第27話 遠征病

 研究所まで呼びに来てくれたのはルドルフだった。

 夕食の準備が整ったとの事で、勇は一緒にダイニングへと向かう。

 依然として体調のすぐれないセルファースを除いた、ニコレット、アンネマリー、ユリウスに勇を加えた、家族の食卓だ。


「すいません、遅くなりました」

 と言う勇の謝罪に、

「気にしないで。ついさっき呼びに行ったのだから当然よ」

 とニコレットが返す、もはや様式美となりつつあるやり取りをしながら勇が席に着く。

 するとすぐにスープと前菜が運ばれてきた。

 塩漬け肉と野菜にスープストックを合わせたシンプルなスープだが、クラウフェルト家では好評の逸品だ。


 そしてこのスープストックの発案者は、他でもない勇だった。


 クラウフェンダムについて三日目の夕食時に、スープを飲んだ勇が何気なく「このスープは何で出汁をとっているんでしょうか?」と聞いたのが発端だった。

 塩漬け肉や魚を入れるとスープが美味しくなると言う知識はあるのだが、骨から出汁を抽出すると言う概念が無かった。

 そこで、鳥を料理に使う時があったら、骨を捨てずに取っておいて欲しいとお願いし、その鶏ガラを使って出汁を取ってみたのだ。


 当然勇には、本格的な鳥ガラ出汁の取り方の知識もスキルも無いのだが、テレビや動画で何度となくラーメン屋の厨房でだしを取っているシーンは見ている。

 とりあえずの試作を作るのには、それで十分だった。

 本職の人から見たら大した出来では無いだろうが、この世界の人々にとったら勇が見よう見まねで取った鶏ガラスープでも、衝撃のおいしさだったようだ。

 料理長を始め、屋敷中全員が“これまで飲んでいたスープは水だった”という評価を下したのだから相当だろう。

 何しろ当の勇本人が、味見した瞬間あまりの美味しさに固まったくらいなのだから……。


 勇が出汁を取るのに使ったのは、織姫の好物でもあるスパイクグースの骨だったのだが、これが異常に良い出汁が取れた。

 それに感銘を受けた料理長が、様々な動物や魔物の骨から出汁を取った結果、あっという間に何種類かのスープストックが出来上がって今に至っている。


「ふ~。しかしホントにこのスープは美味しいわね。能力スキルどうこう関係無く、これが飲めるようになっただけで勇さんに来てもらえたことに感謝するわ……」

 クラウフェルト家を虜にした勇のスープストックだが、もっともその魅力に取りつかれたのはニコレットだろう。

 実に嬉しそうにスープを口に運んでいる。


「あはは、喜んでもらえたのならありがたいですね。でも、私の作った物はここまでの美味しさではなかったですから。料理長始めとした料理人の方々のおかげですよ。流石はプロですね」

「それはそうかもしれないけどね。あの、初めて飲んだ時の衝撃が凄まじくて……。ホントに驚愕したのよ」

「ええ。奥様の言われる通りです。私も一口飲んでアレには衝撃を受けましたし、作り方を無償で教えていただけたことにまた衝撃を受けた次第です」

 料理の説明とサーブに来ていた料理長が、ニコレットの言葉を肯定する。

「はは、お恥ずかしい限りです……」

 皆から手放しに褒められて、勇はポリポリと鼻の頭を掻いた。


「それにこれなら、夫も美味しく食べられるから。ホントに助かっているわ」

「セルファースさんの病状は、まだ良くならないのですか?」

「ええ。最近はちょっと関節に血が溜まってるようで……」

 セルファースは、年一回の魔物討伐遠征で患ったという“遠征病”の病状が思わしくない日々が続いている。

 持ち直したと思ったら、また悪くなる、といったことを繰り返しているそうだ。

 そんなセルファースの病状を最近聞いて、思う所があった勇が質問する。


「あの~、ひょっとしてセルファースさんって、野菜、特に生野菜が嫌いだったりしませんか??」

「ええ。良く分かったわね。昔から野菜が嫌いで、サラダなんかほとんど食べないわね」

「なるほど……。後、遠征の時に持って行く保存食って、どんなものなんでしょうか?」

「そうねぇ……。干し肉に固焼きパンにチーズ、干し野菜が少しというところかしらね」

 それを聞いた勇が、腕を組んで考える。


「……セルファースさんの病気、と言うか遠征病の原因が分かったかもしれません」

「え? どういう事?!」

「私のいた世界でも、昔似たような症状の病気が流行ったことがあったんですが、私の生きていた時代ではほぼ撲滅されていました」

「ホ、ホントに?!」

「ええ。私のいた世界では壊血病と呼ばれていて、遠征病と同じように長い間船に乗りっぱなしの船乗りの病気でした。それと発生した条件と病状がそっくりなので……」


「じゃ、じゃあ治療の方法も分かるの!?」

「手遅れになっていなければ、ですが、原因が同じであれば治療できると思います。そうですね……、料理長、今厨房にある果物と生野菜を全種類持ってきていただけないでしょうか?」

