第9話
◇
傘を打ち付けていた雨はだんだんと弱っていく。迷子になりそうな暗闇の中、雨だけが景色にあった世界は還元されて、視界の中はだんだんとクリアになっていく。
そんな中、隣にいる彼女を横目で覗けば、顔よりも先にピンク色の傘が目に入ってくる。よくよく考えなくとも、先ほどまで花村の傘で相合傘をしていたことを振り返ると、少しだけ頬の片隅が熱くなるような感覚を覚えてしまう。
特にそれらしい会話を生むことはない。ぎこちない空気だとも思うし、離す事柄がないから話さないだけ。以前、幼馴染と過ごした時のように、俺にとっては居心地の悪くない空気感に絆されながら、前の道を見つめて、そうして歩き続ける。
「ねえ」
そんな時に隣から声が聞こえてくる。ん? と声を出しながら彼女のほうへと視線を移すと、彼女はニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら「相合傘でもする?」と聞いてくる。
「……もう、傘持ってるので大丈夫です」
「そう? ずっと高原くんが私の傘を見つめてるから、相合傘を恋しく思っているのかなぁって」
「……」
そんなわけないだろ、という言葉は心の中で飲み込んでおいた。言葉にしてしまえば、彼女との相合傘に関連して、彼女のことも否定してしまうような気がしたから。
だから、返答はしないまま、ぼんやりと道を歩いていく。前をきちんと見ないと、水溜まりを踏んでしまいそうになるから、それに気を付けながら。
◆
そんな中でも、頭の中で思考は続いていた。
俺は彼女との間で何をしたいのか、未だに考えが決まらずにいる。何かをしたい、何かをしなければいけない、という気持ちははっきりしているのに、その具体性が全くなく、一緒に帰っているという状況の中でも、何かしらの不足を感じずにはいられない。
俺は、どうして彼女と一緒に帰っているのだろう。
こんな夜道の中、女の子を独りで帰らせるのは確かに違う。別に近隣が物騒である、という認識も俺の中にはないし、花村独りで帰ったとしても、特に問題は生まれないはずだ。……そこで独りで帰らせる人間性については置いといて、ともかくとして何か問題が生まれるということはないはずなのだ。
それならば、どうしてこんなことになっているのだろう。
感情の正体は見つからない。衝動の正体を見つけることはできていない。引っかかるのは彼女の言葉と表情だけで、何かしら放っておけないような、そんな抽象的な想いしかない。どこからそれが所以しているのかはわからないけれど、ともかくとしてそれを無視してはいけないような、そんな気がしてしまうのだ。
◇
「高原くん」と彼女は俺の名前を呼んだ。
先ほどと同じように、俺は、ん? と返答をしながら彼女のほうを覗いていく。
今度も悪戯をするような笑顔をしているのかと思ったけれど、視界に入れた彼女の表情は、笑ってはいるものの、くすぐるような表情ではない。
「高原くんは好きな人とかっているのかな」
雨の雫が弱まっている景色の中、彼女は歩きながらそう言葉を吐く。まるで独り言のような台詞だな、と俺は思った。
「どうだろうな」と俺は答えた。
中学時代までを思えば、その質問に浮かんでくる人物はいる。
いつも隣にいてくれた女の子、幼馴染の彼女。
けれど、やはりそれは幼馴染でしかなく、それ以上も以下もない。
それを、今でも好きだという風には思えない。
「今はいないな」
だから、端的な答えとして、そんな言葉を呟いてみる。その言葉だけで、花村ならすべてを察してくれそうな気持ちがあった。
「そっか」と彼女はぼんやりと返答しながら、ただ道を歩き続ける。ちょうど十字路の道の中、右のほうへと曲がりながら、俺の言葉を彼女の中に落とし込んでいるようだった。
「花村は?」
会話のキャッチボール。
女子にそんなことを聞くのは、少しだけ恥ずかしい感覚。まるで聞いている当人に対して、俺が恋心を抱いているような、そんな言葉に頬が赤くなる感覚。けれど、聞かれたのだから、彼女にも聞き返さないといけないような、そんな気がした。
「私もいない」と俺の言葉に彼女は返答した後、付け加えるように「というか、恋愛ってよくわからないんだよね」と呟いてくる。
「どこからどこまでが好きなんだろう。仲がいいのが好きなのかな。それともそれとは別に何か感情が発生したりするのかな」
「……なるほど?」
どう返答すればいいのかわからないから、そんなよくわからない返事をしてしまう。
恋愛の定義について、俺だってよくは知らないし、体験したこともない。
ぼんやりと好意を抱いていた記憶はあるけれど、それが恋愛なのかはわからない。成就していればわかったのかもしれない。
友愛、恋愛。もしくは家族愛。
人に向ける感情のベクトルは同じでも、その質が違うのだろうか。それだけの話なのだろうか。
よく、わからない。
「あっ、そうだ」
彼女の言葉に返す答えも見つからないまま思考を続けていると、彼女は思いついたように──。
「──付き合っちゃう? 私たち」
──そんな、思い付きでしかない言葉を、彼女は紡いでいた。
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