第33話 ヴィレムとの契約

「ふぅ、失礼しました……。でも、イサムさんとエトも悪いんですからね!!」

「いやー、ホントにすみませんでした。あまりに浮かれていて、鍵をかけ忘れてしまったんですよね、ハハハ……」

 大絶叫から10分。ようやく落ち着きを取り戻したアンネマリーにあらためて謝罪する勇。

 突然響いたアンネマリーの悲鳴に、即座に騎士団や領主夫妻まで駆けつけたため中々に大事になっていた。


 特に割を食ったのは、たまたまそのタイミングで裸になり湯船につかっていたエトだろう。

 風呂が存在しないため、真昼間から裏庭で裸になっている合理性を説明するのが難しく、危うく変態の濡れ衣を着せられるところだったのだ。


 最終的には、勇の国が誇る至高の文化で、”美容”にも良い、と言う言葉に反応した領主母娘の鶴の一声により、瞬時に不問とされた。

 そして、近日中に領主の館にも風呂を作り、使い方をレクチャーする事が決定して今に至っている。

 ニコレットのあの圧を考えると、近日とは今日の事であろう。


「いやぁ、ご領主様のとこは、何とも愉快な所なんですねぇ」

 アンネマリーの隣でお茶を飲んでいた男が、楽しそうにそう零す。

「あー、すいませんヴィレムさん、見苦しい所をお見せして……」

「こらイサム、見苦しいとは何じゃ! そもそもお前さんのせいで……」

「はっはっは、おまけに皆さま仲が良い!」

 自分の裸を見苦しいと評されて納得のいかないエトが勇に抗議する。

 それを見たヴィレムは、ますます嬉しそうだ。


 そもそもアンネマリーが研究所を訪ねてきたのは、ヴィレムの為だった。

 領主の専属として召し上げたい旨を伝えにいったのだが、まさか露店で能力スキルの話をする訳にもいかず、ご同行願ったのだ。

 もっとも、話をする前にエトの変態未遂事件があり、ただの愉快な仲間たちと言うレッテルがすでに貼られてしまっているが……。


「では、あらためてヴィレムには事情を説明します」

 軽く咳払いをしてから、アンネマリーがまじめな顔で説明を始めた。


 勇が迷い人である事。

 魔法陣の中に読めるものがある事。

 すでに新しい起動陣が実用化されている事。

 これまで機能陣は読めなかったが、先日買ったものに読めるものがあった事。

 そして、それを元にすでに新しい魔法具が出来ている事。


 最初は迷い人である事に相当驚いていたヴィレムだったが、魔法陣が読めることや自分の売ったものをベースに新たな魔法具が作られたと知って、もはや言葉を無くしていた。


「で、その完成した魔法具を売りに出す事になりましたが、イサムさんの能力スキルを公表する訳にもいきません。そこでヴィレム、あなたに当家の専属遺物採掘者アーティファクトハンターになってもらいたいと考えています。あなたが持ち帰った古代の魔法陣を我が研究所で組み合わせた結果、この魔法具が出来た、と言う事にしたいのです。幸いな事に、”意味が分かって組み合わせた”という点以外、全て事実なので……」

 アンネマリーがそう言って事のあらましを説明し終えた。


 あまりの情報量の多さと内容の濃さに、ヴィレムは理解が追い付かず、目を瞑って両方のこめかみを人差し指で押さえたままだが無理も無い。

 迷い人であることはまだしも、コピーではない新規の魔法具の開発は世界初だし、魔法陣の意味が分かるなど最早お伽噺である。

 アンネマリーやエトは、一つずつそれらを体験してきたため驚きが分割されているが、ヴィレムは一括でそれを聞く羽目になったのだからたまったものではないだろう。


「ふーー、色々と聞きたい事や言いたい事があるけど、それは追々として……。専属になる件と、新しい魔法具の説明については了解しました」

「ありがとう。すでに父から契約書は受け取っているので、後でこちらにサインを」

「分かりました。ちなみに、専属になったら私は何をしたら良いのでしょう?」

「基本的には今と変わらないと思ってもらって良いです。これまで通り、魔法陣をどんどん手に入れて来て下さい。ご自身で探索しても良し、冒険者に依頼するも良し、です。その場合の経費も、事前に精査はしますがクラウフェルト家が負担します。他者との魔法陣の交換や売買についても、止める必要は無いです。しかし、前提としていくつか守ってもらうルールがあります」


「ルールですか?」

「はい。入手した魔法陣は必ずすべてイサムさんがチェックする事。イサムさんが読めるものは手放さない事。イサムさんが確認をしていないものは手放さない事。まずこの三つは必ず守ってください。我々の目的は、イサムさんの能力スキルを活用した魔法陣の解読とそれを元にした魔法具の開発です。なので、それを妨げる行動は控えてもらいます。後は当然ですが、イサムさんの能力スキルや我々の目的などについては守秘義務がありますね」


「なるほど。ルールとしてはシンプルだし当然の内容ですね。分かりました。あ、魔法陣の読み方って、教えてもらったり出来るんでしょうか?」

「追々覚えてもらう事になると思いますよ。ですよね? イサムさん」

「ええ。現時点ではサンプルが少なすぎて教えるのが難しいですが、サンプルが増えたらどんどん覚えていって欲しいですね」

「と言う事です」


「ありがとうございます! ふふ、素晴らしいですね……これまで形を見ることしか出来ませんでしたが、その意味まで分かるようになるかもしれない……。いよいよ真の意味で、魔法陣の美しさを理解することが出来るようになるんですから! 私にとっては夢のようなお話です。是非、よろしくお願いいたします」

