第2話 戦闘準備

あらゆるものが無となったこの世界。

世界は、本来の姿を取り戻した。だがまだそれは不完全なものだ。


今、問道の前には一人の少女が立っている。先ほどの声の主だ。

少女の容姿は簡単に言うと、白エルフと日本人のハーフ。そんな感じ。

髪は肩にかかるかかからないかくらいの長さのボブカットであり、黒く、とても艶やかだ。CMとかで見るようなつやっつやの髪。対して少女の肌は人間における理論値をたたき出していると思えるほど白く透明感のあるものだ。雪よりも白く美しい。かつて目にしたオオアマナの花のように清らかで無垢な白だった。

身長は160cmほどで少々やせ型。175cmの問道からしたら小さくかわいらしい生き物だ。白いワンピースを身にまとっている。


 だが一つ問題がある。顔が見えない。光り輝く霧のようなものでもやもやと覆い隠されている。涼しげで切れ長な、ガラスのような目の部分は辛うじて見えているような気がするが、それでもやはり表情や人物像を認識するにはあまりにも不十分なものだ。



「こんにちは」

初対面の人にはとりあえず挨拶だ。顔が見えない不気味さを問道は感じつつも、とりあえず挨拶をしてみた。

「こんにちは」

返ってきた。表情はわからないが、その声色から察するにどうやらにこやかだ。

敵ではないらしい。


「なんと呼べばいい?」

「うん?」

「君のことはなんと呼べばいいんだい?」

「お好きなようにどうぞ。」

「君は確か、俺のことを今後どこかに導いてくれると言ったね。」

「言いましたね。」

「じゃあ、ガイドだ!ガイドと呼ばせてもらおうかな。」

「安直ですね。」

「お好きなようにと言ったじゃないか。」

「こういうときに女の子を固有名詞で呼ぶような真似をするから、10年以上も彼女ができないんですよ。」

「何で知ってるんだ...まぁ良いわかった。じゃあなんだ、うーん、」

「ここは時間を使うようなパートじゃないですよ」

「ああもうわかったよ!涼花すずかだ!涼花!文句ないか!」

「ええ、素敵な名前をありがとう。」


真っ白な空間。真っ白な少女。どちらもまだ不完全。

そして問道もまた不完全だ。


問道は、少しウエーブパーマのかかった自身の髪型を少し整えるようなそぶりを見せたのち、涼花に尋ねる。

「で、君は俺をどこに導いてくれるんだ?」

「君?」

声色を伺うに、どうやら怒っている。

「....涼花は、俺をどこに連れていくつもりだ?」

「今あなたはに身を投じています。ただ、この無は不完全なものです。

 あなたが目指すのは完全な。その完全な無に導くのが私の仕事です。」

「待ってくれ。完全な無を迎えられたとして、何になるんだ?

 その先には何がある?」

「答えというものは他人から授かるものではありません。先ほどまでのあなたのよう        

 に、自らの力で探求し掴み取るものです。」

「そうかい、わかったよ。仰せのままに。」

問道はどこか諦めたように、体から力を抜く。


「ではまず最初のステップです。仏教の教えの中で、心は生じたり滅したりするものであり、心を1つのかたちとしてとらえようとすることはできないと言われています。すなわち、心を無にするとはということだと。今この瞬間に重きを置き、感情に左右されることなく自然体を貫く。その姿勢が必要となります。世間一般ではマインドフルネスなどと呼ばれてもいますが、それを訓練あるいは体感するのに手っ取り早いのは瞑想でしょう。」

「瞑想」

問道がいままで何度か日課に取り入れようとしたが、ことごとく三日坊主で終わったやつだ。

「はい。今から十分間瞑想を行っていただきます。先ほど述べたように、感情に左右されないよう今この瞬間に集中することを心掛けて下さい。 ・・・・ふぅ。」

いっぱい喋ったから疲れたようだ。


急に人間らしさを見せた涼花に対して、問道は眉をひそめる。心の奥底から呼び覚まされようとしている感情・言葉を、嫌だやめろ来るなと自らに言い聞かせることで抑え込み、そして問道はその場に胡坐をかく。瞑想の体制だ。


「・・・じゃあ、やるぞ。」

「お好きなタイミングでどうぞ。」


 問道は静かに目をつむる。それと同時に涼花はどこからか取り出したストップウォッチで時間を測り始めた。


 問道は、無を目指した。自らの呼吸に注意を向け、自然と一体化しようと試みた。吸って、吐いて、吸って、吐いて。心の中に感情の泉が湧き出ようものなら、その波に飲み込まれないよう排除に努めた。


幸いここは無の空間だ。あらゆるものが消え去った世界。

音というものが存在しな....

.....小さいながらも何か聞こえるな。なんだろう。

問道は薄目を開けてみた。

自分の前で、ストップウォッチを見ながら楽しそうに左右に小さく体を揺らしている生き物がいる。

問道は深くため息をつき、また目を閉じる。涼花は顔を上げ、何かあった?と言っているかのような感じで首を傾げた。


「はい、そこまでです。」

無でありながらも、濃密な十分間が終わりを迎えた。

「どうでした?」

「うん。有意義な時間だったよありがとう。」

「これで準備は整いました。いよいよ本番です。」

そう言うと涼花はふわりと回れ右し、問道に背中を向け、そして地面の方へと静かに手を向けた。涼花の背中越しに問道がその光景を不思議そうに見つめていると、地面

からスゥっと真っ白な立方体のような台がせりあがってきた。


問道は立ち上がり、台のほうへと近づく。台の上には五個の小さな美しいグラスが並べられていた。色は五色に分けられており、左から緑・黄・赤・白・青だ。グラスの中には水が満たされている。

