コインランドリー
チキチッ、と照明が明滅したのを感じる都度、いよいよそれを交換しなければならないなと思うのだがどうにも踏ん切りがつかない。
「早いうちに交換したほうがいいんじゃないか?」
「分かってるよ」
壁際のパイプスツールに腰掛けた客が天井のそれを顎でしゃくるのにうんざりした声で返せば、先週も言ったのになと言いたげに肩を竦められた。
「忙しいんだ」
「施設の洗濯物を畳むのに?」
投げつけられた揶揄への返答がわりにぱん、とバスタオルを伸ばす。年季の入った壁や床を命尽きかけの照明が照らすコインランドリーの店内はくすんでいて、乾燥したてのバスタオルはいっそう白く衛生的に見えた。
中央に設置されたテーブルに、慣れた手つきで畳んだそれらを置いていく。籠に放り込まれた成果物を手に取るたびに、ほっとするようなやわいあたたかさが手のひらに伝わった。
「しかしまあ、お人好しだな。君。別に放っておいても構わないだろうに。それも彼らの仕事だろ?」
「……一度やってしまったものは、やめてしまうと相手にがっかりされるのさ。『今までやってくれたのに。不親切だ』ってね」
柔らかで軽いタオルも畳んで積み上げれば、五段ぐらいでバランスが取れなくなる。斜めになりかけたタオル・タワーの横に新たに畳んだそれを置きながら、店主はため息交じりに籠の中の白を睨みつけた。
「――ご愁傷様」
「まあ、嫌いじゃないよ。こうやって夜の暇つぶしになる。こういう夜は特に――」
店主の言葉を遮るように、遠くで雷鳴が唸った。ちらと外を見やれば、強い雨が降っている。嵐とまではいかないが、夜闇の中で雨粒はガラス扉をしとどにしていた。
本降りになってきた様子に客は片眉を上げる。それから自分の洗濯物を今まさに乾かしている機械を見やり、肩を落とした。
「困ったな」
「ご愁傷様」
すまし顔の店主の言葉が苦々しいと顔をしかめ、客はパイプ椅子からのっそりと立ち上がる。手をジャンパーのポケットに突っ込めば小銭の音が鳴った。ちゃりちゃりと指先でそれらを弄びながら、自販機の前に立つ。
これも例に漏れず年代物で、ダミーボトルを照らす蛍光灯も弱々しい。取り出した小銭を三枚ほど入れれば、ボタンがぱっと赤く点いた。そのうちの一つを押せば、ガコンと派手な音と共に缶コーヒーが落ちてくる。蚊の鳴くような電子音が鳴るのを見守ってから、客は落ちてきた飲み物を拾い上げた。
「止むと思うか」
「朝までには」
再びパイプ椅子に腰掛けながらプルタブを軽やかに開け、呷る。それじゃ困るよ、こんな古くさい店で一晩だなんて、とぼやけば店主は一瞬ムッとした表情をさえ、それから無言で壁を指さした。そこにはタクシーの電話番号が貼っている。
「徒歩五分なのに呼べると思ってるのか、君」
「ならこの〝古くさい店〟で一晩過ごすんだね」
ようやく終わった、と店主が三つのタオル・タワーを前に満足そうな顔で頷く。あとはこれを渡された袋に行儀良く詰めれば、施設の職員がさも当然といった顔で取りに来るだろう。――一仕事を終えた達成感を得た瞬間。
外が白んだ。破壊的な音、落雷である。うお、と客が驚いた声をあげれば、乱暴に消し去られた夜闇はそろそろと己を取り戻し、数秒もしないうちに再び真夜中に相応しい姿になった。
「近いぞ」
椅子から腰を浮かして客が外の様子を窺うが、落雷はその一度きりだったようで、先ほどと変わらぬ強さの雨が何食わぬ顔で降るのみだ。酷い天気だな、と店主が嘆くと同時、ついに天井の明かりがフツと消えた。
すわ停電か、と身構えるも洗濯機と乾燥機は変わらずに動き、自販機もぼやぼやと微睡んでいる。
「ご臨終だ」
「だから早く換えておけと言っただろ」
呆れ混じりの小言を聞き流しながら、棚を漁る。暗闇の中で微糖コーヒーを飲みながら、客は落ち着かない心地で店の外を眺めていた。おかしいな、と呟く店主の声色に、不安がよぎる。
店内と外の境界が曖昧になっている気がした。ちらつきながら、くすんだ光を孕んでいた室内は今やわずかな明かりだけが浮かび全ての輪郭を曖昧にしている。そしてガラス扉一枚が頼り無いままで、あれが割れればきっと夜闇そのものが流れ込み、自販機の明かりさえも覆ってしまうのではないか、店内も自分たちも雨や洗濯物と共に取り込まれるのではないかなどと、思えてしまうのだった。
「無い!」
「無い!?」
奥で輪郭を失った店主が叫ぶ。無い、というのは勿論、電球のことだろう。在りさえすれば交換するだけでここは光を取り戻せるというのに、この店の店主は用意が悪い。一週間前から電球が切れるという予兆を知っていた筈であるのに、予備を用意するのを忘れたという。
いよいよ腹が立って、客は膝を揺らした。ガス乾燥機が唸るこの薄暗がりの中で一晩。想像しただけで気が狂いそうだ。いっそあと数十分で洗濯したばかりになる服も己も、びしょ濡れになって帰ったほうが良いとさえ思えてきた。いや、なんなら三倍払って良い、タクシーを呼ぶべきか。苛立ちと共に空き缶をゴミ箱に放って考える。
「いやあ、困った」
のんびりとした声にはっとそちらを見た。暗闇の中で店主が、立ち竦んでいる。その手には埃っぽいランタンが提げられていて、それは蝋燭を抱き、灯火を揺らしている。人差し指ほどの小さな火であるのに、自販機の明かりよりも力強く、四方を照らしているように思えた。
「でも電球の代わりを見つけてね。一晩はもつさ」
「……」
ランタンをじっと見つめる客をちらりと見やり、ランタンをテーブルに置く。そしてもう片方の手に持っていた瓶とショットグラス二つをその傍に置いた。
「それに、いいものを見つけた。飲もう」
グラスを拭き、埃をぬぐう。瓶を傾ければ琥珀色がグラスを満たした。それがランタンの明かりに照らされて、艶めかしくきらめいている。
「飲むって……あんた仕事は?」
「もう誰も来ないさ。お望みなら閉店するよ」
ちょうどいい理由を得た、とエプロンで手を拭きながら店主がガラス扉に歩み寄り、オープンボードを裏返す。
さあこれでおしまい、と振り向いて客に微笑む姿、その輪郭が稲光と共に浮かび上がる。
客が、おずおずとショットグラスに手を伸ばす。顔に近づければ、独特な芳香が鼻腔に触れた。呷る。喉が、かっと焼けるような心地に目を瞑り、そして開く。
動いていない乾燥機のまるい窓が暗闇を孕み、並んでいる。その中の一つ、己の服が入れられた一つだけが、ガタガタと震え、唸り、何かに抵抗しているように見えてくる。
度数が強い酒だったのだろう、目眩がする。狭いところに押し込められて、そのまま――そのまま、ぐるぐると存在をかき回されるような気分になり、ひとつ、呻いた。
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