第5話 可惜夜に僕らは 5

 「あっ、花火が上がりましたよ。」

 

 僕が下らないことを考えている間に、一発目が打ちあがった。


 「やっぱり、空に打ち上がる花火はきれいですね。」

 

 この言葉の交換を最後に、数十分の間一度も言葉を交わさなかった。その間、真っ暗なキャンパスには、カラフルな模様が咲いては散ってを繰り返していた。

 僕は、たまに彼女の顔を見て、彼女もたまに僕の顔を見た。そのタイミングはかぶることはなく、互いの横顔を見ることしかできなかった。でも僕は、彼女と目が合わなくてよかったと感じていた。もし合っていたなら、どちらかが、声を出して、この世界を元のままに戻していたように思う。今、僕は、間違いなく特等席に座っている。その席を僕は今日、永遠のものとしなければならない。そのための言葉を必死に考えて、その答えをもってここに座った。だがその席に座った途端、用意してきた言葉のどれもがこの場にふさわしくない気がしてくる。

 

 何度も花は咲いては散り続ける。


 僕と彼女は、空を見続け、時たま相手の顔を見る。僕の中には、不確かな言葉が浮かんでは消える。大人になって、知性も理性も身に付け、生きていくためのお金も十分に得られても、結局、本当に欲しいものを掴むことはできず、最後の花が盛大に咲き、そして、散った。


 「すごかったですね。すみません、こどもみたいな語彙しかなくて。でも、本当にそう思ったんです。

 花火なんてただの化学反応でしかなくて、人が見てる時間は数秒で、咲いては散っての繰り返し。そこに何かを願うには、人工的すぎるし、圧倒的に時間が足りない。少しいつもより変わったことが起きているだけで、そこに一切意味なんてないのに。みんな見に来てはきれいだのすごいだの騒いでいる。まるで、平等に得ることのできる恩恵のように。でも、なぜだか今日の花火は、私たちのためだけにあるように感じました。まるで私たちを祝福しているみたいに。一瞬しか咲けないけど、その強烈な光で私たちを照らし、祝福するんです。何を祝福しているのかはまだわかりません。でも、私はそう感じました。」


 彼女は、花が散ったあとの名残りを惜しみながらも、発した音の振動は、ひどく一定のように感じた。

 

 僕は、彼女の真意を掴めないでいた。「祝福」というワードを使いながらも、まったくその効力を受けているようには見えなった。「祝福」という言葉の持つ本来の意味とは、遠いところに僕らは立っているように感じた。その距離は果てしなく遠く、到底、混じり合うような距離ではなさそうだが、少しでも縮めるべく、僕は勇気を出した。


 「僕は、花火が何を祝福しているのか、その答えを明らかにしたいと思っています。」


 水面に映る僕の影が、ユラユラと揺れている。その揺れは、彼女のより大きいように見える。


 「私も、そう思います。」


 彼女の影もまた、ユラユラ動き、僕と彼女の影は混じり合いそうなのに、まだ互いの輪郭をはっきりと保っている。

 僕は今日、心の底から花火をきれいだと思った。花が咲くタイミングや色、花弁の距離、そして花同士の絡み。すべて誰かの手によって計算されているのに、その気配は、僕らが花火を見上げる刹那に、そしてその後の余韻にさえ、訪れない。

 でも、今の僕と彼女に必要なことは、花火ではない。花火はきっかけにすぎないのだ。僕らにたまたま共通な知人がいたように。


 祭りのクライマックスが終わり、ぞろぞろと人々が日常へと帰っていく。生ぬるい風がそれを後押しする。さっきまで花火の音に対抗していた虫の音も心なしか小さい。まるで、夏の終わりが加速したようだった。

 

 僕は一向に、彼女の顔を見ることができず、空を見上げたままだった。伝えるべき言葉も吐き出せない。あれだけ計算したと言うのに、まったく自分をコントロールできない。雲が流れるように、二人の沈黙も流れていく。


 「気づきませんでした。今日は満月だったんですね。」

 

満月を隠していたカーテンが誰かの手によって開けられた。


 「あんなに輝いて見えると思わず手を伸ばして触れてみたくなりますね。」


僕らを祝福するものが花火から月に変わった。


 「どうでしょう……私は、きっと変わらず眺めているいかもしれません。」


月に新たな雲がかかろうとしているその時、水面に映る影は大きく一つだった。

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