第12話


 睡眠を大事にするだけの生活を営んでいるはずなのに、その夜はあまり眠ることはできなかった。


 いつもであれば、昔のことを思い出すような夢を繰り返して、その懐かしさに心を落ち着かせるだけの生活。今更ながら、過去にすがるような生活だということを自覚すると、どうしても気持ちよく寝ることはできなかった。


 何度も寝相を変えた。目の位置を考えて、舌の位置を把握した。膝の部分にわだかまる熱の感触を布団の外に放り投げて、冷やしてはまた布団の中にくぐもっていく。だが、そんなことをしても地続きに意識は覚醒していて、まるで世界から睡眠することを許されないような感覚に陥った。


 瞼だけは閉じて、暗闇の世界。慣れているはずの暗闇なのに、その日はどうしてか見つめ続けることができなかった。


 携帯を取り出して、俺は花村の連絡先を開いてみた。


 クラスのグループチャットから開ける彼女の連絡先を、唐突に登録することには抵抗がある。だから、覗くだけ覗いて、それだけで終わらせる。


 花村という名前の一部を示すように、プロフィール画像は花束のようなものが写真として残されている。


 他の面々のプロフィールを覗けば、友人との関係を誇示するような、そんな共同の写真ばかりなのに、彼女はあくまで風景に徹するような、そんな画像。


 俺は、ふと気になって自分の画像を見ることにしたけれど、そもそも何も設定がされていないことを自らに知らしめるだけの結果になり、息を吐く。


 周囲に紛れるだけの、それだけの存在。


 村人A。


 これほど、的確な表現があっただろうか。





 消化しきれなかった眠気に瞼をこすりながら登校すれば、いつも通りの日常が広がっていた。


 教室で見かけた花村も、昨日の出来事を感じさせないような、いつもの彼女。


 俺もそれに合わせるように、何か話しかけることはなく、いつも通りに彼女とは関わらない。


 男友達と適当な雑談だけ広げて、それに愛想笑いを繰り返すだけ。


 そんな作業を繰り返している中で、一瞬だけ花村を覗いてみる。気になってしまう、と言えば誰かに揶揄われるのかもしれないけれど、それでも実際気になってしまったのだからしょうがない。


 花村も、俺と同じようなものだった。


 俺が彼女と同じなのか、花村が俺と同じなのか。そんなどうでもいい思考が一瞬過った。眠気とともにそんなことを振り払いながら、彼女のことを見つめた。


 板についたような愛想笑い。女友達であるクラスの人間に対して、昨日見た時のような、義務的な笑顔だけ浮かべて、反応している。


 そんな、いつも通りの今日。


 そんないつも通りの今日なのに、今日だけは頬の筋肉の動きを、詳細に感じ取ることができてしまった。





 その日からしばらく雨は降らなかった。


 雨が降らなかったから、いつも通りに家に帰るだけの生活を繰り返した。そうすることしか、俺にはできなかった。


 あの日から、人の目をうかがうようになった。


 村人Aという自覚が、自分の生活の波長を狂わせているような気がした。一度、振り払うことを意識して、学生生活というものを紡ごうとしたけれど、その甲斐はなく、ただ疲れがたまるだけだった。


 一週間という期間が、長く感じた。


 いつもであれば睡眠で終わらせるだけの日々。


 けれど、それからは集中して睡眠をすることができなくなった。


 帰れば睡眠の快楽を求めて、そうして睡眠に励むというのに、あの日からはそうすることをやめてしまった。


 きっと、本質が自分の中で割れてしまったからだと思った。


 睡眠に快楽なんて求めていなくて、ただ睡眠をすることで時間を流しているだけということに気が付いた。


 虚無感をなくすためだけに、無駄に時間を浪費していたのだ。


 主人公にはなれないから、俺は時間を適当なことに費やしたのだ。


 俺は、俺の正体が割れてしまった。


 それなら、花村はどう生活しているのだろう。


 あの日から、俺は彼女が気になってしょうがない。


 俺は、そんな感情を好意と捉えることはまだできていなかった。





 水曜日になった。


 その日は朝から曇り空が広がっていた。黒深い灰色が飾られている空に雨というものを予感せずにはいられなかった。それ以前に妹である皐から、傘を忘れないようにと持たされた。


「雨が降らなくても、学校に置いてかないでよ?」


 そんな母親が言いそうな台詞を彼女は呟いて、俺はそれに苦笑した。忘れないようにするよ、という台詞を彼女に返して、その裏側で頭の中は違うことを考えていた。


 ぼんやりと浮かんでいたのは、図書室という空間の存在。古本だけが重ねられているような、古めかしいだけが象徴のような存在。


 そこにいるであろう、彼女の存在。


 頭の中は、それでいっぱいだった。


 花村と、何かを話したい。


 気になっている彼女と会話をしたい。


 そんな気持ちでいっぱいだったから、結局傘を持つことはやめてしまった。



   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る