第3話 お嬢様と猫と魔物と魔法と

 出発した馬車は、しばらくゆっくりと走っていたが、その後やや揺れが大きくなる。街を出てスピードを上げたのだろう。

 勇が、小さく空いているサイドの窓から外に目をやると、そこには低木と岩が転がる大地が広がっていた。

 サバンナと荒原ステップの中間のような感じだな、と考えていると向かいの椅子からチラチラと視線を向けられているのに気づく。


 今に始まったことでは無く、馬車に乗る前からずっと感じていたアンネマリーからの視線だ。

 会話のきっかけついでに、今度こそ勇がアンネマリーに声をかける。


「あの~、クラウフェルトさん。どうかしましたか?」

「はえっ!? べ、べつににゃんでもありません!」

 盛大に噛むアンネマリー。何でもないと言いながらも視線は勇の膝の上で寛ぐ織姫をチラチラと追っている。

 それを見て勇が問いかける。


「え~~っと、撫でてみます?」

「ふぁっ!! 撫でっ!? よよ、よろしゅうございますか?!?」

 もはや言葉が崩壊してきている。


 そして先ほどから、アンネマリーの隣に座っているカリナが、後ろを向いて肩を震わせていた。

 全く笑いを隠しきれていないが、声を出すのだけは何とか阻止している。

 ふと自分の隣を見てみると、ルドルフは口元が引きつり、鼻をぴくぴくさせるにとどめていた。


 流石は歴戦の家令。カリナのような小娘とは踏んできた場数が違うなと、勇は妙な所で感心してしまう。


「はい。大丈夫ですよ。大人しい子なので」

 勇はそう言って織姫をアンネマリーの膝へと乗せた。

 ウトウトしていたからか、寝ぼけたようにアンネマリーを見上げると首を傾げ「うにゃ~」とひと鳴きする。


「きゃ、きゃわわわわわ!!」

 とうとう意味のある単語すら発せられなくなったアンネマリー。

 わなわなと震えながら目が完全にハートマークになっている。

 口が半開きなのは、貴族令嬢としてどうなのだろうか。


 そしてカリナは、ついに限界を迎えたようで、「ぶぷふぉぉっ」とこちらも意味不明な言葉を発していた。


「耳の後ろとか、喉を優しく撫でてあげると喜びますよ」

 勇のアドバイスを聞くと、コクコクコクと素早く頷き、恐る恐る人差し指で耳の後ろを撫でる。

 もふもふとした感触に表情がだらしなく緩んでいった。


 しばらく、だらしのない表情でアンネマリーが撫でていると、織姫がごろりと転がり膝の上で横向きになる。

「っっ!!!!!!」

 ついに言葉を発せなくなってしまったアンネマリーは、一心不乱に織姫の喉をモフりだした。

 ゴロゴロと喉を鳴らす織姫。気持ちよさそうにしているが、勇の目は誤魔化されなかった。


 誰に可愛がられるのが得なのか、それを一瞬で計算して織姫がされるがままになっていることを。


 10分ほど織姫のモフモフを堪能したアンネマリーが、やっと現実に戻って来た。

「た、大変失礼しました…。そしてありがとうございます」

 姿勢を正してそう謝罪するが、まだ頬が上気したままだ。


「いえいえ。織姫を可愛がっていただきありがとうございます。猫がお好きなのですか?」

「ねこ? この子、オリヒメちゃんは、ねこと言うのですか? こちらでは、このような愛くるしい生き物は見たことがありません」

 衝撃の事実が判明した。なんと、こちらの世界には猫がいないらしい。

 猫好きの勇にとっては衝撃的な事実だ。と同時に、織姫を抱いてきて良かったと心底思う。


「あの、マツモト様のいたところでは、このように愛らしい生き物を使い魔にするのが、普通だったのでしょうか?」

「使い魔、ですか? それはどういったものなのでしょうか?」

「主に魔法使いが、契約を交わし使役している動物や魔物のことです。コウモリや蛇などが一般的ですね」

「なるほど……。私のいた世界では、使い魔は存在していませんね。織姫はペット、いや私の家族の一員だと思っていただくのが一番近いかもしれません」


「家族、ですか。それは良いですね。こちらでは動物を家族のように扱う事はありませんので」

「そうだったんですね。今後はクラウフェルトさんも、織姫を可愛がってくれたら嬉しいです」

「そ、それは是非!!」

 再びアンネマリーの鼻息がフンスと荒くなる。


 そして勇は、先ほどのアンネマリーの言葉に不穏な単語がある事に気が付いていた。

 魔法があるのだから、おそらくいるだろうとは思っていたが……


「あの、先ほど魔物とおっしゃいましたよね? 動物とは違う生物がいると言う事でしょうか?」

「ええ。魔物は正確には生物とは異なるかもしれませんが、動物とは明確に異なるモノたちが存在しています」

 やはりいた。となると、後は程度の問題だ。


「そうなんですね。魔物とはどういったものなのでしょう? 人と敵対関係にあるのでしょうか?」

「はい。人に限らず、魔物は自分以外、特に魔物以外に対して非常に好戦的であり、襲ってくるものがほとんどです。それをお聞きになると言う事は、マツモト様のいた世界には魔物はいなかったのですね?」

