2 スヴェータとの出会い


 ――彼女と知り合ったきっかけは、入学式でのことだ。

 

 春から新入生として高校に通うことになっていた僕は、希望に満ち溢れていた。

 新しい制服に袖を通し、まだ見ぬ友との出会いを思い描いては胸を躍らせたものだ。妹にも「星みたいな瞳をしてる」とからかわれたっけ。

 両親とともに自宅を出て、意気揚々と車で高校へ。


 『さぁ我が息子よ! 見聞を広げて来い!』


 高校にたどり着いた矢先、父さんに背中を押された。視界いっぱいに飛び込んできたのは、真新しい顔ばかりが並ぶ、未知なる世界。

 僕と同じ新入生な彼ら彼女らも緊張していたんだろう、ちょっと近寄りがたい雰囲気があったんだよな……。


 けど、そのなかでもひときわ異彩を放つ存在があったんだ。銀色の長い髪、澄みきった青い瞳。そして、息をのむほどの美しい顔立ち。

 ほかのみんなも同じように彼女のことを見ていた。否、見惚れていたといった方が正しい。

 胸元を飾るリボンは彼女の瞳と同じ青色。僕らと同じ新入生のようだった。


 見た目からしてロシアか、それに近い国の人かな? なんて思ってたら、彼女は校舎の方へ歩き去ってしまう。

 その瞬間、入学式があるんだっけと気づいたものだ。


 ――で、肝心の入学式だけど、つつがなく終わった。小学校や中学校と同じような流れだったので、真新しさは特になかったっけ。

 ただひとり、彼女の存在を除いて。


 『すっごい綺麗な子……外国の人かな?』

 『おい、誰か話しかけてみようぜ』

 

 僕だけじゃなくみんなも気になったみたいだった。逸る気持ちが前に出たのか、話しかけに行く勇者も現れた。

 しかしほとんどの人はすぐに戻ってきたんだ。


 『全然相手にされなかった……』

 『思いっきり無視されるんだが』

 

 どうやら彼女は孤高の人物らしい。残念だけど、仲良くはなれなさそうだった。

 

 同じクラスになったといっても、彼女はやはり誰にも話しかけず。また、話しかけるなオーラのような冷たい雰囲気をまとってさえいたんだ。

 担任となった先生の号令のあと、しばらくキョロキョロと辺りを見回した彼女は、教室を後にした。

 そこでなんとなく違和感のようなものを覚えた僕は、勇気を振り絞って声をかけてみることにしたんだ。

 けど、それより先にほかの男子が、彼女に声をかけた。


 『なぁキミ、せっかくだからさ、このあとどっかいかないか?』

 『……』

 『なんなら俺んちでもいい。キミのような美女は大歓迎だぜ!』

 『……?』


 キザな男子のしつこいぐらいの絡みに、無を貼りつけたような冷たい表情を浮かべる彼女。時おり小首をかしげてさえいる。

 コントのようなその光景をじっと眺めていた僕は、ようやく違和感の正体に気づいたんだ。

 あの子もしや、日本語がわからないんじゃ……?

 

 瞬間、僕は一世一代の決心を決めて、彼女に話しかけたんだ。


 『(こんにちわ)』

 『っ!』


 話しかけられたとたん、大げさに目を開いてみせる彼女。数ある選択肢のなかからロシア語を選んでみたんだけど、ビンゴだった。

 話が通じたことにホッと息をついてたら、横にいたキザ男子が割って入ってくる。

 

 『おいおいアンタ、口説く順番は守んなきゃダメだろ? てか今なんて言ったんだ?』

 『(ねぇ、この人キミのことが好きらしいんだけど、キミはどう思ってる?)』

 『(……好きじゃないわ。ぜんぜん知らない人だもの)』

 『(そっか。)――あの、たいへん申し上げにくいんだけどさ……高身長のイケメンで偏差値八十、年収一億以上稼ぐような人にしか興味ないんだって』

 『は? はぁ!? そんなん無理に決まってんだろ! 冗談じゃねぇ』


 ホッ、僕の言葉を真に受ける素直な人で良かった。

 悪態をつきながら去っていく男子をよそに、彼女の視線は僕にじっと注がれている。

 青い瞳に射抜かれて心臓をバクつかせるなか、ポツリと言葉を漏らしたのだ。


 『(ありがとう……助けてくれて)』

 『(あ、うん。困ってるみたいだったから)』

 『(あなた、ロシア語がわかるのね)』

 『(ま、まぁね。僕の数少ない特技というか)』

 『(名前)』

 『(え?)』

 『(教えて。あなたの名前)』

 『(綿谷紬季だけど……)』

 『(ツムギね。ワタシはスヴェトラーナ・パーヴロヴナ・トルスタヤっていうの。スヴェータって、呼んでほしいわ)』

 『(っ、わかったよ。スヴェータさん)』

 『(敬称はいらないわ。普通はつけないものよ)』

 『(えっと、スヴェータ)』

 

 僕に名前を呼ばれた瞬間、花が咲いたような笑みを浮かべる彼女――スヴェータ。

 間近でそれを目にした僕の心臓が悲鳴を上げたのは言うまでもなくて。

 顔が熱い、呼吸だってままならなかった。


 そんな瀕死に近い僕を気にした風もなく、スヴェータは手をあげて、


 『(このあとパパとママにランチに連れてってもらうんだけど、ツムギも来る?)』

 『(え……いや、遠慮しておくよ。そういうのはきっと親子水入らずの方がいいと思うから)』

 『(そっか。じゃあ、また明日ね、ツムギ)』


 初めて見たときの冷たい表情がまるで幻だったかのような。

 屈託のない笑みを浮かべながらひらひらと手を振る彼女に、僕も手を振り返し、その背中を見送る。



 かくして僕とスヴェータは出会い、お互いの印象を決定づけた。

 孤高の人物という評価は鳴りをひそめ、見目麗しいわりにフランクな女の子にジョブチェンジしたわけだ。


 ――以来、彼女が人目もはばからずにグイグイくるようになるなんて、この時は思いもしなかったんだけど……。

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