第4話 友美の彼の苦労話

 しかし、思い返してみれば私も夫の心を推し量ろうとはしなかった。

 私のやり方に夫を押し付けようとする部分があった。

 それが、夫にはやりきれなかったかもしれない。


 夫は、幼い頃から実母からいろんなことを押し付けられてきたという。

 家庭教師をつけて勉強をしたが、優等生でいられたのは、高校のときまで。

 一年浪人して入学した理数系大学も、留年する羽目になり、就職はままならず、コンピューターの専門学校を卒業するには、二十七歳になろうとしていた。

 要するに、夫は二十七歳まで親のすねをかじって生きてきたのだった。

 そのせいだろうか。どちらかというと非社交的である。


 私は、高校を卒業して専門学校へ行き、九か月後に卒業試験に合格して、企業に就職した。

 二十七歳のときには、転職もしたがOL生活、九年目に突入していた。

 私の方が、社会的には有効だったかもしれない。

 そのことも、夫に劣等感を感じさせる要因の一つだったかもしれない。

 しかし、現在の夫はIT企業の営業としては、成功している。

 いつまでこの快進撃が続くかわからないが、夫は精神的にも徐々に自信をつけてきたようであり、それに反比例するかのように、私の嫌ごとをいう回数も少なくなってきた。


「よく我慢するわねえ。私だったら、堪忍袋の緒が切れてるよ」

 私が、以前高校時代の友人から言われたセリフである。

 十年ぶりにあった高校時代の友人は、親子ほど年の離れた男性と結婚しているが、もう介護生活に入っているという。

 夫の介護生活がガマンできるのは、いわゆる口のうまい男性だからであろう。

 友人曰く

「そんな屈辱的な状況に置かれても、我慢できるって偉いわ。

 まあ、昔の大家族の時代の嫁はひたすら我慢し、辛抱していたというけどね。

 現代は、女性も職場があるから我慢する必要がなくなったのよね。

 でも、不倫やホストにだけは走っちゃだめよ」

 私はもちろん頷いた。

「私はもう三十近いわ。ホストにひっかかるような年齢でもないし」

と言った否や、昔のバイト先の後輩である友美が、いかにもホスト風の男と一緒に来店してきて、私の隣のボックスに座った。

 高校時代の友人は

「まあ、あなたはしっかり者だから大丈夫よ。

 慰め代として、今日だけは私がおごるわ」

と言い残して伝票を取ってレジへと向かって行った。


 友美は嬉しそうな笑顔で、連れの男を紹介した。

「紹介するわ。私の彼氏」

 私は、友美に仕事を教えてやったにも関わらず、逆キレされ「嫌いだ」と言われたその報復に

「あらら、ずいぶん派手な彼氏ね。友美以外に女がいそうな雰囲気ね」

 そして、連れのホスト風に

「ねえ、あなたってもしかしてナンバー3ホストだったりしてね」

 ホスト風は、苦笑いを浮かべ

「とんでもない。僕はホストに入店して今日で三日目ですよ。

 彼女は僕の中学時代のクラスメートだったんです。といっても、僕はその当時、不登校気味だったですけどね」

 なんだか、深刻な話になる筈だが、彼はあっけらかんとした表情で

「僕の母親は、十六歳のときに僕を出産したんですよ。

 その当時は、年齢をごまかしてキャバクラのキャストをしていたのですがね」

 私は思わず、ヘエッと半ば驚いた表情で、彼の話を聞いていた。

「まあ、僕自身も不登校で中学は半分くらいしか行っていない。

 でも僕は、産んでくれた母親に感謝してますよ。

 あっ、友美ちゃんは、僕の一年後輩ですよ」

 友美はなぜか私に頭を下げた。

「私はそのとき、母親が行方不明になって荒れていたの。

 私は父親の顔はしらない。その当時、母親はクリーニング店を個人経営していたが、シャッターが半分閉められていて、なかば開店休業状態だったわ」

 私は無理もなかろうと思った。

 個人のクリーニング店は徐々に閉店してきている。

 衣料品は洗濯しやすくなっているので、生き残りはチェーン店くらいである。


 彼は少し寂しそうに、話を続けた

「ある日、家に帰るとレジが開けっ放しになっていた。

 母親を捜したが、とうとう戻ってこなかった。

