解語之花
育てていた植物が花を咲かせた。
「あなた、水をやりすぎですよ」
一輪の花だ。一ヶ月ほど前に近所の花屋で買ったものだった。毎日水をやって、今日の朝がたに花が咲いた。目覚めた時、窓際に咲くそれを見た瞬間、私は咲いた、とただ思った。朝の光に輝く花びらをぼんやりと眺めるほどには、嬉しかった。
問題は、その花が喋る花だったということである。
「それとここは日差しが直接あたるじゃないですか、肌に悪いので少し移動したいのだけど」
花は口もないのによく喋った。僕ははい、はい、と二つ返事で鉢植えをちょうど良い場所に運んだ。花は僕の部屋を、なんて狭くて殺風景なのでしょうと文句を言ったが、その殺風景さを和らげたくてこの花を買ったというのにずいぶんと理不尽である。
「白が好きなのですね、あなた。私が白じゃなくて残念でした?」
花が問いかけてくる。そうでもないよ、と答えれば、あれ、とゆらゆらと小首を傾げて、そのうちくすくすと笑った。笑う度に瑞々しい葉が震えて、僕はいいなあ、と思うのだ。
ある日、テレビを見ていると花は、あ、と声を上げた。
「素敵な花」
番組はちょうど平成レトロ特集と銘打って、僕達にとっては身近だったものに、古いもの、過去のものというレッテルを軽妙に貼り付けていた。使い捨てカメラ、匂いのするペン、育成ゲームのキーホルダー。そういったものの中に、サングラスをかけた花のオモチャがあった。音に反応して踊り出すそいつは、なぜか当時の若者にウケたが、買ったとしても数日でうるさい、と電池を抜かれて、ただの花の置物になったものが大半だろう。
「サングラスつけて、おしゃれですね。ひまわりみたいなお顔。しかも踊れるなんて、なんでも出来るかた」
そうだねと適当に相づちを打つ。音に合わせてクネクネとするそれにきゃあきゃあと黄色い声をあげる花は、僕にとっては音に合わせて踊る花より珍しい。
「秘すれば花なんて言うじゃないですか。皆喋れるのに花は静かにしていたほうがいいなんて澄ました顔で黙りこくっているんですよ。ただ黙って風にゆらゆらと揺れて、それでも綺麗なのだけども」
君はそうじゃなかったんだね、と返す。そう、だってあなたのせいですからと花は言った。
「あなたが毎日水をばかみたいに飲ますものだから」
僕が水を適切にやっていれば、この花は喋らなかっただろうか。じっと黙りこくって、窓際、時折吹く風にゆらゆらと揺れて、僕はそれを眺めるだけだっただろうか。
それはそれで、寂しいと思った。水をばかみたいにやっておいて、良かったと思う。
花は、長生きした。僕が思ったよりも、長生きをした。
「わたくし、そろそろ死にますの」
寂しそうな声でぽつりと呟いたそれに、僕は視線だけを移した。そこには初めて会った日よりも萎れた花びらをつけた花がいた。何かあるごとに揺れていた瑞々しい葉も、先の色が薄くなって、どこか元気がない。
そう、と頷いた。僕はゆっくりと息を吐く。
「ねえ、花が喋るだなんて嫌でしたか? 姦しいやつだ、とか、黙っていれば美人、だとか、思っていたら申し訳がないのだけど」
今更言うのか、と口元が緩む。それを見たのか花は、ほっとしたように皺の出来た花びらを震わせた。
「あなたもそろそろなのでしょう」
僕は頷く。遠くで電子音が規則正しく鳴っているのを聞きながら、殺風景な部屋――それを僕達は病室と呼ぶのだが、その白い壁、家具、シーツ、そこに出来た膨らみを見渡した。ゆっくりと、息を吐きながら。
「鉢植えなんて、縁起でもないものを置いたのですね。あなた」
花が笑う。僕は何も答えなかった。ただピッピ、と電子音が部屋に響いて、久しぶりにこの部屋が静かになったことにどこか新鮮さを感じた。しかしすぐに、どこか物足りなさを覚えて、僕は視線をまた花にやって、それから。
美しい君に会えたから、良かったよと言った。
花はまあ、と声をあげて、それから花びらをひとつ、鉢植えの土に落としたのだった。
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