第3話 今こそ神の救いが必要なとき
私は今こそ、真由に会えるチャンスだと思った。
実は、私は十年前に真由が小学校六年のときに撮った写真を、机の上に置いてあるでアイドルの如く、毎日見ていたのである。
天使のような真由の無邪気な笑顔は、私の心を和ませてくれ、どんなときでも、天使の微笑みのように、希望を与えてくれた。
私にとって、真由の写真は十年間の宝物のように私を幸せにしてくれるものだった。
宝物である真由の写真は、これからも変わることがなく、私を見つめ続けていてくれるだろう。
ある日、近所の人を話していると、この近隣の五歳の子供が見知らぬ男に、自転車で連れ去られそうになったという話を聞いた。
これは大変なこと、連れ去りというのは、すなわち誘拐の危険性をも含んでいる。
十秒後、なんと自転車のうしろの荷台に五歳くらいの子供を載せた、六十歳くらいの男性の運転する自転車が私の目の前を通り過ぎた。
私はその話を聞いて、少々おせっかいにも自転車連れ去り男を追いかけて行った。
ところが車道の前で、段差につまずいて前のめりに転んでしまった。
「ああ、痛い」と膝を抱えていると、私に手を差し伸べてくれた若い女性がいた。
「大丈夫ですか」
見上げると、なんとそこには真由がいた。
十年間、見つめ続けていた真由の写真と同じ、クリクリとした大きな瞳、無邪気ではあるがはっきりした顔立ちはまぎれもなく、真由である。
私は真由の手をとって、起き上がった。
真由って案外、力もちだなと思いながら、
「私のこと、覚えてる?」と尋ねると、
真由は一瞬キョトンとして
「あれは、十五年昔のことかな?
隣の部屋に住んでいてパソコンを貸してくれたお姉ちゃんでしょう」
と応答するや否や、真由は自転車で逃亡する犯人を追いかけていった。
数分後、犯人は無事、警察に逮捕され、五歳になる子供も保護された。
翌日、真由は地元の警察署から表彰状を頂いた。
真由を愛する私としても、誇らしい気分だった。
SNS上に掲載されている五歳の子供というのは、真由の息子であった。
そしてSNS上で夫の隣に映っている真由と五歳になる真由の息子に対して、コメントにはあたかも夫が真由を誘惑し、真由の息子を虐待しているかのような悪意の中傷コメントが書かれていた。
もちろん事実無根なので、私はサイバー警察に訴えると悪意の中傷コメントは消えた。
しかし夫の心には、やはり傷と憎しみ、そして将来に対する不安が残った。
夫のメンタルは、営業成績トップとまではいかないものの、上位の成績で自信をつけたものの、また壊れつつあった。
夫は、酒も飲まず、ギャンブル、女遊びにも関心はない。
ただ、人間嫌いの仕事嫌いなだけなのである。
悪党に誘われることもなければ、悪党になりきれるほどの度胸の持ち主でもない。
私は夫のために祈ることにした。
「主の祈り」
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心が天になす如く 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く 我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに合わせず 悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり
アーメン
神に対するとりなしの祈りというのは、神に対する呼吸でもある。
私は夫に、旧約聖書の天地創造の話をした。
もちろん夫は、クリスチャンでもなければ、先祖代々の宗教を信仰しているわけではない。
しかし、夫は「地球とはなにか? 自分はなぜ生まれてきたのか?
