夕焼けのくだもの

「ここで」

 狭い空間の中で声が響く。座っていた席のすぐ傍に張られた窓、そこから見える夕暮れの山々を眺めていた私はその声につられて、目の前を見た。そこには無愛想と呼ばれがちな、への字に結ばれた口を薄く開いた佐藤が、同じように反対側の景色を眺めていた。

「ここで、馬鹿みたいに笑って」

「うん」

 この人から話を切り出すなんて珍しいこともあるものだと驚き、頷いたものの佐藤はこちらを一顧だにしない。

「そうしたらゴンドラは揺れるだろ」

 そりゃもう馬鹿みたいに笑う。足をばたばたさせて、硬く冷たい席をばんばんと叩いて。そしたらぐわんぐわん揺れるわけ。暴風に煽られた林檎みたいに、ぐわんぐわん。

「うん?」

 話の意図が掴めないまま、ほんの僅かに疑問符を付け足してもう一度頷いた。それでもやはり、佐藤は眼下、帰り行く家族や若いグループの蟻のような影を見下ろしているだけだ。

「で、揺れに耐えられなくなって、ぷつっと千切れる」

「何が」

 す、と無言で天井をさす指につられて視線を動かす。天井の向こう、この真っ赤なゴンドラを吊り上げている一点を。人がげらげらと大爆笑した拍子の揺れごときでその一点がどうなるわけではない事は分かっているが、想像力を働かせてみればぞっとする。

 ぷつっと千切れて、引力に逆らえない林檎のようにゴンドラが落ちるのだ。夕焼けの中、落ち行く丸いゴンドラは、遙か下の地面とぶつかる衝撃に耐えられるだろうか?

「地面にぶつかって、ぐしゃ、だよ。きっとね、こんなに硬いのに、地面に落ちてひしゃげた林檎みたいになる」

 佐藤の軽く握った拳がこんこん、と席を叩けばその音も響いた。叩いた拍子に生まれた震動も、どこか不安になってくる。

「ねえ、笑ってみようか。馬鹿みたいに」

 あのへの字にひん曲がっている筈の唇が歪む。

「そりゃもう、大爆笑だよ。馬鹿みたいに笑いながら、僕達は落ちていくんだ」

 素敵だ。これ以上ないほどにロマンチックなことはないよ。肩を揺らしていびつに笑う佐藤に、私は曖昧に頷いた。

「いい落ち方だと思うよ」

 今思えば、これ以上ないほどにロマンチックな落ち方だよ思う。夕焼けのなかのろのろと動く観覧車のゴンドラの中、初めて笑みを見せた佐藤。

 ほら、ぷつりと音が聞こえるでしょう。

「試してみようか」

「是非とも」

 そう言って、私達は破顔した。馬鹿みたいに笑って、赤いゴンドラを揺らしたのだった。

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