4 好き好きアピール
スヴェータと一週間ほど絡んでみて、気づいたことがある。
彼女は日本語がわからない。けど、読み書きはそれなりにできるらしかった。
「ではこの問題を……スヴェトラーナさん、解いてみて」
「……」
先生に当てられ、周囲から否応なく視線を集めるスヴェータ。自分の名前を呼ばれたことには気づいてたのだろう。
席を立ち、黒板に書かれた問題をスラスラ解いてみせる。
「はい、正解です。難しい問題なのに、よく出来ましたね」
「……」
「スヴェトラーナさん? 席に戻ってもらって大丈夫ですよ」
「……?」
先生の言葉に小首をかしげるスヴェータ。チラと視線が僕の方を向いたので、助け舟がてら身振り手振りで合図を出してやる。
と、そこで得心がいったとばかりに席へと戻る彼女。僕はその様子に内心でため息を吐いた。
彼女は日本語がわからない。それも、リスニングが致命的なのだ。
読むのも書くのもそれなりにできる。きっと地頭がいいのだろう。
だけど、話すことはおろか、聞くことすらまともにできないらしかった。
まぁ、日本語ってのは発音が独特らしいし、ひらがなやら品詞やらと数も多いし複雑だしで難しいのもうなずける。
よくテレビでインタビューを受けてる外国人がカタコトなのもそのせいだろう。
だからといってこのままでいいわけがない。早くも学校生活に支障をきたしているのだ、先のことを考えるに日本語の話し方を覚えた方がいいと思う。
カンペで乗り越える場面にも限界があるし。
「(日本語、ちょっとずつ練習してみない?)」
授業と授業の合間の休み時間。やってきたスヴェータに対し、僕はそう提案してみた。
すると彼女の瞳に星が瞬いたような、強い輝きが見えたんだ。
「(練習したいわ。ワタシも日本語が話せるようになりたいの)」
「(よかった! 日本語が嫌いとかじゃないんだね?)」
「(嫌いじゃない、けどとっても難しくて。うまく発音できないのよね)」
「(最初は誰だってそうだよ。まずは簡単な言葉からやってみようか)」
こういう時に選ぶのは、「ありがとう」がいいだろうか。相手に感謝を伝える際に無言なのは印象が悪いし、一言添えるって意味では最適かもな。
僕はそんな風に考え、スヴェータに伝えてみることに。
「ありがとう。(ゆっくりでいいから言ってみて)」
「あい、がと」
「(惜しいっ! 一音ずつ、声に乗せることを意識してみて)」
「あ、うぃ、あ、と」
「(うんっ、悪くないよ。繰り返せばきっとできるようになるから)」
スヴェータが必死で伝える様子を、隣で応援する僕。はたから見たら我が子の成長を見守る父親のような感じだったりするんだろうか?
なんとも複雑な気分だ。どうせなら……と、その関係性を頭に浮かべてしまい、慌ててブンブンと頭を振る。
鞍馬に言われたことが頭をよぎり、顔がどうしようもなく熱い。まだ肌寒さが残るってのにじんわりと汗をかいてしまう。
べつに、そういうんじゃない。彼女にとっては頼りにできるのが僕だけだから、こうして話しかけてくれてるんだ。
深い意図なんてない。だから、勘違いしちゃダメなんだ。
自分の身勝手さにちょっとだけ腹が立つなか、スヴェータの言葉が尻すぼみになっていく。
「あ、うぃあ、とう……。(やっぱり、うまく言えないわ)」
「(うーん、さすがに長かったのかもね。もっと短い言葉なら)」
「――スキ」
「へ?」
突然のことに素っ頓狂な声がもれてしまった。バクバクバクと心臓が脈を打ち、彼女から目が離せない。
いや、だって、こんなの、平然としてられる方がおかしいだろう。
いま好きって、好きって言った……?
口元をわななかせる僕をよそに、スヴェータは平然とした様子だ。
「(パパとママがよく使う日本語のひとつなの。二人とも幸せそうにしてた、からワタシもこっそり練習してた)」
「(そ、そうなんだ……)」
「スキ」
「っ」
身をこわばらせる僕の前で、笑みを浮かべるスヴェータ。
お互いの視線を絡めながら、彼女のピンク色の唇がまたもその言葉を紡いでいく。
「スキ」
「ぁ、う……」
耐えられなくなって目をそらしたとたん、銀色の髪をかきあげながら、スヴェータが距離を詰めてくる。
僕の耳元にまで迫ってきた彼女は、吐息混じりに熱く語りかけてくるのだ。
「……スキ」
「(っ、ストップストップ! 上手に言えてるから! もうやめて!)」
これ以上は僕の身がもちそうにない。慌てて身を引けば、なにやら満足そうな顔で腰に手を当て、鼻を鳴らしている。
好きが上手に言えたことが嬉しかったんだろう。確かに、真に受けてしまいそうなほど発音がよかったもの。
この胸の高鳴りは墓場まで持ってくつもりだ。
「(ふふ、たくさん練習できてよかったわ。ツムギのおかげね)」
「(それならよかったよ……)」
「ツムギ、ありがとう」
「っ、いま……!」
うまく発音できてたと口にしかけたところで、次の授業を告げるチャイムが鳴ってしまった。
クラスメイトの動きにあわせ、スヴェータも席に戻ろうとして、チラとだけこっちを見た。
彼女の頬がほんのりと赤らんでいたのは、日差しのせいだろうな。
すっかり余裕のなくなった僕には、そんな風に思うことしかできなかったんだ。
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