第70話 ブルーノ・カレンベルク伯爵

 アンネマリーと魔法具屋巡りを楽しんだ翌日、ついにブルーノ・カレンベルク伯爵との面会日となった。

 午前中には手土産の魔法コンロや、交渉材料である改良型冷蔵箱と保温石の最終チェックを済ませ、午後一で伯爵の館へと向かう。


 セルファースの見立てでは、恐らく2段階での面会になるだろうとの事だった。

 表向きは先の魔物騒ぎの謝罪なので、先方が伯爵本人と恐らく事務方トップ、こちらが子爵夫妻と自身が貴族扱いである勇、護衛の騎士1名だけという、フォーマルな場から始まる。


 そこで一通りの話をした後、賠償金の代わりに限定領域への入場資格を手に入れるための交渉へと移る。

 この後半は、実際に商材をみせながら交渉するため、かなりビジネス寄りだ。

 専属商会となったザンブロッタ商会のシルヴィオや、魔法具を作ったエト、専属遺物採掘者アーティファクトハンターとなったヴィレムなども交えた場になるはずなのだ。


 少々大人数となったが、2台の馬車に分乗して伯爵邸へと向かう。

 5分ほど馬車を走らせると、街の外壁と同じように鉄で補強された壁に囲まれた邸宅が姿を現す。扉も鉄が多く使われた重厚なものだ。

 衛兵と手早く誰何を済ませて門を潜ると、水路を巡らせた立派な前庭が目に飛び込んできた。

 中心には池があり、そこから水路へと水を流しているようだ。


「立派な庭ですねぇ」

 車窓から見える景色に、大きな籐のバスケットを抱えた勇が思わずため息を漏らす。

「相変わらず豪華だね。あの池の水は、湧水の魔法具を複数使って維持しているそうだよ」

 答えるセルファースもため息交じりだ。


 この辺りは、鉄鉱石の優秀な鉱脈の上にあるため、地下水に鉄が混ざってしまい井戸の水が赤茶色に濁っている。

 鉄を扱う工場で使う工業用水には問題無いのだが、飲料水や農業には向かない。

 植生に乏しいのも、その辺りに原因があると言われている。


 伯爵邸の庭に赤茶色の水を流す訳にも行かず、わざわざ魔法具で生み出した水を使っているのだとか。

 こんこんと湧き上がる池の水を横目に見ながら、なんと贅沢な魔法具の使い方なんだと、勇は再びため息をついた。


 そんな贅沢な前庭を抜け、館の馬車止めへと辿り着く。

 館の方は、所々を鉄で補強はしているものの、全体的に白を基調とした造りになっていた。

 やや赤茶けた石と鉄で出来た建物が多いベルクーレでは、非常に目立つ外観だ。

 

「お待ちしておりました、クラウフェルト子爵閣下。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」

 出迎えてくれたのは家令と思しき老紳士だった。恭しく一礼をする。


「出迎えありがとう。この立派な庭を是非見せてやりたかったのと、手土産の使い方を説明するために、ウチの研究所のモノも連れてきたのだが……。伯爵閣下との面会中、控えで待たせてもらっても良いだろうか? 閣下とは、私達夫婦と迷い人のマツモト殿だけで面会させていただくつもりだ」

