第14話
◇
彼女の言葉に視線を向けた時、俺は息を呑み込んでしまった。彼女の表情に気づいてしまったとき、俺は息を呑み込むことしかできなかった。
花村が浮かべていた表情、そして彼女がつぶやいたその言葉には、どこか氷のような鋭利さがはらんでいた。
そこに、表情なんてなかった。
日常に流れている一部の場面を切り取るように、彼女の表情は凍り付いてしかいなかった。
そこには意思を介在させないように、いつも浮かべているような優しい笑顔も、知らないどこかで浮かべているかもしれない悲しみも、どこかで感じていたかもしれない憤りさえもそこにはない。
いつか浮かべていた義務的な笑顔を思わせるような、そんな虚無的な表情。
そこには、花村の虚無の表情があった。
彼女の声音は乾いていた。
乾いていたけれど、冗談で済むように口調自体は明るかった。
けれど、俺は彼女と同類だと思っているからこそ、他人には感じ取ることができない何かを感じ取ってしまっている。
『高原くんは、本当にそう思ってるのかな』
彼女は確かにそう言った。俺の言葉に対して絡むように、彼女は確かにそう紡いでいた。
俺は、そんな言葉を返してきた彼女に、そんな表情に、どのような言葉を送ればいいのかわからない。どのような感情を抱けばいいのかさえ分からない。
言葉の意味が分からないわけじゃない。意図が分からないわけでもない。彼女の問いはシンプルなものであり、それ以外の何物でもない。
それを理解できない、とはここでは答えたくない。思いたくさえない。
彼女の言葉を受け取ったうえで、俺は沈黙の中で答えを探し続けている。
『後悔のない人生なんて、それこそないに決まってる』
俺は彼女にそう言った。
だが、彼女はそれを真だとは思わなかったのだ。偽物でしかないと思ったからこそ、俺の言葉に絡みつくように、彼女なりの言葉で返してきたのだ。
俺は、呟いた言葉に対して、責任を持つことなどできない。
真っ当な、それでいて無難な言葉を選んだと思っている。それで状況を終わらせようとしていた。
どこか筋が通っていないことを自覚しながら、適当に会話を流そうとした。
後悔のない人生なんて存在しない。俺は確かにそう思っているけれど、俺はそれを踏まえたうえで後悔したことがあるのだろうか。
本当に、後悔をしたことがあるのだろうか。
◆
後悔、という言葉を浮かべるたびに思い出す光景は存在する。
けれど、取り返しがつかないからこその過去であり、それに対して後悔を抱くなんて、無駄でしかないことじゃないか。
心に後悔を持つことなんて、そんなの、疲弊することにしか繋がらないじゃないか。
それを抱えたところで、自分の中に得があるわけじゃない。ましてや打ち消すような損だけが生まれるだけじゃないか。
だから、何も考えないように生活をしている。
もう終わったことだから、と清算をしたつもりになって、後悔を抱くことなんてやめている。
今でも、きっと行動をすれば取り返すことはできるはずなのに、それを求めないまま、俺はなかったことにして、そうして日常生活を営んでいる。
そうすれば、俺は幸せなままで過ごすことができる。
何にも気づかないで、日常を営むことができる。
無駄がなく、無駄しか存在しないような、そんな人生。
そんな人生が送れるなら、それでいいじゃないか。
俺は、そんな開き直りに到達したのだ。
だから、俺は日常を飛ばすように、眠ることで意識的に遠ざかることを選択したのだ。
◆
幼馴染との距離を絶ったのは中学生の時だった。
「一緒の高校に行こうね」
彼女はそう語っていて、俺はそれに頷くことしかできなかった。
きっと、彼女の言葉に従えば、その先に未来はあったのかもしれない。
幼馴染との約束を果たすことで、そうした縁を育むことはできたのかもしれない。
周囲には幼馴染との関係をよく揶揄われた。妹にだって、そのことでよくつつかれたことがある。けれど、そんな周囲の反応なんてどうでもよくて、俺たちは俺たちの関係性を大事にしながら、いつかたどり着くであろう幸せな結末に期待していた。
でも、それを選択し続けることが、俺にはできなかった。
いろいろな理由がある。幼馴染に対して踏み出せなかった理由は見つかっている。
彼女は誰よりも綺麗だった、とか、彼女は俺よりも優れている存在でしかなかった、とか、俺は彼女と比べて劣っていることだったり、彼女と俺とでは対等にはなれない、とか、そんな理由が確かにあった。
けれど、そんな俺の不安を覆い隠すように、彼女はいつも俺に対して関わってくれていた。
大丈夫だよ、と声をかけてくれていた。
声をかけてくれていたのだ。
だが、俺はそんな彼女の優しさを無碍にした。
俺では彼女と一緒に生きていくことはできない。
中学時代、そんなくだらない格好つけにしかならないことを思って、彼女から視線を逸らして、そうしてこの学校にやってきた。
彼女との約束を、果たすことを選択しなかった。
俺は、それを後悔していることとして、扱ってはいない。
扱うことを選択していない。
あの時にそんな行動をとった自分を振り返って、後悔を抱いても、俺にとってはつらいことにしかならないから。
後悔を抱けば、俺は過去に縋りつくことしかできないから。
だから、俺はすべてを無視して、ここに立っている。
結果として、このような場面に向かい合うことになっているのだ。
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