「く、果物に野菜ですね!? ただちにっ!!!」

 勇からお願いされた料理長が厨房へとすっ飛んでいく。

「うまく行けば、今家にある食材だけでも改善できると思います」


 程なくして、ボウルいっぱいに野菜やら果物やらを入れた料理長が戻って来た。

「こ、こちらになります!!」

 ぜーぜー言いながら、ボウルを勇へと差し出す。


「ありがとうございます。ちょっと見せてもらいますね」

 勇はそう言いながら籠の中の物を一つずつ吟味していく。

「あ、これ齧ったりしても大丈夫ですか?」

「は、はい。それはもちろん大丈夫ですが、中には土が付いていたりするものもありまして……」

「ああ、確かに。んーー、ちょっと失礼します」

 勇はボウルを持って席を立つと、広いダイニングテーブルの誰も座っていない所へと移動しテーブルの上にボウルを置いた。


『水よ、無より出でて我が手に集わん水球ウォーターボール

 魔法を唱えると、ボウルの直径よりやや小さな水球が生まれる。

 勇は慎重にそれを操作しボウルの中へ誘うと、次の呪文を唱える。

『回れ』

 すると、水球がゆっくりと回転し野菜の汚れを洗い流していった。

「これで良し」

 洗い終えた野菜を見て満足する勇。一同はその様子を見てぽかんと口を開けたままだ。


 そんな周りを気にもせず、勇は野菜を吟味していく。

「うーーーん、地球の野菜と同じかどうか分からないからなぁ……。ひとまず見た目と味が似たヤツを試すしかないか」

 そうブツブツと呟きながら、料理長から借りたペティナイフで切っては試食して味を確かめていく。


「これは……うん、トマトだな。でこっちはキャベツ、かなぁ。ほうれん草っぽい味も混ざってるけど。こいつはナス……? じゃないな、味はキュウリか? これは……う、ジャガイモっぽい。この二つは果物か。こっちはこの前屋台で食べたけど酸っぱいリンゴって感じで……。この緑のは……、あ、柑橘系だ。んーー、甘みが薄いけどカボスとかをまろやかにした感じか??」

 次々と味見していく勇をポカンと見ていた一同。最初に我に返ったのはアンネマリーだった。

 勇と一緒にいる時間が一番長いだけあって、立ち直るのも早いのだろうか。


「あ、あの、イサムさん。何をしていらっしゃるのでしょうか?」

「ああ、すみません。私のいた世界では、特定の成分が不足すると壊血病になる事が分かっていたんです。向こうの食べ物なら、おおよそ何が良いのか分かるんですが、残念ながらこちらの食べ物とは同じではなさそうなので……。見た目と味で近いものを探しているんですよ」

「特定の成分、ですか……?」

 勇の問いかけにアンネマリーが困惑する。


「ええ。肉を食べると身体に筋肉が付く、とかそういう考え方は、こちらにはありませんか?」

「食べ物をあまりそういう目で見たことはありませんね……。経験則から、肉を食べると身体が大きくなりやすいとか、野菜も一緒に食べないと風邪を引きやすいとか、そういうものはありますが」

「そうなんですね。私のいた世界では、食べ物には様々な成分が含まれていることが分かっていました。そしてその成分が、それぞれ色々な特徴や役割を持っていて、不足したり逆に摂りすぎると病気になる事が証明されているんです」

「食べ物に含まれる成分……」


 考えたことも無かった内容にアンネマリーが再び言葉を失うが、無理も無いだろう。

 地球においても、栄養に目が向けられたのは18世紀の終わり頃になってからだ。

 栄養学的な考え方が出来てきたのは19世紀だし、日本においては20世紀に入ってからなのだ。


「細かい話を始めるとキリが無いので、それはまた追々お話しします。セルファースさんにはひとまずこちらを毎日食べさせていただけますか?」

 勇はトマトのような野菜とジャガイモのような芋、柑橘系の果物とリンゴっぽい果物を並べる。


「まず、この赤い実と芋。パタテ芋、でしたっけ? こちらはスープに入れて出してください。その際、中の具だけでなく、スープも飲み干してもらうようにお願いします」

「は、はい。レムラの実とパタテ芋のスープですね。他の具材も入れて良いのでしょうか?」

「ええ、大丈夫です。でもレムラとパタテ芋は、多めにしてくださいね。あと、このポメの実とこっちの緑の果物ですが、絞ってジュースにしてもらっても良いですか? 生で食べるのが一番良いんですが、ちょっと食べづらいと思うので絞って飲んでもらうのが良いと思います」

「わ、分かりました」


「それ以外は、いつも通りの食事で大丈夫だと思います。今言ったものを、最低でも1日2回は食べてもらってください。もし壊血病だったとして、こちらの食べ物にもそれを予防する成分が入っているなら、これで改善がみられるはずです。でも、壊血病ではなかったら、改善しないと思います、すみません……」

 ここまで一気に事を進めた勇だが、医者では無いので確証が持てず、最後は小声になってしまった。

 それを聞いてニコレットもようやく我に返る。


「い、いやいやいや、そもそもイサムさんは医者でも治癒術師でもないんだもの、そんなの当たり前よ。むしろこれまで原因不明だった遠征病を治せる可能性が見えただけでありがたいわ。今までは、これと言った治療方法も無かったから、ただ見ているしか無かったのだし……。ギード、今夜からイサムさんの言ったメニューをよろしく頼むわね」

「はい! 早速今からご準備します!」

 あらためてニコレットから正式な指示をもらった料理長のギードは、持ってきた野菜を再び抱えて厨房へと走っていった。


「これで少しでも改善されると良いんですが……」

「大丈夫ですよ! 先ほど母も言った通り、改善しなくてもこれまで通りなだけですし。それに、きっと効果があるはずですよ!」

 なおも不安そうな勇に、優しく、明るくアンネマリーは言い切った。


 果たして、早速この日からビタミンCが多いと思われる食事に切り替えたセルファースの病状は、徐々に快方に向かっていくのだった。

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