第15話


 俺は息を吐いた。


 あからさまに憂鬱を報せるような、そんな大きなため息を吐いて、心の中にわだかまり続ける一瞬の焦燥感を落ち着かせようとした。彼女の言葉と表情から始まったすべてを、一度頭の中から落とすように、素面の頭で考えようとした。それでも呼吸はまとまらないし、外に響く雨の音が耳にうるさく感じてしまうけれど。


「どうだろうな」


 俺は、素の自分の言葉を響かせた。


 人前では取り繕うことが常になっている。それが人との営みであり、それが高校生からは日常となる行為だ。


 自分らしくない言葉を使って、そうしてかりそめの自分を演じている。俺がそうだというのならば、きっと誰しもがそうだろうし、例外はないだろう。例外がいたとしても、それは人並みの行為を行えないだけの人間なのかもしれない。


 わからないから、俺はそう言葉を吐いた。


 後悔しない人生なんてない。俺はそう思っているものの、その根拠は自分の中で消化しきれていない想いを、無理に消化することによって成し遂げているだけにすぎない。


 だから、後悔はしている。後悔していないと定義をしていても、後悔はしているのだ。


 けれど、彼女が言うように心の中でそれを蟠らせるようなことはしていない。抱え続ければ疲れてしまうから、抱き続けてしまえば悲しくなってしまうから、視線を逸らすことでやり過ごしている。


 俺は、そんな思いで言葉を吐いている。




 だからといって、こんな言葉が何になるというのだろう。




 花村は俺に対してどのような感情を抱いているのだろうか。どのような言葉を求めているのだろうか。どのような振る舞いをしてほしいのだろうか。


 彼女の意思はわからない。表情が凍っていて、抱いている心象の面影さえも読み取ることができない。声音は張り詰めていたから察することもできない。


 どうしても、人に求められるような、そんな振る舞いを意識してしまう俺にとって、──村人Aでしかない俺にとって、同族である彼女のすべてが、わかるようでわからない。


「きっと、後悔しない人生なんてない、とは思っているよ。人生は一本道でしかなくて、歩めば歩むだけ戻ることはできない。だからこそ、人は後悔をするのだろうし、それを経て学びを得るのかもしれない。俺は、確かにそう思っているよ」


 俺はそう言葉を吐いた。嘘をついているつもりはない。真に俺はそんなことを思っているから、容易く言葉を続けることができた。


「けれどさ」と俺は言葉を並べる。


「後悔なんて、抱くだけ疲れるんだよ。悲しくなるんだよ。その時、この時、あの時、どんな行動をしておけばよかったか、どんな未来があったか、なんて、そんなことを考えるたびに自分が嫌になるだろ? それなら忘れてしまったほうが楽だし、他のことを考えればいい。時間は無限には存在しないし、一つのことに囚われて過ごすなんて、そんなの辛いだけじゃ──」


「──それなら、なんで高原くんはこの前から辛そうにしてるんだろうね?」


 ──花村は、確かにそう言った。





 俺は、息を呑んだ。息を吐くことは意識できなくて、彼女の言葉に、俺は視線を釘づけにされた。


 図書室に誰もいないまま、俺と彼女の二人だけの空間。そこに反響する雨の音と、自分の呼吸を繰り返す音。それ以上の存在を、俺は意識することができなかった。


「この前から、高原くんすごく変だよ。気づいてる?」


「……別に、いつも通りだろ」


 何もおかしなことはしていない。何もおかしなことはしていない。


 確かに眠れなくなってしまったけれど、それ以外は普通の日常でしかない。あの日から変わったことなんて、大して存在しないはずだ。俺はそれを意識していないし、俺の中では納得した事柄として清算できているはずだ。それでいいはずだ。


「私さ、人の視線には気を付けてるんだ」


 花村は、そのまま言葉を続けていく。


「ほら、人の空気って視線で伝わることが大半だからさ、なんとなくいろんな人の行動を見てしまうんだよね。それで悪い雰囲気だなぁ、と思ったときは空気を換えようとするし、みんなとはそれでコミュニケーションをしているわけじゃん。これは私だけじゃなくて、きっと君だってそうだし、もしかしたら他の人だってそうでしょ?」


 俺は、言葉を返さなかった。


「だから、わかるんだよ。何か違うな、っていう違和感を、理解しちゃうんだよ」


 花村は、ふう、と息を吐きながら言葉をつづけた。


「この前から、ずっとぎこちなかったよね。他の人と会話をしているときでも、それ以外の時でも、どこか変だったよ。いつもの高原くんのようで、高原くんじゃないみたいで、なんか気持ち悪かった。……この気持ち悪いは悪口ではないからね」


 俺は、無言のままでうなずく。言いたいことはわかったから。


「君が後悔していない、っていうのはひとつの優しさだと思うし、もしくは本当にそう思っているのかもしれないけど、それは高原くん自身のためにはならないよ?」


 どこか、心の中にある窮屈さを解くように。


「どうせなら、楽になっちゃおうよ」


 花村は、慈しみを視線に孕ませて、そう言葉にした。


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