第6話 可惜夜に僕らは 6

 僕は、氷が完全に溶けきった、グラスを机においた。いつものカンッとするような、甲高い音ではなく、ぴちゃというなんとも煮え切らない音がした。


 「僕は、この話を誰かにするつもりはなかったんだ。今こうやって、よりにもよって、一番知られたくない人に自ら伝えていることが、どうしよもなく恥ずかしいよ。君だってこんな話聞きたくないだろう?」


 「そうだね。途中、少し煽るような言葉を使ったけど、正直、私も少し聞くべきではなかったんじゃないかって思い始めてる。」


 どうやら彼女にも、人を思いやる気持ちがちゃんとあったみたいだ。僕と彼女の間柄でこの話を聞いて無傷なのは、さすがに彼女の心を心配するところだ。

 

 「でもさぁ、勝手に話始めたのはパパじゃん!」


 このなんとも生ぬるい空気にいよいよ我慢の限界がきたのか、まとわりつくものを一掃するように、カンッと甲高い音を立てた。


 全くその通りだった。彼女が「花火を見に行きたい。」とぼんやりつぶやいたのが、なぜかスルーできなかった。僕にとって「花火」はそういう言葉なのだ。


 「まあそうなんだけどね。自分でも驚いているよ。たださ、最後まで付き合ったけど、途中の芝居じみた言葉遣いはなんだったの?僕は、別にトラブルに会った洋画の主人公ではないんだけど。」


 「めっちゃ雰囲気出てたでしょ!なんか最近みた映画にこういうキャラがいてさ、人生の潤滑油?的な存在で一目置かれそうだなって、やってみちゃった。まあ、全然、私っぽくないから、もう飽きちゃったけど。」


 この切り替えの早さは、誰に似たんだろうか。


 「結局さ、パパは付き合えたの?てか、その話でいつ告白したの?」


 僕は、思わず「え?」と声をこぼした。そして彼女もまた、「え?」と返してきた。まるで、時が止まったような、いや周りが環境音だけになったように感じた方が正しいだろうか。今までさんざん寄り道してきた僕らの恋路が、花火を見たあの日に、僕らが最後に交わした言葉で一つになったということが、この子にはわからなかったのだ。この事実が、僕の言語的能力の敗北を意味することになった。


 「また最初から話そうか?」


 「え、いらない。長いし。」 

 「てか、そろそろ行こ。ママ迎えにいかないとじゃん。私も二人が見た花火見てみたいし。」


 時々、ほんとうに僕らの娘なのかと疑うほど、僕らと似つかない性格を持っている。せいぜい、僕に似ている部分は、10パーセントくらいだろうな。


 「そうだね。出ようか。」


 外に出ると、曇り空のままだったが、雲に隠れる太陽の存在感は、店に入る前よりも増えているような気がした。迷いなく、前を歩く彼女の背中についていく。


 「ねえ」突然、僕のほうに振り返った。


 「今日見れるといいね。パパとママが見た月。」


 雲の隙間から太陽の光がこぼれる。


 「きっと見れると思うよ。」


 まだ、まばらに雲がある空を見て言った。こんな感じの空には、見覚えがあった。

 彼女は少し、不思議そうに僕を見たが、すぐにいつもの夏が似合う笑顔になった。


 「パパが言うなら、きっとそうだね。」


 僕らは横に並んでゆっくり歩きだした。


 あの日から、僕の夏は少しずつ中和されているみたいだ。

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可惜夜に僕らは 飛文。 @ayadazo

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