第13話


 予感していた通りに、その日は雨が降っていた。いつか空が見せてくれた灰色の曇天が世界に映っており、時々地響きを含ませるように鳴くゴロゴロとした音が、少しだけ自分の中にある不安をあおっていく。


 雷を怖いと思ったことはない。けれど、当たってしまえば、それだけで命が潰えてしまう可能性がある。当たることなんてないだろうけれど、そんなくだらない妄想をするたびに、自分の人生とは何なのだろう、とかを考えたりする。特に、ここ最近に至っては。


 村人A、花村の表現した言葉がどこまでも頭の中に引っかかっている。


 義務的な生活、義務的な表現、義務的なやり取り、義務的な振る舞い、義務的としか思えない人生。主人公と言える役割のようなものはそこにはなくて、自分が社会の歯車の一部であったことを自覚するような、そんな言葉が頭から離れない。


 放課後、俺はそんな不安と表現するべきなのかわからない感情を抱えながら、図書室に赴くことにした。





 やはり学校全体の雰囲気のせいなのか、図書室の中で勉強をするような人はおらず、いつも通りにそこは空洞のままだった。いつも通り、という言葉を使うことができるほどに図書室へと入り浸っているわけではないけれど、やはり勉学よりも先んじて違うことを行おうとするこの高校の雰囲気は、どうあっても図書室の存在が不一致であるようにも感じる。


 図書室の中に入って、すぐにカウンターのほうへと視線を向ける。


 慣れたように、そこにいるであろう彼女の姿、花村の姿を視界に入れて「よっす」とだけつぶやいてみる。自分で言っていて、どこか独り言のように感じた。


 当たり前のようにそこにいる花村は、図書委員の仕事らしきものを机の上で行っており、かたかたとキーボードを鳴らしながらパソコンを操作している。中身については頑張れば見えそうな雰囲気があるものの、図書室の電灯の明るさが邪魔をしてその詳細まではよくわからなかった。


 彼女は俺のほうを一瞥すると、おっす、とだけ返してくる。


 特に会話は生まれることはなく、静かな空気。彼女の仕事を邪魔するというわけにもいかず、俺は予定通りというべきか、ずっと前から考えていたことのようにライトノベルのコーナーへと足を運んでいく。


 彼女は俺の動作を気に留めることはなく、ただ作業を繰り返している。斜めに降っている雨が窓ガラスを打ち付ける音と、彼女がキーボードを打鍵する音。たまにリズムが合うように重なるそれは、耳にとって心地がいいものだと思った。


 俺はライトノベルのコーナーに行って、ありきたりなものを取った。表紙については気にすることもなく、タイトルについてもよく考えずにとった。長文の題名ではなく、シンプルな題名のものを取っていて、それだけ昔懐かしのライトノベルを手に取ったんだな、と持ってから気付いた。少し滑る表紙の感触に落とさないよう気を付けながら、そのまま俺はカウンターの付近にあるテーブルのほうへと座っていく。


 それからは、読むふりをした。


 こういう時に、勇気をもって声を出せない自分が恨めしい。


 もともと花村と話すことを目的にして図書室に来たというのに、傘をあえて忘れてまでここに来たというのに、それでも俺は何も行動することはできていない。彼女が主導になることを心の片隅で期待していて、その時が来るのを待っているのだろう。


 俺は、息を吐いた。


 息を吐いて、図書室の中を眺めていく。


 図書室、夕暮れ、放課後。誰も彼もが行動をしていく中で、二人の環境の中で一人ぼっち同士。


 互いに自分自身を村人Aである、という自覚を持った、何も進展がしない者同士。


 恋愛というものを理解することができず、物語の登場人物にさえなりきれない、片割れ同士。


 そんな認識を考えるたびに、心は曇天のように灰色に染まっていく。白と黒とも付けられないあやふやな色を考えて、ため息を吐くしかなくなる。


 そんな時だった。


「後悔していることってある?」


 彼女はパソコンに向き合いながら、特に俺へと視線を向けないままで唐突に聞いてきた。


 図書室に漂う香りが鼻腔をくすぐった。彼女から声がかかったことで、呼吸が少し加速した。


 俺は読み進めている手を止めてみて、それから彼女の言葉を咀嚼してみる。


 唐突過ぎる話題。ここまで特に会話もしておらず、開口一番と言っても間違いじゃない空気の中で、花村が俺にそう聞いてきたのだ。


 間延びしたように「後悔、……後悔ねぇ」と返してみる。


 頭の中に思い浮かぶ後悔はない。


 幼馴染に対して行動できなかった思い出が頭の中に過ってくる。だが、それは行動できなかったからこそ、いい思い出として心の中に蓄積されている。


 けれど、後悔をしない人間なんていない。頭の中に浮かぶものはないものの、それでも過去に戻ることができないのだから、人は後悔というものを抱くのだ。


 彼女の問いに答えるとしても、頭の中に思いつく後悔はない。それを言葉にする勇気もない。彼女にとってどうでもいい話を、取り繕ったように語ることは俺にはできない。


「俺は──」


「私はね、あるんだよね」


「──なるほど」


 いつか彼女にしたときのような、曖昧な返事、よくわからない言葉だけを返す。その相手をするように「例えば?」と吐いてみるけれど、花村は気まずそうに息を吐いた後「あんま言いたくないかな」と答えた。


 気持ちは、わからないでもなかった。実際、俺も話すことをあぐねてしまったのだから、それについてツッコミや文句を言う権利はなかった。


「後悔のない人生なんて、それこそないに決まってる」


 きっと、これ以上の会話は発生しないし、派生もしないだろう。そんな気がして、会話の終わりを報せるようにした。


 その言葉で、そんな無難な言葉で終わらせるようにした、けれど。




「──高原くんは、本当にそう思ってるのかな」




 彼女の視線が俺を刺していたことに気づいたのは、その言葉の後だった。



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