 セルファースはそう言いながら、自身が降りた馬車の後方へと目線を送る。


 同じくチラリとそちらに目をやった家令は、にこやかに答える。

「はい。事前にお伺いしておりますし、もちろん問題ございません。もしお庭の案内をご希望でしたら、侍女にご遠慮なくお申し付けください」

「ありがたい」

「それでは、ご案内いたします」

 再び一礼した家令に先導されて、応接室の控えまで案内される。


「すぐに主人が参りますので、今しばらくこちらでお寛ぎください」

 そう言って控室から出ていく家令。

 勇は、大きな籐のバスケットを抱えたままぐるりとあたりを見回す。

 20畳はありそうな立派な部屋で、調度品も豪華だ。言われなければ、ここが応接室だと勘違いしても仕方が無いだろう。

 中央にあるテーブルでは、侍女が人数分のお茶を用意していた。


 誰とも言わず席に着き、淹れたてのお茶をいただく。

「うん、良い香りのお茶ですね。それにとても瑞々しい」

 じっくり香りを楽しみながら勇が感想を述べる。

「迷い人様にお褒めいただき光栄に存じます。こちら、今年最初に摘んだ茶葉のみを使用しておりまして、仰る通り瑞々しさが特徴となっております」

 お茶を淹れた侍女は一瞬驚いた後、にこやかな笑顔でそう勇へ説明した。


「なるほど、一番茶葉でしたか。私のいた世界でもお茶は飲まれていましたが、一番茶葉は高級品でした。こちらでもやはり量が少ない希少品なのでしょうか?」

 茶所出身である勇が、気になって思わず尋ねる。

「そうですね。仰る通り、二番摘み以降のモノと比べると、希少な茶葉である事は間違いございません」

「やはり……。貴重なお茶をありがとうございました。おかげさまで、とても美味しくいただくことが出来ました」

「いえ。ご満足いただけたのでしたら嬉しく存じます」


 とお茶談議をしながら待っていると、コンコンコンと控室の扉がノックされる。

「間もなく主人が参りますので、応接室へご案内いたします」

「分かりました。ありがとうございます。さ、ニコ、行こうか」

 家令の案内に従い、隣にある応接室へニコレットをエスコートするセルファース。

 勇も、脇にあるバスケットをアンネマリーに託すと、その後を追って応接室へと入っていった。


 控室よりさらに一段豪華な応接室のソファに座って待っていると、程なくして応接室のドアがノックされた。

「どうぞ」

 セルファースが立ち上がって返答する。

「失礼する」

 そう言って護衛と先ほどの家令を引き連れて入って来たのは、青い長髪が印象的なブルーノ・カレンベルク伯爵であった。


「クラウフェルト卿にご夫人、それに迷い人のマツモト殿だったか。遠路はるばる足を運んでもらい感謝する。まずは掛けてくれたまえ」

 伯爵は、居並ぶメンバーを見ながら挨拶をし、ソファをすすめる。

「ご無沙汰しております、カレンベルク閣下。迷い人の儀では、娘がお世話になりました」

 セルファースが会釈しながらソファに腰かける。


「カレンベルクさん、お久しぶりです」

 全く知らぬ顔という訳ではない勇も、会釈しながら無難な挨拶をして着席した。


 護衛以外の全員が着席したのを見計らい、ブルーノが口を開いた。

「まずは、卿らに謝らねばならん。配下であったデュラン・バラデイルが犯した失態は、寄り親である私の失態でもある。貴領には多大なる迷惑をかけた事、誠に申し訳なかった」

 そう言って、ゆっくりと頭を下げた。


「顔をお上げください、閣下。その謝罪、クラウフェルト子爵家が当主セルファース・クラウフェルトが確かに受け取りました。我が領は、幸いにしてさしたる人的被害も無く事無きを得ましたので、問題ございません」

 セルファースも、特に感情的になる事も無く、ブルーノの謝罪を受け入れる。


「そう言ってもらえるとありがたい。デュランめの所業を聞いた時には、正直肝が冷えた。貴領に大禍が無かったのは、クラウフェルト卿と貴家の兵達が優秀だったためであろう。ヤンセン卿にも、貴家の兵達は非常に精強であったと聞いている」

