第一章 監督一年目
第一話 「壁は大きければ大きいほど越えたくなる」
仁が相談のために慶太の元を訪れた二日後の四月四日。
「とりあえず、そんな感じだ。選手、コーチは全員、慶太のことを歓迎している。同じ歳のコーチがいるから、すぐに溶け込めると思う。問題はない。俺は土日の練習と試合には必ず顔を出すから」
この日の営業終了後の飯処渡のテーブル席で仁はそう話し、テーブルで書類の角を合わせる。
慶太は仁を見つめ、小さく頷く。
「どういうチームを作るかは慶太次第。要望があれば、絶対とは言い切れないが、できるだけそれに沿うようにする。監督の視点からチームに足りないものを俺達に知らせてほしい」
再び小さく頷く慶太。
仁は書類を封筒へ入れる。同時に、幹恵が仁に問う。
「ねえ、佐野さん。三年のうちに全国に行けなければ廃部って言ってたけど……」
幹恵がその先の言葉を発しようとした次の瞬間、仁は腕を組み、視線をテーブルへ。
慶太は仁の姿を見て、クラブが抱えている問題を察した。そして、恐る恐る尋ねる。
「もしかして…。スポンサーの問題か……?」
仁は少し遅れて小さく頷く。
慶太は唸るように息をつき、メニューを記した看板へ視線を向ける。
「なるほどな……」
慶太の囁くような声に幹恵は目を閉じる。
乗用車が店の前を通過すると、仁が口を開く。
「勝ち進んで、メディアに露出して、企業の名前を知らせる。それが俺達の役目だ。企業の名前を宣伝できなければ、スポンサーになる意味がないからな。このクラブは露出がほぼないに等しい。そりゃ、そういう話を切り出される。宣伝効果がないんだから」
彼の重たい声を聞き、今度は慶太が目を閉じる。
僅かに顔を俯けていた仁は顔を上げる。
「あ、ごめんな……なんか暗い気持ちにさせちゃって……別に、慶太に『スポンサーにもなってほしい』と言ってるわけじゃない。俺は、既存の企業さんのサポートで全国に行きたい。一部の企業さんは負けてもサポートを続けると仰ってくれている。でも、残ってくれる企業さんだけではクラブが成り立たなくなってしまうんだ」
慶太は目を開け、仁の目を見る。
「企業さんのため。そして、選手のプレーする場所を残すためにも」
続く仁の言葉に、慶太は立ち上がる。
仁は視線を慶太の目へ。
「三年だよな?タイムリミットは……」
慶太の問いに仁は少し戸惑ったように「おお……」と答える。慶太は答えを聞き、口元を緩める。
「ど、どうしたの……?お父さん……」
幹恵が戸惑うように尋ねる。彼女の声を聞き、慶太は視線を自身の妻へ。
そして、白い歯を見せる。
「壁は大きければ大きいほど越えたくなる。俺はその壁を越えてみたい。そして、その壁の向こう側にある景色を見てみたい」
慶太を見つめる幹恵。
仁は目を閉じると、口元を緩める。それからすぐに、目を開ける。
「『景色』か……俺達は壁を越えた先の景色を見たことがない。選手、コーチ全員、その景色を見たがっている。勿論、俺もだ。この壁を越えて、絶対にその景色に辿り着こう、慶太」
「ああ!」
二人は笑顔を交わした。
そして、四月六日の土曜日。
「私の友人、渡慶太君です」
山取市内にある野球場のグラウンドで仁が慶太を紹介する。彼の言葉に続き、慶太は自己紹介をする。
「監督に就任した渡慶太です。選手時代は大きな活躍を見せることができなかった私にこのようなオファーが届くとは思ってもいませんでした。右も左も分からず、皆さんにご迷惑をおかけすることもあると思いますが、このクラブのために私が持っているものを注ぎ込みます。この三年の間に絶対に全国へ。それが私の最大の使命。そして、このクラブを永く、山取に。皆さん、これからよろしくお願いします」
慶太が選手、コーチに頭を下げると、大きな拍手が起こる。彼の隣に立つ仁は微笑み、慶太に拍手を贈る。
すると、一人のコーチが慶太に歩み寄る。
「俺と同学年だね。投手コーチの
純一が笑顔で右手を差し出す。
「よろしくお願いします」
慶太は右手を伸ばし、握手を交わす。
すると、続々と選手、コーチが慶太の元へ。
「うちの子が
「僕、
あっという間にクラブに溶け込んだ慶太。
「皆さんのように実績があるわけではありませんが、こんな私についてきてくれますか?」
慶太が問うと、一同が「はい!」と声を揃える。
同時に、慶太の表情が引き締まる。
「監督、お願いします!」
打撃コーチの
一瞬戸惑った慶太だが、気を落ち着かせるように一つ息をつく。
「じゃあ、アップから」
「はい!」
選手は慶太の一声でウォーミングアップを開始。彼らを見つめる慶太の元に歩み寄る仁。
「壁を越える。俺達はこれまでいくつもの壁の阻まれてきた。だけど、その壁を越えるための仲間が加わった。本当にありがとう。オファーを受けてくれて。三年後、いや、その先も……」
仁の言葉はそこで終了。慶太は彼の続きの言葉を心で受け取る。
「存続させよう。このクラブを」
慶太の力強い言葉に目を閉じ、口元を緩める仁。
それからしばらくして、投手と野手が分かれて練習。慶太は練習を見て回る。
その途中、ノックを受けていた一人の内野手が慶太にアドバイスを求める。
「この時はね……」
慶太は動きを見せ、アドバイスを贈る。
「ありがとうございます!」
お礼を伝え、選手は再びノックを受ける。すると、グラブさばきが軽快になっていた。
ノックを受ける選手を見つめる慶太。そこに、仁が。
「さすがだな。このクラブを頼むぞ」
仁の言葉に慶太はゆっくりと頷き、仁とともに歩を進めていった。
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