第3話


 花村とは、今年の四月に知り合っただけの関係である。知り合うきっかけになったのは、進級することによってのクラス替えで合流しただけの人間というだけであり、それ以上に認識は俺にはないし、きっと彼女からもないだろう。


 友人という間柄に属するわけでもなく、近くにいれば気の迷いくらいで声をかけるか、というぐらいの仲。それを踏まえたうえでは、おそらく俺と彼女には仲というものは存在しないのかもしれない。


「高原くんがここに来るなんて珍しいね」


 その言葉通りというべきか、彼女は少しだけ訝しそうな表情で俺のことを見つめてくる。その言葉に対しての返答として、俺はそっと雨が降り頻っている窓のほうへと指をさしてみる。あーね、と彼女は返答した後、そのままカウンターから出ることはなく、先ほどまでやっていたらしい業務のほうへと戻っていく。彼女の手元にはノートパソコンが置かれており、何かしらの名簿のようなものが表示されている。それを邪魔してしまうのも悪いような気もするし、そもそも彼女と話題に花を咲かせようという気の迷いも生まれない。


 俺は適当に入り口からまっすぐ歩くようにして、適当に図書室の本棚に向き合うことにしてみる。目の前にあったのは歴史に関連する文献のコーナーであり、興味のない分野ではあるものの、それでも題名を眺めているだけでも時間がつぶせそうな雰囲気があった。


 けれど、そうしているのも次第に飽きて、結局のらりくらりと移動をしながら、そのままライトノベルが並んでいるコーナーのほうへと足を運んでいく。


 ライトノベルコーナーは他のコーナーとは異なっていて、図書室の中央に鎮座するように、回転式の本棚が使用されている。割と人の目がついてしまうような場所であり、正直、注目を浴びてしまうことを考えれば、躊躇いもなく赴けるコーナーではない。


 女性の知人がいる手前、そういったものを読むことには抵抗があるものの、これを目的に図書室に来たといっても過言ではなく、携帯を眺めていても埒はあかない。


 警戒するように、花村のほうへと視線を向けてみる。




 ……それと同時に目が合ってしまった。




 一瞬、本能による部分で俺は視線をそらしてしまうけれど、俺の視線を逃さないように彼女は「どうしたの?」と声をかけてくる。


「……いやぁ」


 俺はそう答えるしかなかった。


 彼女の前でライトノベルを手に取ることが恥ずかしいと口に出せるわけもない。先ほど馬鹿みたいに声を出してしまったばかりで、それを更に掘り下げるような羞恥心に囲まれたくはない。


「別に、私は気にしないよ?」


 何かを察したように、花村はそうつぶやいてくる。心なしか慈愛を含めている視線だと思えてしまって、それがどこか心に痛い。


「いや、俺が気にするというか、なんというか……」


「そうなの?」


 彼女の声に、俺は「そうなんです」と返答してみる。彼女は俺の言葉に「なぜに敬語だし」とくすくす笑った。





「高原くんは面白いんだね」


 結局、ライトノベルを手に取る勇気が生まれることはなく、そのままぼうっと過ごすだけの時間ができてしまった。携帯を取り出してしまえば負けてしまう、という謎の気持ちが生まれてしまって、そうして俺はぼんやりと図書室の中を徘徊するしかなかった。


 この高校の人間が使っていないこの図書室、使われてはいなくとも、結構な数の蔵書がある。だから、見ているだけでも時間はつぶせるのだけれど、それが楽しいかと言われれば別にそういうわけでもなく、結局は意識が右から左に流れるのを感じることしかできない。


 そんな俺をからかうように、彼女はカウンターから俺に向けて声をかけてきた。本棚の傍らには『図書室ではお静かに』と書かれたラミネートが貼ってあるものの、それを無視するように大きな声で。


「どうも」


 俺は無難な返事をするだけにした。それにつけあがるわけもないし、うれしさを感じるわけもない。お世辞にしかならない言葉を真に受けることなどはなく、ただ心へと静かに落とし込むだけ。


 こういった場面での、面白い、という単語に深い意味はなくて、いつも関わっていない人間だからこそそういう一面があることを認識した、という合図に過ぎない。言うなれば、言葉に意味はなく、その言葉を吐いたことに意味があるのだろう。


 俺の無難な返事に、彼女はニヤニヤとした表情を崩すことはなく、俺のことを見つめている。会話が生まれることはなく、俺にとっては気まずい時間を過ごしているだけの感覚に陥るのだが、彼女は気にしていないというように、俺の動作を見続けている。


 ……仕方ない。


 こうした沈黙の時間を過ごすのは、幼馴染でもなければ気まずいとしか感じられない。長い時間を過ごした相手とならば、沈黙であっても心地の悪さは感じないが、この知り合いとしか言えない環境での沈黙は、俺にとっては良くない。


「……というか、今更で申し訳ないんだけど、なんで花村はここにいるの?」


 とりあえず俺から話題を振ることによって、一瞬の気まずさを緩和しようと試みる。


「本当に今更だね」と彼女は苦笑した後で「図書委員の当番だからです、毎週水曜日にね」と言葉を返してくる。


 なるほどな、と俺も声を返したところで、また沈黙が訪れてくる。


 ……どうしよう。こういう時に俺はどうすればいいのかをよく知らないのだ。

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