そして、自分はこの地球上でなにができるのだろうか?」
という疑問を抱いていた。
夫は、幼い頃から家庭教師をつけられて勉強していたので、いつも勉強は学年でトップで、小学校のときは卒業式で総代だった。
中学校になってからは、塾に通うようになったが、勉強面では夫に追いつく生徒はいくらでもいた。
なんと小学校のとき、勉強は皆目だったという生徒が夫に追いつき追い越すようになっていった。
夫は、もともと非社交的で友人は少なかったが、勉強だけは誰にも負けないという自負があった。
それも崩壊していくのを感じていたという。
天地創造というのは、神がまだ何も無かったとき、神はこの地球とそれ以外の一切のものを、無から創造された。
地球といっても、まだ形が無く、混沌としており、真っ暗闇で、液状であり、神の御霊は、あたかも雌鶏がその翼を広げてひなをはぐくんでいるかのように、その上を覆っていた。
神が一声「光は、出て来い」と仰せられると、光がでてきた。
神はその光を御覧になって、満足された。
一日目に光と闇を分け、
そして神は、この光と闇を分けられた。
神はこの光のあるときを昼と名付け、やみのときを夜と名付けられた。
これが第一になされたことであった。
二日目に水圏(海や川)と気圏(海や川の水が蒸発して大気となる)、
それから神は「大空が、地球とほかの天体の間に出て来い。
そして、地球とほかの天体を分けてしまえ」と仰せられた。
こうして神は、大空を造られ、大空の下にある液状の地球と、大空の上にある液状の天体とを分けられた。
神は、その大空を天と名付けられた。これが第二になされたことである。
三日目に大陸を形成され、大陸の上に生命力をもった植物を創造され、
神が液状の地球に向かって「水と土は分れよ」と仰せられると、その通りになった。
神は、乾いた所を地と名付け、水の所を海と名付けられた。
神はそれを御覧になって、満足された。
神が「地には植物が生えよ」と仰せられると、その通りになった。
それで、地には植物が生えてきた。神はそれを御覧になって、満足された。
これが第三になされたことであった。
四日目に天体である太陽と月星を形成され、
それから神は「光り輝くものが、天の大空にあって、昼と夜を区別せよ。」
日は季節や年の役に立て、そして、天の大空で光り輝き、地球上のものを照らすようになれ」と仰せられた。
すると、その通りになった。
こうして、神は、光り輝くものを二つ造られた。
大きい方は太陽で昼に、小さい方は月で夜に輝いた。
また星も造られた。
神は、これらのものを天の大空に置かれ、地球上を照らされ、また、昼と夜のために役立たせ、光と闇を分けられた。
神はそれを御覧になって、満足された。
これが、第四になされたことであった。
五日目に水中動物である魚と空中動物である鳥を創造された。
それから神は「水の中には、魚や水中生物が一杯になれ。また、地上には、鳥が大空を飛ぶようになれ」と仰せられた。
神は、海水生物や、淡水生物や、鳥類を、その種類ごとに創造された。
神はそれを御覧になって、満足された。
神はまた、それらのものを祝福して、こう仰せられた。
「生め。増えていけ。海や水に一杯になれ。また、鳥も地に増えていけ」
これが第五になされたことであった。
六日目に動物である陸生生物が創造された後、人間を創造された。
これで、人間が生活していくのに必要なものは、神から与えられた。
それから神は「地上には、その種類ごとに、生き物、家畜、爬虫類、野獣が出て来い」と仰せられた。
すると、その通りになった。
神は、その種類ごとに、野獣、家畜、爬虫類を造られた。
神はそれを御覧になって、満足された。
それから神は「三位一体の神である私に似た者として、人を造ろう。
そして彼らに、水中、空中、地上のすべての生き物を支配させよう」と仰せられた。
神は、このように人をご自分に似せて、男性と道徳をわきまえる不滅の霊を持つ者として創造された。
また、男と女として造られた。
神はまた彼らを祝福し、このように仰せられた。
「生め。増えていけ。地上に一杯になれ。
そして地上を征服せよ。水中、空中、地上のすべての生き物を支配せよ」
それから神は、こう仰せられた。
「さあ、私は地上のすべての植物をあなたがたに与えた。
それがあなたがたの食物となる。
また、地上の動物、空の鳥など、すべての生き物のために、食物として植物を与える」
すると、その通りになった。
このようにして、神はお造りになったすべてのものを御覧になった。
それは、素晴らしいものであった。これが、第六になされたことであった。
そして、七日目に神は休息された。
だから、現在でも七日目の日曜日は休みの日でもある。
こうして、すべてのものが完成した。
それで、神は第七番目に、創造の御業の完成を宣言された。
そして、創造の御業を終えて、休まれた。
神は、こうして天地創造になぞらえて、七日目を祝福され、聖別された。
それは神が創造の御業をすべて終えて、休まれたからである。
(参考図書「現代訳聖書」 訳者 尾山令仁)
夫は、聖書の話を興味深く聞いていた。
そして、ときおり納得するように頷くのだった。
まるで暗闇から光が見えてきたようだった。
情緒不安定気味の夫であったが、もう私に対して嫌ごとを言わなくなったことが進歩の証しだろう。
だいたい、人を認めようとはせず、嫌ごとばかり言う人は、自分に自信のない心に深い傷を負った人だという。
夫の心の傷を癒すためにも、夫に聖書を勧めてみようと思った。
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