「ええ。大型の肉食動物に襲われることなどはありましたが……。明確に人と敵対関係にある生物と言うのは存在していませんでしたね」

「そうでしたか……。それでは、そのあたりも含めて、この世界について簡単にお話しさせていただきますね」


 一瞬驚いた表情を浮かべたアンネマリーだったが、すぐに元の顔に戻ると、この世界のあらましについて勇に話し始めた。


 いつ頃から魔物がこの世界にいたのかについては、研究者の間でも色々な説がありハッキリとはしていない。

 しかし有史以来、常に人とは敵対関係にあり、脅威であり続けている事だけは確かな事実だ。


 動物と魔物の違いは明確で、魔核と呼ばれるモノの有無によって区別されている。

 魔核があれば魔物、無ければ魔物では無い。

 もちろん、単に魔核があるだけで人類の脅威になっているわけでは無い。


 エーテルシアにいる生き物は、余程の例外を除き皆魔力を持っている。

 しかし、その魔力を使いこなせるものはそれほど多くは無く、人であれば2割程度と言われている。


 ところが魔核があると、そこに魔力を蓄積し活用する事が出来るようになる。それも無意識に。

 魔核があるからと言って全てが炎をまき散らしたり石の礫を飛ばせるようになるわけでは無いが、大なり小なり全ての魔物は、魔核の魔力で自身の肉体を強化させているのだという。

 これが、魔物の魔物たる最大の所以だ。


 フィジカルが強い、と言うのは単純であるからこそ、その効果は絶大なのだ。


「なるほど。人類の脅威になる魔物が、世界中にいるのですね……」

「はい。エーテルシアではそれが当たり前であり日常なんです。ですので、我々領地を持っている貴族の最大の義務の1つが、魔物から住民を守る事なんです。街を壁で囲い、兵士が守る。街から街への移動も、今回のように騎士や兵が護衛につき、魔物の脅威から身を守ります。人が努力をして守ることで、やっと安全を得る事が出来るのです……」


 アンネマリーの言うように、エーテルシアには世界中に魔物がいるため、安全性が担保された場所が極端に少ない。

 農作物を作っている畑ですら常に魔物の影が付きまとう始末なので、城壁に囲まれた街のような安全な場所は希少なのだろう。


 気になっていた魔物の事がある程度わかったので、勇はもう一つ気になっていたことをアンネマリーに尋ねてみることにした。

「クラウフェルトさん、領地へ行った後、私はこの世界で何をしたら良いのでしょうか?」


 勇は、真っすぐアンネマリーの目を見て問いかけた。


 自分は何をしたら良いのか……。

 迷い人は手厚く保護されると言うが、半分は建前だろうと勇は思う。

 貴族と言えど、無駄飯食いは置きたくないはずなのだ。


「そうですね……。いずれは自領やクラウフェルト家の発展の一端を担っていただけるとありがたい、と言うのはもちろん本音としてはあります。過去、迷い人のもたらした能力スキルや知識の恩恵で、大きく発展した貴族家が実際にありますので……。

 しかし、望みもせず知らない世界に来た方に、こちらの都合を押し付けるのもおかしな話だとも思うのです。ですので、能力スキルの使い方も含めて色々な事をやりながら、時間をかけて何が良いか探していただければと思います。お世辞にも羽振りが良いとは言えませんが、その程度の余裕はありますので」

 そう言ってアンネマリーは優しく微笑んだ。


 この少女は聖人ではないだろうか?

 どこの馬の骨ともつかぬ男に、なぜそこまで言えるのか。

 少し泣き出しそうなのを誤魔化すため、勇はわざと明るく、かつ強引に話を変える。


「ありがとうございます!! と、ところでこちらには魔法があるとの事。私のいた世界には魔法は無かったので、どういったものか見せていただく事は可能でしょうか?」


 一気にしゃべったので妙に早口になってしまった。

 少し驚いた顔をしたものの、すぐに元の優しい顔でアンネマリーが答える。


「そうですね。マツモト様の能力スキルも魔法が関係していますし、良いかもしれませんね。私も少しですが魔法を嗜んでおります。大した魔法は使えませんが……。ここは馬車の中なので、それで丁度良いかもしれません。魔法が得意な騎士も同行しておりますので、派手な魔法はまた明日以降と言う事にして、本日は余興代わりに、私の魔法をお見せしますね」


