様子に苦笑するしかないニコレットだった。
「それでは早速ご覧いただきましょう。今回は4種のお姿違いと、3段階の大きさ違いをお作りしております」
ベネディクトがそう言って、サイドテーブルに掛けられていた布をふわりと捲り上げた。
「ええっ!?」
「まあっっ!!」
「うわっ!?」
前回同様、ニコレット、アンネマリー、勇が三者三様に驚く。
「フシャーーーッ!」
そしてついに、織姫が毛を逆立て背中を丸くし、立てた尻尾も膨らませて威嚇、そのまま数歩サイドステップを踏む。
いわゆる“やんのかステップ”と呼ばれる、猫が威嚇をするときなどに見せる行動だ。
出てきたのは、香箱座り、丸くなって寝ている姿、前足で顔を洗っている姿、尻尾を立てて歩いている姿の4パターン。
サイズは、実物大、子猫サイズ、10センチほどのマスコットサイズの3サイズだ。
何れも細部まで作り込まれており素晴らしい出来栄えだ。前回よりさらにクオリティが上がっている気がする。
「よくもまぁ、ここまで作ったものね……」
子猫サイズを手に取りながら、感嘆するニコレット。
「これは、全部欲しくなりますね……」
マスコットサイズを並べて指でつつきながら言うアンネマリー。
「…………」
勇は苦笑したまま言葉が出てこない。
ようやく落ち着いた織姫は、等身大のものにちょいちょいと軽い猫パンチをお見舞いしていた。
「いかがでしょうか?」
しばし様子を見ていたベネディクトが改めて問う。
「いかがも何も、言うこと無いわ」
呆れ顔のニコレットだが、香箱座りスタイルのご神体の背中を撫で続けている。
「サイズ感も完璧ですね。これならば、どんな場所にでもお祀り出来るはずです」
もっともらしい事を言っているアンネマリーだが、寝姿のご神体に顔を埋めているので説得力が無い。
「はーー、ミミリア、あなた恐ろしい子ね……。いい、向こう半年はこれ以上種類を増やしては駄目よ? 絶対生産が追い付かずに暴動になるわ。後、手に入れられない人に対する高額な転売が発生して、破産する人が出るわよ? オリヒメちゃんがそんな事望むと思う?」
「っ!! そ、そうですね。考えが至らず申し訳ありません」
慌てて頭を下げるミミリア。
「いや、焚きつけたのは私達だから、あなたが悪い訳じゃ無いわ。ちょっと想像以上に出来が良すぎただけよ。しかしこの小さいのは、全部並べて展示したくなるわね……」
「それでしたら、展示用のケースなどがあると良いのでは?」
「なるほど……、それは良いわね。ベネディクト、小物作りの職人は手配できる?」
相変わらず笑顔のニコレットとアンネマリーだったが、すでにその目は笑っていなかった。
「ええ。明日の午後までに手配いたしましょう」
「分かったわ。じゃあ明日の午後連れて来て頂戴。より気高く美しくお祀りするための、家庭用神殿について話しましょう」
「御意にて」
「……」
家庭用神殿と言うパワーワードに絶句する勇。神棚みたいなものなのだろうか?
「あ、そう言えばお母様。先日ユリアが訪ねてきた際、オリヒメちゃんをとても気に入っていたんです。魔法コンロの納品の際、いくつかご神体を進呈しても良いでしょうか?」
「ユリアって、イノチェンティ辺境伯閣下の娘さんね。そう言えばずっとオリヒメちゃんを抱いていたわね……。アンネは納品に同行する予定だったし、イサムさんも現地を見てみたいって話してたわよね?
いいわ。今日持って来てくれたものから何体か持ってチーム皆で一緒に行ってきたら? 確か遺跡も岩砂漠にあったはずよ。あ、ご神体は辺境伯閣下と奥様にも必ず進呈するのよ? 可能であれば、お目通りして本物のオリヒメちゃんをけしかけ……お見せして頂戴」
「ありがとうございます!!」
こうして、勇の作った魔道具の販売開始と共に、織姫教の布教活動もまた始まるのだった。
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