第3厄 人生ノート
ごきげんよう、アビスです。
此度の
――阿部 香さん。十七歳。
【特徴】は、睡眠不足による幽鬼のような青ざめた顔になります。
*
明日が見えない。
未来が見えない。
そんな風に思うようになってから、毎日ろくに眠れない日々が続いている――。
いつからだろう。
自分の人生を悲観的に思うようになったのは。
いくら勉強をしても成績が芳しくないから?
愛しのあの人に振られたから?
竹馬の友に無視をされるようになったから?
……それとも。
考えれば考えるほどに切りがない。
わたしは深い闇の底へと沈んで行く……。
*
げんなりと項垂れながら、一人寂しく下校していると、わたしは不審者と遭遇した。
不審者は、顔にシックなペイントを施しており、その風変わりな相貌は、どこかおぞましい。
身を包んだド派手な衣装からは、凡そ一つのことが窺い知れる。
目の前の異常は、道化――ピエロを模しているようだ。
警戒するわたしをよそに、ピエロは慇懃な態度で一礼し、朗らかな笑みを浮かべる。
「うふふ。わたくし、魔法使いのアビスと申します。あなたにピッタリな、幸せの魔法ありますよ。お一つ如何ですか?」
「…………」
わたしはピエロを相手にせず、無言でその場を立ち去ろうとする。
「あなたは他人の幸せを許せるのですか?」
それを聞いたわたしは、思わず振り返ってピエロを凝視する。
「他人の幸せ……?」
「そうです、他人の幸せです」
わたしの顔を覗き込みながら、ピエロは不気味に薄ら笑いを浮かべる。
「……許せないと言ったら?」
「あなたには、ある特別な才能がありますわ」
げらげら。
げらげら。
げらげら。
異様な笑い声を発しながら、その場でくるくると回転するピエロ。
しばらくして、回るのを止めると、笑いながら、自分の懐に手を入れた。
ニチャア。
その時のピエロの笑い顔は、今までで一番気持ちが悪かった。
「これをどうぞ」
ピエロが懐から取り出し、手渡してきたのは、一冊の真っ黒い本であった。
「……これは?」
「不幸を意のままに操ることが出来る『人生ノート』と言います。人生ノートに書き込まれた物語は、不幸な物語に限って現実となります」
胡散臭い。
一言で言うなら、ただただそれに尽きる。
しかし、この時のわたしは、普通の精神状態ではなかった。
「……これがあれば、あいつ等の人生を不幸に出来る?」
「それはもう、思うがままに」
薄気味悪い、ピエロの真っ赤な瞳が、獣のように怪しく輝いた。
「人生ノートのページに、不幸にしたい相手の名前を書き、そして、物語を綴ってください。効果はすぐに現れるでしょう」
「分かったわ」
「……最後に一つ、お伝えしたいことがあります。人生ノートを持つ者は、決して幸福な者であってはなりません。もしも、幸福な者が人生ノートを持った場合、抗えぬ恐ろしいことが起きますよ」
「わたしの人生に、幸せの四文字はないわ。みんなみんな不幸にしてやる……!」
「うふふ、良い返事ですわ」
大きな拍手をしながら、ピエロが朗笑を浮かべた。
「リリカル☆マジカル☆パヤパヤパ☆」
目の前で突如閃光が走る。
目を開けると、そこにはもうピエロの姿はなかった。
「……病んだわたしが見せた幻覚? いや、違うわ。本は確かにここにある」
黒い黒い
わたしは人生ノートを抱き抱えると、急ぎ足で帰路に就いた。
*
翌日。
わたしは人生ノートを前に、誰を不幸にしてやるか、大いに心を踊らせていた。
今はお昼休みで、クラスの馬鹿共は大はしゃぎ中である。
(……まず最初に不幸になってもらうのは、アイツしかいないわ)
わたしを振った、愛しのあのクソ野郎――。
アイツを地獄に叩き落としてやる。
わたしは人生ノートのページに××と書き込む。
××はアイツの名前だ。
××とはクラスメイトの仲である。
(アイツをどんな不幸に陥れてやろう)
わたしは頭を捻らせた結果、アイツを植物人間にしてやることにした。
人生ノートに物語を綴る――。
(ええと、××は学校の窓から真っ逆さまに落ち、そのまま意識不明の植物人間となる、と)
――これで良し。
さぁて、どうなるかしら。
人生ノートに××の物語を綴ってから、しばらくして、××に動きがあった。
(――ん?)
××は焦点の定まらない虚ろな目で、ふらふらと教室の隅まで行くと、突然ガラリと窓を開けた。
そして、そのまま窓から飛び降り、大きな音を立てて、勢いよく地面に落下した。
教室中に悲鳴が飛び交う中、わたしは嬉々として含み笑いを浮かべる。
(ぷーっすすす!!)
――ざまあみろ。
わたしを振った罰だ――。
(良し、次はアイツだ――)
わたしを無視する竹馬のクソ
アイツだけは絶対に許せない。
愛しのクソ野郎よりも、不幸のどん底に叩き落としてやる。
わたしは人生ノートのページに○○と書き込む。
次に〝ある物語〟を綴った。
――○○には、地獄すら生ぬるい。
とっておきの人生を歩んでもらうわ――。
*
……あれから、一年が経った。
今日は学校の卒業式だ。
わたしは今、○○と一緒にいる。
「香ちゃん、今までありがとう。わたしはあなたを無視したのに、あなただけはわたしを無視しなかったね……」
「……○○ちゃん、わたしたち友達でしょ。他の誰が見捨てても、わたしだけはあなたと一緒にいるよ」
「香ちゃん……」
目の前のクソ女郎は、わざとらしく涙を流している。
「わたしたち、卒業してもずっと友達だよね?」
「もちろんよ。わたしたちの仲は、神様だって引き裂けはしないわ」
わたしもわざとらしく涙を流し、○○ときつく抱き締め合った。
「香ちゃん、大好き……」
――○○は、わたしという忌むべき相手を好きになるようにした。
○○はこれから先、わたしだけを愛し、わたしの為だけに生きる――。
そして、○○にとって、幸せの絶頂とも言うべき時が来たら――、
わたしは○○の前から姿を消す。
(ぷーっすすす! 今からその時が楽しみだ……!)
*
わたくしが彼女に授けた――不幸を意のままに操ることが出来る深黒の人生ノート。
それは、持ち主を〝凶人〟へと変えるノートでした。
はてさて、彼女の人生は、最後どうなったのでしょう。
前もってお伝えしましたが、人生ノートを持つ者は、決して幸福な者であってはならない。
その警告を守ったのでしょうか。
うふふ、ここからは推測ですが、恐らく彼女は、禁忌を犯したでしょう。
何故ならば、〝人生を楽しんでしまった〟のですから。
おや、誰かの声が聞こえますね。
〝眠いぃい〟
〝眠いいぃい〟
〝眠いぃいいぃ〟
〝眠いのに眠れないよおおおおおおおおっ〟
人生ノートの禁忌を犯した者は、その者にとってもっとも嫌なことが現実となります。
果たして、この声は誰のものでしょうね。うふふふふ……。
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