「では、早速明日からは、こちらの研究所に出勤してください」

「了解しました。差し当たって明日からは、手持ちの魔法陣を持って来て、順次イサムさんに確認してもらう、と言う事で良いですかね?」

「そうですね。あーー、でもかなりの数がありますよね?? 私が見に行ったほうが早いのかな」

「今後の大切な資料であり資産になる可能性があるものなので、全て研究所に運んでしまいましょう。館から人と馬車を出すので、明日の朝から作業をお願いします」


「分かりました! それにしても楽しみだ……。イサムさんもエトさんも、これからよろしく頼むよ!」

「こちらこそ。どんな魔法陣が出てくるか、期待してますよ?」

「そうだな。読める魔法陣が増えりゃあ色んなもんが作れるようになる。宝の山を手に入れたようなもんじゃな」

 勇とエトと交互に握手をするヴィレム。

 彼の加入により魔法アルゴリズム研究所は、魔法陣の入手経路と言う新たな武器を手に入れたのだった。


 その日の夜、勇は領主の館の洗い場にいた。もちろん風呂の準備をするためである。

 湯を張った浴槽に浸かる習慣はなくても、清潔さを保つために身体を拭く習慣はこの世界にももちろんある。

 平民の家には専用の部屋などは無く、寝室等で拭くのだが、貴族や裕福な家になると、水捌けを良くした専用の部屋があることが多い。

 夏場などは、そこで水浴びをすることもできるようになっている。

 クラウフェルト家の洗い場は、4畳半ほどのスペースがあり、イサムお手製の簡易バスタブとヒーターの魔法具のセッティングが丁度終わった所だった。


「ここに水を張って、この魔法具で温めます。水は汲んできても良いですが、今回は面倒なので魔法で入れちゃいますね」

 設置を終えた勇は、昼の実験の時と同じように、ウォーターボールの魔法で水を張っていく。

『水よ、無より出でて我が手に集わん水球ウォーターボール

 3回に分けて魔法を唱える事1分足らず。あっという間に浴槽の7分目ほどまで水が溜まった。


「この前野菜を洗った時にも思ったのだけど、イサムさん随分とスムーズに魔法を使うようになったわね……」

「あはは、ありがとうございます。全身強化フルエンハンスを使った練習でコツが掴めたのか、色々と柔軟と言うか良い意味でいい加減に魔法が使えるようになった気がします」

 十日ほど前に、人並みに魔力制御が出来るようになってからは、新しい魔法を覚えると言うよりマイナーチェンジに時間を割いていた。

 例えばこの前野菜を洗った時は、水を回転させる呪文を使っていた。


 こういった、顕在化した魔法にさらに手を加える利用方法は、実はあまり一般的ではない。

 と言うか、魔法語の意味が分からないのだから、そもそもやりようが無いのだ。

 魔法語の意味が分かる勇は、覚えた単語を何気なく使い、基礎魔法の亜種を日々生み出し続けているのだった。


「うん。これくらいの湯加減で丁度良いと思います。一旦魔法具は停止しておきますので、温いと思ったら稼働してください。すぐ温かくなるはずです。あ、稼働中は絶対触らないでくださいね! かなり高温になっているので……」

「分かったわ。おさらいだけど、このお湯、えーっと湯船だっけ? 湯船は基本浸かるだけなのよね?」

「はい。色々な流儀がありますが、私のお勧めは湯船は温まるためだけに使うものです。身体を外で洗えば、せっかくのお湯も汚れないので、何人かで使えますしね」

「ありがとう。しかし慣れないから緊張するわね……」

「大丈夫ですよ。お湯に浸かれば、そんな緊張も一緒にほぐれますから。それでは私はリビングの方で待ってますので、ごゆっくりどうぞ。また後で感想を聞かせてくださいね」

 こうしてまずはニコレットが入浴、その後にアンネマリーが入浴するのだった。


 2時間後。リビングには、すっかり風呂の魔力に魅了された母娘がいた。


「イサムさん! お風呂と言うのは素晴らしいですね!! 今まで知らなかった事が本当に悔やまれます……。そして教えてくれてありがとうございます!!」

 軽く上気した頬をさらに赤らめて、アンネマリーが力説する。


「ホントそうね。この気持ちよさを知ったら、もう後戻りできないわ。お肌もしっとりツヤツヤだし……またしてもイサムさんに感謝しないと。アナタも後で入ってごらんなさい。ほんとに最高なんだから!」

 ニコレットも、あまり興味が無さそうなセルファースに布教活動を展開するほど気に入ったようだ。


「あはは。気に入っていただけたようで何よりです。ひとまずあの湯船とヒーターは置いておきますが、湯船はもうちょっとちゃんとしたものを準備したほうが良いと思います。水を溜められて、使わなくなったら排水出来るようにさえなっていれば良いので。私の国でも、今回のような木のものもあれば、金属のもの、石で作った物なんかもありましたよ」

「分かったわ。アンネ、明日大工と家具屋を呼んでおいて。早速手配するわよ」

「はい、お母様。明日の朝一で使いを出しますね」


 これが、エーテルシアにお風呂文化が萌芽した、歴史的な瞬間だった。

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