平成の残滓

「平成は引退しました。あーあ」

 笑い声のように乾いた、無機質の音が転がる。私は声がしたほうを向いて、ビビッドな色彩の山に眉を寄せた。

 三原色のプラスチックブロックの山。その上に転がる魔法の変身アイテム。たまごから出てこない電子ペット。

 ファー、ブルスコと未知の生物が鳴いている。

 ――足の踏み場がない。

 プラスチックブロックの角を踏まないように、私はベランダの窓へと手を伸ばした。

「いやもう令和六年だけど、今さら?」

 からら、とガラス戸を開ければ雨上がりのひんやりとした空気が部屋に入り込む。するとウワーッと情けない悲鳴が部屋の奥で上がった。

「わたくしは諦めないぞ! ここだけ平成とする!」

「軽率に時空ねじ曲げんでもろて」

 カラフルな山から細い腕が突き上げられた。裸電球を模したLEDライトが柔らかく照らす部屋の主は、オーバーサイズの白いTシャツ一枚と下着だけの姿で山の上に大の字になっていた。

「とどのつまり」

 部屋の主――ああ、ルームシェアの片割れ、名前を原田という。原田はがばりと起き上がり、壁際にうずたかく積み上げられた長方形たちのひとつを手に取った。薄いそれから8mmCDが顔を出す。ぱき、という音と共に取り出したそれをコンポに放り込む。

「わたくしは美少女戦士にもなれず、魔法使いにも会えず、勇者と旅する女の子にもなれなかった」

「まあ、そうだろうね」

「黄色い子犬なんてどこに探したっていやしない」

 こんなにも不幸せなことがあろうかと言わんばかりのルームメイトに、私は盛大にため息を吐く。そろそろ片腹が痛いのでプラスチックブロックの山に埋葬してやろうかと、よくない考えがよぎりはじめた。

「令和もいいものだよ。楽しいこともあるし……」

「六月のくせしてアホみたいに暑いのに!?!?!?」

「ここが暑いのは君が六月にもなってクーラーを修理せずに窓を閉め切っているからです」

 あと片付けろ。私はリビングに戻ろうとして、ブロックを踏みかけた。ブロックの角を踏んで痛みに悶絶しあえなく死亡した場合、彼女を罪に問えるだろうか。

「まあ、懐かしむのは簡単だ。未来も悪くないなんて言いたくもないけど……とにかく、良いこともある」

「たとえば」

「このご時世にもなってフィルムカメラの新作が出た!」

 ややトーンが明るくなったのが、自分でも分かる。反面、原田の目は冷ややかだ。

「君、もう持ってるじゃないか。……何台も」

 中古品。うってかわって冷静に言い放つ原田の視線から逃れるべく、私は彼女の部屋から出た。

「それにしても暑い。かき氷作ろう」

「あっ、逃げた。緑色でお願いします」

「はいはい」

 部屋の奥から飛んでくる声に返事しながら、私は冷蔵庫を開ける。


 女の子の笑い声みたいな、かわいいプラスチックの音。わたくしを笑っている。平成の亡霊といえば、少し意地の悪い言い方だ。

 ふと横を見れば、魔法の変身アイテムが転がっているのが見えた。天井へと突き上げていた手でそれを掴み、その切っ先を虚空へ向けた。

「マージマジ、マジカルマジカル」

 適当な呪文を唱えながらボタンを押す。ポップで明るく、ひび割れた音がそれから流れて、窓からの陽光にかき消されるようなライトがアイテムを輝かせた。

「ここが平成になぁれ」

 眠たい声で言ってみた。カセットテープみたいに令和が平成に巻き戻るなんてそんな非現実があるわけないと思いながら、わたくしはくるくると変身アイテムを振り回し――。


 窓の外から爆音が聞こえてきて、私はペンギンの頭の上のレバーを回すのを止めた。

「なにごとよ」

「わ、ワ……」

 ブロックの山から転げ落ちた原田が、口をぱくぱくとさせて窓を指さしている。そちらを見れば、登ってこられるはずもないベランダに、人影があった。逆光でどんな顔立ちなのか、うかがい知ることが出来ないが兎に角、多分、女の子だろう。どこか見覚えのある魔法少女の格好をしている。いや、でもいまのご時世、魔法少女の格好をした男子だっているので断定は出来ない。

「ここを!」

 魔法少女が叫ぶ。断定する。女の子だ。魔法少女は水はけの悪い狭いベランダに仁王立ちになって、私たちに叫んだ。そして、小柄な装いのどこから出してきたのか、額縁を取り出してきた。

「平成とする!」

 その額縁の中には達筆な字で、平成と書かれていた。まさに政府の偉い人が「平成です」と見せつけていたアレそのものだ。

「マジ? ほんもの?」

「違います!」

「アッはい……」

「でもここが平成なのは事実です!」

 やけに堂々と叫ぶので、隣近所に迷惑だからやめろと言い切れず、私は口を閉ざす。原田は相変わらず、何かを言いたげに口をぱくぱくとさせて、まるで鯉のようだった。

「本当に、平成?」

「はい!」

 きっぱりと言い切る魔法少女が眩しくて、私は目をそらす。壁にかけたカレンダーにはたしかに平成と書かれていて、目眩を覚えた。

 一度リビングに引っ込み、カバンを漁る。緑とゴールドの使い捨てカメラを取り出して原田の部屋に戻り、私はとりあえず、魔法少女に向けてシャッターを切ったのだった。

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