第3話
橋元の死は当然事故として処理された。衝突したトラックの運転手はまるで押されたみたいに車道へ飛び出してきたと言い、目撃した対向車の運転手や歩道を歩いていた数人も同じことを言ったが、それらの証言は困惑を招いただけだった。ただ父と母は登校拒否の息子のために家まで来てその帰りの事故ということで謝罪をし、それが新聞に載った。名前を伏せてあったが、生徒たちまたその親たちにはそれが誰だかすぐにわかり、ぼくはいよいよ学校へは行けなくなったし、当然近所でも噂の対象となった。
中学校では学校葬が行われ、父と母が出席した。
ぼくの中では変化が起こっていた。サチコを押してから続いていた罪の意識は薄まっていた。ぼくは部屋で自分の右手を見つめ、『神の手』を授かったんだと橋元を押した感触を何度も反芻していた。いつからと考え、小さい頃の原っぱでの出来事を思い出してあの時だと推定した。覚えていることはあまりなかった。一つの約束をしたことだけが記憶に残っていたが、その内容は思い出せなかった。気持ちは高揚していたが、何度も使う訳にはいかないと自分を諫めた。ヒデオちゃんを含めると、自分の周辺で三人が死んだという事実は変えられない。変だと思う人物が出てきてもおかしくないのだ。そこに怖れを感じていたし、そして事実そうなったのだった。
学校からは何人かの先生が交代で家を訪れた。「橋元先生の死は君のせいじゃないから、事故なんだから、橋元先生のためにも学校へ来なさい、みんな待っている」と同じことを言った。でも行ける訳がなかった。生徒たちはみんなぼくのせいだと思っていることは容易に想像できた。そんな地獄のような教室に戻れるはずがなかった。
ある日先生以外の人物が訪ねてきた。そいつは家のドアを叩き「タカ」と叫んだのだ。大人の声だがその呼ぶ発音に聞き覚えがあった。
窓の外で「おれだ、ヒロユキだ」と続いた。やっぱりヒロちゃんだとわかった。ぼくは窓を開け、二階を見上げるヒロユキと思わぬ対峙をした。文字通り、それは対峙だった。「おまえに話がある」と言ったヒロユキに以前とは違う尖った感情を受けた。ぼくは部屋を出て階段を下り、玄関から出た。「話しって」と問うぼくにヒロユキはついて来いというように片手を振った。
連れて行かれた場所は原っぱだった。そんな予感がしていたから驚きはなかった。
「おまえは」とヒロユキは言った。高校生のヒロユキは学校を休んでいるはずだった。「何回押した」と聞いた。ドキリとした。
「学校休んで来たの」とぼくは言った。
「そんなことはどうでもいい、何回押したんだ」と言った。
「ヒロちゃんはどうして知っているんだよ」
ヒロユキは予想外のことを言った。「ここで遊んでいた仲間はみんなそうなんだ」
ことばが出なかった。ぼくだけじゃなかったのか。「ここで遊んでいた仲間」と言われてヒデオちゃんやユキちゃん、兄の健一を思った。
「三回押した」と言った。話せる相手がいたことがうれしくもあった。
「サチコとあの体育教師の橋元か、ヒデオもか」と言った。
ぼくは公園での出来事を話した。自転車とぶつかりそうになった女の子の話をした。自分は忘れていたけどヒデオちゃんから言われて思い出したのだと言った。そのうえで、自分を避けるようになったヒデオちゃんと話がしたくて教室まで行ってあの事が起こったのだと言った。
「ヒデオがどうしてタカを避けたのか、わかるか」
ぼくは首を横に振った。
「それならおれに話してくれればよかったんだ」とヒロユキは口惜し気に言った。
「でも、ぼくはみんな『神の手』を持ってるなんて知らないし、だいいちそれならなんでヒデオちゃんはぼくを避けたんだ」
ヒロユキは少しの間ぼくを見て「『神の手』か、うまいこと言うな」と答えてから「タカのように押せる奴はいない、押すといってもせいぜい野球のボールだったり、文房具だったり、小さくて軽いものばかりだ、タカみたいに人を押すなんておれたちにはできないんだ」
ぼくは呆然として聞いていた。そしてヒロユキは言ったのだ。
「この土地が呪われているという話はタカも聞いたことがあるだろう、それはなぜかと言うと」
それはぼくが生まれる前のずっと昔の話しだった。言い伝えだからどこまで本当の話かはわからないとしながらぼくに語ったのは江戸時代の話だった。
