Mission ~弱小野球クラブチームを全国へ~

Wildvogel

第零章 序章

第一話 挑戦

 「ありがとうございました」


 

 とある飲食店の店内を男性のやさしい声が包む。しばらくし、テーブルの食器を下げる音と水が流れる音が。


 

 「今日も繁盛だな。ははは」



 陽気に食器を洗うのはこの飲食店「飯処渡めしどころわたり」の経営者、渡慶太わたりけいた。この年、四十三歳。


 彼は小学校一年生から野球に打ち込んできた。大学まで選手としてプレーしたが、全国の舞台を経験したことがなかった。


 料理人を志していた慶太は大学卒業後に飲食店を経営する会社に就職し、修行に明け暮れる。そして、三十五歳で独立し、自身の店を構えた。


 開店当初から彼の友人が足繫く通い、彼らからどんどん店の存在が知られ、繁盛するまでの店に成長した。


 飯処渡では、三人の従業員が働いている。そのうちの一人が慶太の妻である、幹恵みきえ。慶太の一つ年下。彼女とは高校で知り合い、二年生の時から交際を開始。そして、慶太が二十七歳の時に結婚し、その三年後に長女が誕生した。


 

 六時丁度。洗い終えた食器を棚へ入れる慶太。戸を閉める音からすぐ、店のドアが開く。



 「いらっしゃい」



 慶太の声からすぐ、男性の声が。



 「慶太!元気か?」



 笑顔で慶太に声を掛けたのは彼の小学校時代からの友人、佐野仁さのひとし。彼と慶太は小学校から高校までチームメイトだった。



 「おお、珍しいな。スーツ姿で来るなんて。何かあったか?」



 慶太の言葉に、何かを感付かれたかのように苦笑いに近い表情を浮かべる仁。



 「ちょっと、相談したいことがあってな。今、忙しいだろ?閉店後にまた来るよ」


 「相談?どんな相談だよ?」


 「話すと長くなるんだ。閉店後に改めて話すよ。じゃあ、また後でな」


 「おう」



 それからすぐ、ドアが閉まる。慶太はドアを見つめ、唸るように息をつく。



 「何だろうな。俺に相談って…」



 慶太の言葉からしばらくし、幹恵が彼にこう話す。



 「そういえば、佐野君って会社員として働きながら、野球のクラブチームの副部長を務めてるんだっけ?」


「ああ…。そういえば、そんなこと話してたな…」



 腕を組み、天井を見つめる慶太。


 

 「クラブチームか…」



 慶太がそう呟いてからすぐ、来客。慶太達は笑顔で出迎えた。




 夜八時。


 営業が終了し、食器を洗う慶太。


 食器を洗い終え、棚を開けると同時に、店のドアが開く音が。



 「手伝おうか?」



 笑顔の仁。



 「ははは!もう終わったよ。ちょっと遅かったな」


 「そうか、もう洗い終えたか!」



 笑い合う慶太と仁。



 慶太は食器を棚へ入れ、戸を閉める。



 「で、何だ?相談って」



 キッチンから出た慶太は仁をテーブル席へ促す。


 頭を下げ、椅子に腰掛けた仁は鞄から封筒を取り出す。そして、一枚の書類を抜き取り、机上へ。


 書類へ目を通す慶太。彼の表情は文を追うにつれ、やや険しくなる。そして、最後の行まで目を通すと、低い声が漏れる。


 

 「おい、これ…」



 その言葉と同時に、慶太は視線を仁へ。


 仁は小さく頷く。そして、姿勢を正し、こう切り出す。



 「慶太、頼みがある。このクラブチームの監督になってくれないか?この通りだ」



 慶太の視線の先には頭を下げる仁の姿が。

 

 同時に、仕込みを進めていた幹恵が慶太を見つめながら菜箸を取り出した。



 

 

 山取やまとりベースボールクラブ。


 四年前から仁が副部長を務める山取市に拠点を置く野球クラブチームだ。三十人以上の選手が在籍し、主に土日に練習と試合を行なっている。


 しかし十五年前に創設以来、都市対抗野球などの予選で勝利を収めたことがない。何度も監督交代を繰り返し、各大会に挑むが、いずれも一回戦敗退。


 有望な選手を企業チームや他のクラブチームに獲られたことが大きな要因ではないかと言われ続けた。


 仁は四年前まで山取ベースボールクラブでプレー。しかし、怪我の影響もあり、大きな活躍を見せることができないまま選手生活に別れを告げ、副部長に就任。主に、監督、コーチの招聘などをこなしている。



 

 慶太は書類を右手に持ち、こう話す。



 「嬉しい話だけど、いいのか?俺は選手時代に大した実績を残していない。選手はそんな俺の言うことなんか聞いてくれると思うか?」



 不安が窺える慶太の声に仁は顔を上げる。


 同時に、仁の眼光が若干鋭くなる。威圧しているわけではない。



 慶太が書類を机上へ。同時に、仁が言う。



 「選手時代の実績なんか関係ない。大事なのはどう伝えるかだ。俺は慶太が後輩に指導する姿を何度も見てきた。お前が指導した後輩は次のステージで活躍した。皆言ってる。『渡さんのおかげ』だと。だからこそのオファーだ」



 仁をまっすぐ見つめる慶太。


 仁は続ける。



 「三年間。この期間の中で全国に行けなければ運営不可能となり、廃部になってしまうんだ。選手のプレーする場所を奪ってしまう。俺はそんなことをしたくない。野球したい選手がいる限り、プレーする場所を提供したい。分かってくれ、慶太!」



 再び頭を下げる仁。


 この時、慶太の心にある何かが動いた。



 慶太は唸るように息をつくと、再び書類を右手に持ち、文面に目を通す。


 最後の行まで目を通した慶太は目を閉じる。瞼の裏には自身の選手時代の映像が。


 金属バットの打球音。ボールがグラブに収まる音。


 そして。



 「挑戦してみないと分からないじゃん」



 女性の声で目を開ける慶太。そして、声のする方向へ視線を移すと、微笑む幹恵の姿が。



 「野球は素人だけど、私もできる限りのサポートをするから」


 

 幹恵が続けると、慶太は視線を仁へ。


 仁は顔を上げ、じっと慶太を見つめる。

 

 熟考する慶太。




 そして、十分後。




 「分かった。引き受ける」



 慶太が出した答えに笑顔で頷く仁。


 そして、溢れ出そうになったものをなんとか抑え、右手を慶太へ差し出す。



 「よろしくお願いします。監督!」


 「こちらこそ、よろしくお願いします。副部長!」



 微笑みながら握手を交わす友人二人の姿を見つめる幹恵。



 「俺がこのクラブを変えてみせる…!」


 「俺もサポートするからな…!」



 渡慶太の挑戦、ここに開幕。

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