第16話
◇
吐き出したいことはある。吐き出したい言葉がある。すべてを吐き出して、楽になりたいという気持ちが俺にはある。彼女の言葉に身をゆだねてしまいそうになる。そんな誘惑が俺を支配しそうになる。衝動的なそれを拒むために理性を必要としている。それほどまでに彼女の言葉は魅惑的であり、俺は従ってしまいそうになった。
けれど、俺はそれを選択することができない。
吐き出してしまえばどれだけ楽になることだろう。吐き出してしまえばどれだけ苦しむことにつながるだろう。言葉を吐いてしまえば、それはもう覆らないものになってしまう。
俺は、それを選択したくはない。
選択する自分を許したくはない。
だから、吐き出したい言葉は探さない。
理性的に、理知的に、獣にはならず、人間として、言葉を探す。
「俺は──」
──どうして、俺は言葉を吐くことを選択しないのだろう。そんな自分を許すことができないのだろう。
彼女の言葉の通りに吐き出してしまえば楽になるというのに、それを選択しないのはどうしてなんだろう。
俺の振る舞いが変わってしまったのは、彼女と俺が同族であると考えてしまったときからだ。
村人Aだと自称する彼女に、心を動かされたに過ぎなかった。
無自覚なまま過ごしていた自分の姿に、釘を刺されたような気がした。
俺が今まで過ごしていた日常とは、その役割でしかないことを自覚した。
だからこそ、彼女にとって歪に見えるような振る舞いを、行動をしていたのかもしれない。視線が伝わってしまったのかもしれない。
そうであるのならば、言葉を出してはっきりするべきだ。
そうであるのならば、吐き出して楽になってしまうべきだ。
俺はそう思う。そう思っている。彼女の言うとおりだと思っている。吐き出してしまえば楽になるのだ。
けれど、それを選択することに躊躇いが生まれている。
それは、どうしてか。
それは、なぜなのか。
「──対等に、なりたかったかもしれない」
俺は、そう言葉を吐いた。
◆
俺は主人公にはなれない。
俺は誰かの登場人物になることはできない。
物語の裏で暗躍するようなキャラクターにはなれない。悪者にだってなることはできない。
誰かの役柄を支援するようなキャラクターにもなれない。
普遍的に過ぎていく日常の中で、影のように存在する登場人物、モブ、表現としては村人Aにしかなることはできない。
俺には、そうすることしかできない。
俺が主人公であったのならば、後悔を正しい気持ちで抱いて、過去に対して憂いを抱くのかもしれない。
幼馴染に対して行動できなかったという過去を、いつまでも囚われたうえで、いつか行動する人間になれていたのかもしれない。
花村と出会うこともなかったのかもしれない。出会っていたとしても、俺は彼女という存在の中に役割を見出すことはできず、特に花村という存在を考えることはなかったのかもしれない。
けれど、俺は主人公ではない。
モブでしかない。
登場人物ではない。
どこまでも、ただ存在するだけ存在する人間でしかない。
だからこそ、俺は花村に惹かれているのだ。
同じような存在である彼女に、同族でありたいと思う彼女に、俺は惹かれているのだ。
そんな彼女に甘えるように、俺が楽になる言葉を吐きだしてしまえば、それは同族とは言えなくなってしまう。
対等だとは言えなくなってしまう。
関係性をやり取りする上で、イーブンじゃない関係を望みたくはない。
そうすることを選択してしまえば、、次の後悔につながってしまうような気がしてしまう。
それを俺は選択したくはない。
今度こそ、それを取り逃したくはない。
だから、言葉を吐きだしたくはない。
俺は、それを吐き出すことを許さない。
◇
そっか、と彼女は言った。
ふと花村は立ち上がって、カウンターとされている場所から遠ざかるように足を運ぶ。廊下のほうへと足を向けたかと思えば、別に図書室の外に出るでもなく、廊下際にある窓のほうを見て、空に濃く仕上がっている灰色を見つめるだけをしている。
俺は、それ以上に言葉は見つからず、その姿を見つけるだけしかできない。
彼女のせいでこんな生活が始まった。そんな言葉を吐きだしてしまえば楽になるのに、そうしないことを選択して、彼女の行動を見つめている。
今の花村は、どこか主人公のような振る舞いだと思った。もしくは登場人物のような、そうじゃないとしない行動だと思った。
村人Aであったのならば、そんな感慨深く窓の外を見つめることはしないだろうか、俺はそう思ったのかもしれない。
耳に届くのは窓を打ち付ける雨音だけだった。
自分の呼吸もどこか遠くに感じて、景色をすべて俯瞰で見つめることしかできずにいた。
本を読むことは諦めてしまった。手元にあった本を覗くことを選択するのはやめた。そうした演出を重ねることに、俺は憂いを抱いてしまった。
静かに、俺は彼女を見つめ続けた。
彼女は、その視線に気づかないまま、窓を見続けて──。
「今日も、一緒に帰ろっか」
息を含ませながら、静かに俺にそうつぶやいた。
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