 そう言うと、アンネマリーは少し腕をまくる。

 脇を少し開き肘を90度に曲げ、両手を目の高さでまで持ってくると、空中にある透明なボールを掴むように指を軽く曲げた。

 集中しているのが表情から見て取れる。

 どうするのか、と固唾をのんで見ていると、アンネマリーの両手がぼんやりと光りはじめた。


『水よ、無より出でて我が手に集わん…水球ウォーターボール


 静かに何事かを呟くと、手の周りに水色に輝く魔法陣のようなものが一瞬見えた後、空中から細かい水色の光が無数に現れる。

 それが徐々に集まっていき、ソフトボール大の水の玉がアンネマリーの手の平の間に浮かびあがった。

 絵に描いたような水の魔法に、勇が両目を見開き固まる。


 その様子をチラリと視界に入れたアンネマリーは微かに微笑むと、両手を水球の下へと移動させた。

 水球はゆっくりと天井付近まで上昇していく。

 アンネマリーが両手をゆっくり動かすと、それに連動するように水球が空中で踊る。

 動くたび、小さな水色の光が水球の周りに煌めいた。


 勇は、文字通り開いた口が塞がらない状態だ。

 膝の上の織姫も、目を輝かせてソワソワとしている。


 1分ほど水球のダンスが続くと、ゆっくりと水球が下降してくる。

 魔法を使ったときに準備したのだろう、直径30cmほどの木のバケツをルドルフが構えると、水球をそこへと誘う。

 あと10cmほどでランディングというタイミングで、突如白い影が水球に飛び掛かった。


「うにゃっ」

 と言う鳴き声が聞こえたかと思うと、水球が形を失う。

 そのまま”ばしゃっ”と派手な音を立て、ボウルを中心に勢いよく水が降り注いだ。

 突然の出来事に「きゃっ」とアンネマリーが小さく声を上げる。


 織姫による見事な猫パンチだった。

 あたりが派手に水浸しになったが、当人(当猫)はすでに安全圏に退避しており無事だ。

 水球を突いた右前足の肉球を、不思議そうにぺろぺろと舐めている。


「すすす、すいません!! 織姫、というか猫は、光ったり動いたりするものが大好きで、手を出しちゃうんです…」

 先程までの感動もどこへやら。青い顔で勇が謝る。

 しかしアンネマリーは、怒るどころかとても嬉しそうだ。


「いえいえ、何も問題ありませんよ。そうですか、オリヒメちゃんはウォーターボールが好きなんですね~」

 目を細めて織姫を撫でながら続ける。


「今のが水の初期魔法、水球ウォーターボールです。名前の通り、水の玉を作り出し操作する魔法ですね。込める魔力の量によって大きさや飛行速度が変わります」

「凄いですね。何も無い所から水を生み出すことが出来るなんて……! それに、水色の光がキラキラ光って、とても綺麗でした!どうやって使っているんでしょうか?」

 

 勇の常識では、何も無い所から水は生まれるはずがない。

 先程の現象を無理やり科学的に説明しようとするなら、空気中の水分を集めた、と言った所だろうか。


 勇の記憶では、空気1立方メートルあたりの水分量は15グラム程度だったはずだ。

 先程の水球は1キログラムはありそうだったので、60立方メートル以上の空気が必要だ。

 周りの空気から水分を集めれば可能ではあるが、特に湿度が下がった感じは無い。


「魔力を様々な現象に変換するのが魔法だと言われています。全てのものを生み出す素となるのが魔力で、それを集中させて魔法語の呪文と共に明確な形を思い描いて放出させるのです」

 魔力以外に必要なのは呪文とイメージのみ。まさかそれだけで魔法が使えるとは!

 衝撃的な事実に、勇のテンションは否応なく上がる。


「凄いですね!私も使えるようになるのでしょうか??」

「そうですね。使いこなせるかどうかは別ですが、マツモト様は鑑定である程度魔力があることが分かっています。少なくとも使う事は出来るようになると思いますよ」

「おおお!!」


 なんと!自分にもあれが使えるとは!!

 おそらく今まで生きて来た中で、最も心躍った瞬間だ。


「興味がおありでしたら、領都に着いたらお教えしますね。生憎今は手元に何も教材が無いので、すみませんが今しばらくお待ちください」

「はい! 是非よろしくお願いします!!」

「ふふ。これでマツモト様のやることが、ひとつ決まりましたね。また明日は、外で騎士の魔法を見せてもらいましょうか」

 アンネマリーの言う通り、勇はこちらの世界でやりたい事をまずはひとつ見つけた。


 それはちっぽけな目標かもしれないが、ようやくこちらの世界の住人の仲間入りが出来たような気がした。

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