第16話


 吐き出したいことはある。吐き出したい言葉がある。すべてを吐き出して、楽になりたいという気持ちが俺にはある。彼女の言葉に身をゆだねてしまいそうになる。そんな誘惑が俺を支配しそうになる。衝動的なそれを拒むために理性を必要としている。それほどまでに彼女の言葉は魅惑的であり、俺は従ってしまいそうになった。


 けれど、俺はそれを選択することができない。


 吐き出してしまえばどれだけ楽になることだろう。吐き出してしまえばどれだけ苦しむことにつながるだろう。言葉を吐いてしまえば、それはもう覆らないものになってしまう。


 俺は、それを選択したくはない。


 選択する自分を許したくはない。


 だから、吐き出したい言葉は探さない。


 理性的に、理知的に、獣にはならず、人間として、言葉を探す。


「俺は──」


 ──どうして、俺は言葉を吐くことを選択しないのだろう。そんな自分を許すことができないのだろう。


 彼女の言葉の通りに吐き出してしまえば楽になるというのに、それを選択しないのはどうしてなんだろう。


 俺の振る舞いが変わってしまったのは、彼女と俺が同族であると考えてしまったときからだ。


 村人Aだと自称する彼女に、心を動かされたに過ぎなかった。


 無自覚なまま過ごしていた自分の姿に、釘を刺されたような気がした。


 俺が今まで過ごしていた日常とは、その役割でしかないことを自覚した。


 だからこそ、彼女にとって歪に見えるような振る舞いを、行動をしていたのかもしれない。視線が伝わってしまったのかもしれない。


 そうであるのならば、言葉を出してはっきりするべきだ。


 そうであるのならば、吐き出して楽になってしまうべきだ。


 俺はそう思う。そう思っている。彼女の言うとおりだと思っている。吐き出してしまえば楽になるのだ。


 けれど、それを選択することに躊躇いが生まれている。


 それは、どうしてか。


 それは、なぜなのか。


「──対等に、なりたかったかもしれない」


 俺は、そう言葉を吐いた。





 俺は主人公にはなれない。


 俺は誰かの登場人物になることはできない。


 物語の裏で暗躍するようなキャラクターにはなれない。悪者にだってなることはできない。


 誰かの役柄を支援するようなキャラクターにもなれない。


 普遍的に過ぎていく日常の中で、影のように存在する登場人物、モブ、表現としては村人Aにしかなることはできない。


 俺には、そうすることしかできない。


 俺が主人公であったのならば、後悔を正しい気持ちで抱いて、過去に対して憂いを抱くのかもしれない。


 幼馴染に対して行動できなかったという過去を、いつまでも囚われたうえで、いつか行動する人間になれていたのかもしれない。


 花村と出会うこともなかったのかもしれない。出会っていたとしても、俺は彼女という存在の中に役割を見出すことはできず、特に花村という存在を考えることはなかったのかもしれない。


 けれど、俺は主人公ではない。


 モブでしかない。


 登場人物ではない。


 どこまでも、ただ存在するだけ存在する人間でしかない。


 だからこそ、俺は花村に惹かれているのだ。


 同じような存在である彼女に、同族でありたいと思う彼女に、俺は惹かれているのだ。


 そんな彼女に甘えるように、俺が楽になる言葉を吐きだしてしまえば、それは同族とは言えなくなってしまう。


 対等だとは言えなくなってしまう。


 関係性をやり取りする上で、イーブンじゃない関係を望みたくはない。


 そうすることを選択してしまえば、、次の後悔につながってしまうような気がしてしまう。


 それを俺は選択したくはない。


 今度こそ、それを取り逃したくはない。


 だから、言葉を吐きだしたくはない。


 俺は、それを吐き出すことを許さない。





 そっか、と彼女は言った。


 ふと花村は立ち上がって、カウンターとされている場所から遠ざかるように足を運ぶ。廊下のほうへと足を向けたかと思えば、別に図書室の外に出るでもなく、廊下際にある窓のほうを見て、空に濃く仕上がっている灰色を見つめるだけをしている。


 俺は、それ以上に言葉は見つからず、その姿を見つけるだけしかできない。


 彼女のせいでこんな生活が始まった。そんな言葉を吐きだしてしまえば楽になるのに、そうしないことを選択して、彼女の行動を見つめている。


 今の花村は、どこか主人公のような振る舞いだと思った。もしくは登場人物のような、そうじゃないとしない行動だと思った。


 村人Aであったのならば、そんな感慨深く窓の外を見つめることはしないだろうか、俺はそう思ったのかもしれない。


 耳に届くのは窓を打ち付ける雨音だけだった。


 自分の呼吸もどこか遠くに感じて、景色をすべて俯瞰で見つめることしかできずにいた。


 本を読むことは諦めてしまった。手元にあった本を覗くことを選択するのはやめた。そうした演出を重ねることに、俺は憂いを抱いてしまった。


 静かに、俺は彼女を見つめ続けた。


 彼女は、その視線に気づかないまま、窓を見続けて──。


「今日も、一緒に帰ろっか」


 息を含ませながら、静かに俺にそうつぶやいた。

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