 セルファースの言葉にゆっくり顔をあげて、ブルーノがクラウフェルト家の対応を褒める。

 ここまでは予定調和、社交辞令のような物だろう。


「過分なお言葉、ありがとうございます。兵達に聞かせましょう。皆、喜ぶと思います。それと此度の領都防衛においては、マツモト殿の活躍も非常に大きなものでした」

 セルファースがチラリと勇の方に目をやりながら、ブルーノに言葉を返す。


「ほぅ、マツモト殿が……」

 セルファースの言葉に、ピクリとブルーノの眉が動く。

「ええ。我々領都を出た討伐部隊は通常のオーガとしか遭遇しませんでしたが、領都はメイジオーガに襲われましてね……」

「メイジオーガですと?」

 思わぬ魔物の名に、ブルーノの表情が変わる。


「ええ。それを、妻とマツモト殿を中心とした魔法部隊で、見事撃退したのです。いやはや、後でその話を聞いた時には、冷や汗をかきましたよ……」

 苦笑しながらセルファースが続けた。

「なんと……。クラウフェルト卿の能力スキルでは無くですか……。いや、ご夫人は確か“森の魔女”と呼ばれたお方だったな……」

「昔のお話ですわ、カレンベルク様。それに、止めを刺したのは私ではなく、マツモト殿でございます」

 扇で口元を隠しながら、話題になったニコレットがにこやかにそう話す。


「ほぅ……。そうなると、マツモト殿の能力スキルも優秀という事かな……?」

 ここまでほとんど勇の方に視線を送ることの無かったブルーノが、興味深そうに勇を見やる。

「ええ、とても優秀だと思っております。マツモト殿の魔法検査マギ・デバッガは、我々よりかなり効率よく魔法を使える能力スキルのようです。覚えるのも早く、使う魔力も少なくて済み、得意不得意も無い。“魔法が視える”とは、そういう事なのでは無いかとの結論に達しております。

現に、ほんの三月前にこちらに来たばかりだというのに、メイジオーガを打ち倒したのですからね……」

 セルファースが真剣な表情でブルーノに私見を述べる。


「なるほど……、流石は迷い人。クラウフェルト卿は、良き方に巡り合われたな」

「ええ、此度の件もマツモト殿がいなければ、危うく領都が大惨事になっていたかもしれません。もっとも、マツモト殿をお譲りいただいた、フェルカー侯爵閣下には及ばぬものと思いますが……」

「……フェルカー卿はこの国一の魔法の使い手。それは比べる相手が悪いと言うものだな」

「仰る通りでございます」

 ブルーノの言葉に、軽く会釈をするセルファース。

 ここで、クラウフェルト領における事の顛末の話に区切りが付くことになる。


「さて、それでは今回の件に関する賠償の話に移ろうと思うが問題無いかな?」

 一同を見回しブルーノが確認を取る。

「はい、問題ございません」

 それをセルファースが首肯した。


「今回の一件だが、カレンベルク家からクラウフェルト家へ、賠償金200万ルインを支払おうと思う。もちろん、魔物の襲撃で被った家屋等の補修費用は、それに加えてこちらで全額持つことを約束しよう。いかがだろうか?」

 顔色を変えることなくブルーノが条件を提示する。


 200万ルインと言えばおよそ2億円くらいの価値がある金額だ。

 人死にが無かった事案に対する賠償としては、相場の倍以上の金額になる。しかも普通は賠償に含まれる被害の補填は実費にて別枠だと言う。

 通常であれば、一発OKが出ておしまいだろう。

 ブルーノも当然そう思っていたに違いない。

 しかし……

 

「手厚い賠償、誠にありがとうございます。しかし当家は、金銭による賠償は求めておりません」

 そうハッキリと否定の意を告げるセルファース。

「なに?」

 思いもよらない返答に、ブルーノの眼光が鋭さを増す。

「では、どのような賠償を望むと言うのだ?」

 低い声でセルファースを問い質す。


「……当家に、限定領域への入場資格を頂きたい」

 単刀直入に要望を伝えるセルファース。


「なんだと!?」

 再度の思いもよらぬ回答に、ブルーノの語気が荒くなる。

「もちろん当代限りで問題ございません。当家専属の遺物採掘者アーティファクトハンターはご存じでしょうか?」

「ヴィレムだろう? 収集家コレクターのヴィレム。遺跡にも度々入っているな」

 質問に質問で返すセルファースの物言いに、ブルーノが眉間に皺を寄せる。


「ええ、そのヴィレム氏が、限定領域の探索に非常に前のめりでして……。彼は魔法陣の収集家にして遺跡採掘の専門家です。限定領域の探索を進めたいのであれば、これほど都合の良い人材はいないのでは? もっとも、限定領域の探索をあえて進めないと言うのであれば、お話は別ですが……」

「……」

 セルファースの返答に、ブルーノは両手を顎の前で組んでしばし沈黙する。


「ああ、そうだ……。今回はもう一つお話を持ってきております。魔法具の共同開発についてのご提案です」

「なに? 魔法具の共同開発だと?!」

 さらに飛び出した想定外の話に、ついブルーノの声が大きくなる。


「はい。新型の冷蔵箱でございます」

「なんだとっ!!?」

 そしてついに、ブルーノ・カレンベルク伯爵がソファから腰を浮かした。

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