 次の日から、僕は食べるものに困り、茹でたパスタにポン酢をかけたり、駄菓子屋で毎日、小さなスナック菓子選んで、それを食料としていたんですよ」

 うわあー、私の初めて聞く悲惨な話である。

「今晩こそ母親は戻ってきてくれる。と信じていたが、明日になっても戻ってはこない。

 ある日、駄菓子屋のおばちゃんが、そのことを担任に通報してくれ、僕は担任から一日一個パンをもらうようになったんだ。

 もちろんこのことは、誰にも秘密にしていたがね。

 うっかり言うと、えこひいきということになりかねないからね」

 私は深刻な顔で聞いていた。

 そういえば、ある女優は中学二年の頃、初めは兄と暮らしていたが、それもかなわなくなり、一人暮らしをしていたが、そのことを知った担任が、なんと娘がいるのにも関わらず、屋根裏部屋に住まわせてくれたという。

 女優曰く、楽しかったと語っていたが、このことはラッキーな例であろう。

 

 彼は、淡々とした表情で話を続けた。

「相変わらず、母親は音信不通のまま、帰宅することはなかった。

 そのうち僕は、母親から捨てられたのだと思い込むようになってしまった。

 母親からは褒められたことは、小学校六年のとき、運動会の徒競走で一位をとったことくらいである。

 あとは叱られたことの方が多かったな。

 食事のときのお箸のもち方を注意されたり、食べ物をかじったままの歯形のついた状態で、残してはならない。

 丸ごと食べられないなら、最初から箸をつけないことよ。

 勉強は、できるうちにしておきなさい。

 突発的な事故で交通事故にあったなら、勉強したくてもできなくなってしまうでしょう。それに、あまり覚えが悪かったら、バイトに行ってもクビになることはありえるわ。

 母親は、立ったまま服をたためる方法も教えてくれたな。

 今でも、母親の教えは十分役にたっているよ」

 その通りだなあ。いい母親だったんだなあと私は思わず目を細めた。

 彼は急に深刻な表情で

「まあ、パンを毎日一日一個くれるのは腹が少々満たされたが、それが一か月ほど続くと、僕は自分が情けなくなっていった。

 僕は母親に捨てられた挙句の果て、人に恵んでもらわなければならない身分に落ちぶれてしまった。

 僕のアイディンティー(存在価値)はなんなんだろう?

 疑問から絶望にと変わり、僕は自分が生きる価値などないのではないかという考えに至り、ひきこもり状態になってしまったんだ」

 うわーっ、深刻な事態に陥ってしまったなあ。


 急に彼は、暗闇の先に一筋の光を見出したような表情になった。

「そんなとき、僕の小学校の友人が僕を尋ね、無理やりドアをドンドンと叩き、僕を外に連れ出してくれたんだ。

 とりあえず、僕は友人の家に行って、お母さんのつくった焼きそばや混ぜご飯をお腹いっぱい食べたとき、あたりかまわず号泣してしまった」

 うん、わかる気がする。

 貯めていたものが、一気に噴き出してしまったんだろう。


 その後、彼はラッキーにも親戚に引き取られることになり、高校卒業も果たしたという。

 今は、美容学校にいくための資金を貯めるために、ホストの仕事を始めたという。

 私は思わず反対した。

「ダメよ。今はホストというと、イメージ悪いから。

 報道番組でも言ってたじゃない。客の女性に肝臓を売ってこい。お前が五体不満足になろうと俺たちの知ったことか、外国に出稼ぎ売春してこいなんて。

 今やホスト問題というのは、社会問題、人権問題にもなっているのよ」

 彼は頷いた。

「そういえば、噂ですが、いわゆる売掛けをためた女性をホストの店長と担当ホストとが無理やり店に閉じ込め、そこでアルコール最高のテキーラを飲ませたあげくの果て、サラ金で百万円借りさせて、店に払わせるなんてことが、頻発しているというんですよ」

 私は思わず、

「あっ、その話、さっきの報道番組で報道されてたわよ。

 うっかり道も歩けないわねえ」

 彼と友美は思わずエーッとのけぞった。

 


 


 

 

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