この原っぱは刑場だったんだ。刑場というのは罪人を処刑する場だ。目隠しをして崖の際に建たせ、後ろから押して執行する。ほとんど死んだがたまに死にきれない者もいて、それは見逃されたという。ただそいつらは仕事として罪人の背中を押す役を命ぜられて、代々その家の仕事として任ずることとなった。ところがその中の一人の弥兵衛という奴が罪人の背中に触れずに押すことができたという話が伝わっている。彼は直接押すことに抵抗があって触らずに押せないものかと何年にもわたって離れた場所から押した。他の仲間や罪人からもバカにされながらも続けたところ、突然できるようになった。その時は大きくて眩しい光に包まれて『授ける』という声が聞こえたそうだ。たちまち評判になり、見物する民衆が増えて困ったらしい。だが噂を聞いて立ち合った藩の役人が、その光景を目の当たりにして妖術使いだと叫んでその者を崖から突き落としてしまった。そのあとからなんだ、罪人だけでなく押す役の者たちが崖から落ちるという事故が続いて、弥兵衛さんの祟りとか怨念だという噂が地元の住民たちに広まった。藩も見過ごすことができずにここは刑場からはずされた。それでもこの崖から落ちる者がたまに出て、また自殺の場所としても広まっていて、呪われた土地という言い伝えが残った。地元の住民たちは悪い噂や怨念を断ち切ろうときちんと草刈りをし、あたりの樹木の枝打ちや間引きをし、死者たちを弔う儀式を定期的にしてきたから、長い年月のうちに言い伝えも地元の人たちが知るだけとなった。それは戦前までの話しで、戦後は草刈り作業が行われるぐらいとなった。それもやがて地主さんが管理するようになったから今は知っているのは昔からこの土地にいる人たちくらいだ。
「おれはこの話をばあちゃんから聞いていたから知っていた、でもおれはそんなの昔の話で、この原っぱが遊ぶのにいい場所だってずっと思っていた、だからみんなをここに連れてきたし、秘密基地にもした、タカは小さかったから連れてきたのはあとになってからだった」
「いつから」ぼくはヒロちゃんに言った。「ヒロちゃんたちはいつから『神の手』を持つようになったんだ」
「それがな」とヒロユキは小さくため息をついた。「わからないんだ、遊んでいてテレビのマネして片手を突き出したら、草がザワァって動いたんだ、それが最初かな、その後みんなが同じように出来ることがわかったが、せいぜい草を動かすか、野球のボールを転がすくらいで大きな力ではなかった、でもなんか凄いことになったなぁって思ってた、だからこれはおれたちの秘密で絶対に誰にも言うなって言ってたんだ」
ぼくは疑問を言わずにはいられなかった。「どうしてぼくだけ、こんな」
自分だけ大きな力があるから、ぼくの周りで人が死ぬ、そう言いたかった。
「タカはどうしてその力を持ったんだ、なんか思い当たることがあるのか」
ぼくは幼少の頃のあの光に包まれた話をした。すごく暖かな幸せな気分で一つの約束をしたことを覚えていると言った。だがその約束の内容は思い出せないとつけ加えた。
「つまりおれたちとは違うんだ、なあタカ、どうして今日おれが来たかわかるか」
「自重しろと言いたいんだろ、わかっている、ぼくの周りで人が死ぬのはこの力のせいだから」
「違うよ」とヒロユキは言った。ぼくはヒロちゃんを見た。
「その力を原っぱに返そう、ヒデオはこんな力怖いし気持ち悪いって言って原っぱに返したんだ」
ヒデオちゃんのぼくを見る目を思い出した。「どうやって返したんだ、どうやって返し方を知ったんだ」
「ヒデオが言うにはずっと嫌だって思っていたから原っぱに行って『返す』って言ったら力が消えたって、そんなことだったな」
ぼくはしばらくその場に立ち、原っぱの風を受けていた。そして「嫌だ、返さない」と言った。
ヒロユキが悲しげな目でぼくを見た。「タカ、いい加減にしろよ、おまえ人を殺しているんだぞ、その『神の手』を持っているとこれからも同じことをするかもしれないんだぞ」
ぼくはヒロユキのそんな目を初めて見た。心配してくれているんだと心が動いた。でも返す気持ちにはなれなかった。ぼくには、こんなぼくには必要な気がしていた。ところがその時、勝手に動いたのだ。手が勝手に動いた。
右手が上がり手のひらをヒロちゃんへ向けた。ヒロちゃんの顔が驚き引きつった。なんで、と思いながら「違う」と言った。でも、押した。押したのだ。ヒロちゃんは背後へ飛ばされた。防護柵に当たり、そこでくい止められた。原っぱに倒れ「タカ、おまえ」と言った。ぼくはもう一度「違う」と言ったが、右手はその辺りの樹木を押し岩を押し、地面を押した。急激に風が強くなり草が揺れ岩が転がり、どこからともなくから不気味な音が響きだした。原っぱが大きく波打ち地面が割れた。亀裂が幾重にも走り、やがて崩れ、ヒロちゃんは防護柵もろとも割れた地面といっしょに落ちていった。
ぼくは驚愕しながらどうすることも出来ずに震えながら見ていただけだった。
気がつくと、右手はぼくの右手に戻っていた。そして我慢できない痛みが右手全体に走っていた。
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