「これは?」

「戦いへの門です。」

「た、戦い?」

「人は瞑想中マインドフルネスの状態を目指そうとしても、どうしても感情の波に襲われる時があります。それは過去のできごとが原因だったり、今の悩み事、将来の不安が原因だったりとそれぞれです。完全な無を実現するには、それらに打ち勝たなければいけない。強さはそれぞれですが、この五個のグラスはあなたが無を実現するうえで障壁となったものたちを具現化したもの。要するに、あなたが完全なる無を迎え入れるには、あなた自身の中に五枚の障壁があるということです。各グラスに入っている水を口にすれば、その障壁となっている出来事の時間軸・世界線まで飛ばされます。肉体も、その時のあなた、その時の山谷問道に憑依する形になります。」


「その飛んだ先で、その障壁となっている出来事をどうにかしていくことが、これからの俺の戦いだと?」

「その通りです。」

「その出来事というか、過去や今の心の傷?というのをどうすればいいんだ?」

に帰すのです。」




五個のグラスの前に、問道は立っている。横には涼花がいる。


「結構おしゃれなグラスだね。」

「私が選びました。」

得意げなご様子。


「グラスの色に意味は?」

「あるとすれば、一つ。」

涼花は静かに答える。

問道は涼花のほうを見るが、涼花は目を合わせようとしない。


「おすすめは?」

「そうですね... 戦い方を覚えるためにも」

涼花は一番左の緑のグラスを手に取り、問道の方へと差し出す。

「これが良いかと。」

問道はスッとグラスを受け取る。その際手が触れ合ったような気がした。涼花はイマジナリーなものであるため感触はないはずなのだが。

「飲んだらすぐ飛ぶ?」

「いえ、水があなたに浸透したら飛びます。」

「それってすごく時間がかからないか?」

「あなた次第です。」

問道はおそるおそるグラスを自分の顔のほうへと近づけ、水とのファーストキスを

果た.... せなかった。


「あの、ってのが怖いんだが。飛行のことか?それとも的な?」

涼花は呆れたように答える。

「飲めばわかります。気づけばあなたは戦いの場にいるはずです。

 ....気にしすぎるのは問道の悪い癖だね。」

その言葉に問道は顔をしかめたが、否定はしきれない。

「この癖をどうにかできるならどうにかしたいよ。」

「それも、あなた次第ですからね。」


心を決めた問道は、勢いに任せて緑のグラスに満たされた水をグイと喉に流し込む。スウッと体に染み渡るのを感じ、それと同時に問道の足元から芝生がブワァッと四方八方に広がっていった。風、におい、空気、音、そして人。あらゆるものが問道の周辺に取り戻されていく。そして、完全再現された。河川敷だ。

瞬時に問道は大きな嫌悪感に襲われる。

「くそっ、ここは」

「ええ、あなたが中学一年生の時の部活動の風景ですね。」

問道は小学校から高校までの12年間、サッカー部だった。ポジションは左サイドバックで、特段下手だったわけではないがうまくもない。二軍メンバーのちゅうじょうそんな感じだった。しかし、サッカー部というのは実力社会。同学年でもうまいやつは先輩からもちやほやされ、下手な奴らは貶される。問道にとっては、先輩から罵られ、人格否定や仲間外れなどの対応を受けることは日常茶飯事だった。特にこの中一の時期は。


一人の先輩がこちらに向かってズンズンと近づいてくる。坂本という男だ。肩で風を切っているが、彼も問道と同じ二軍のメンバー。周囲の状況から察するに今は一軍と二軍の紅白戦が終わったところであり、問道の記憶が正しければ、問道はこのあと坂本からの罵倒を受けることになる。

「たのむ涼花、帰らせてくれ」

「これは定めです。」

「おい!問道!」

数年ぶりに聞くその脅迫に近い呼びかけに、問道は血の気の引いた表情で反応する。


「では、迎無げいむスタートです。」

問道にしか聞こえていないその涼花の声とともに、カーンと力強くゴングの音が鳴らされた。


「問道!お前マジで使えねぇんだよ。ゴミムシだゴミムシ。死ねや。」

中学生らしいその語彙力で、坂本は問道を殴りつける。言葉の暴力ってやつだ。

問道は今すぐにでも大声をあげてふさぎ込みたい気分になる。

「さっさとうちから出て行けよ邪魔なんだよ。」

罵声を吐き捨て、坂本は去っていった。そして、さっきまで問道に罵声を浴びせていたのが信じられないほどにこやかに、別の人物と話している。あれは問道の同級生だ。

問道は震える瞳でその光景を見つめ、そして次にとる行動を決めた。


足早に坂本に近づいていく。

「先輩」

「あ?」

坂本が問道の声に応じ、振り返るやいなや、問道は渾身の右ストレートを坂本の顔面に向かわせた。問道の怒り発、坂本行き、特急スーパー右ストレート号だ。

 この中一の段階では特に格闘技はたしなんでいなかったが、今の問道はボクシングジムに通っている身だ。体の使い方を覚えた問道の放つその右ストレートは、なかなかの速さを誇っていた。そしてその拳が坂本のギョッとした顔面に触れようとした寸前、問道はどこかに吸い寄せられる感覚に唐突に襲われ、気づいた時には元居た真っ白の世界に戻されていた。


迎無終了げいむせっと。あなたの負けです。」

淡々と涼花は問道に告げる。


「なんでだ!君は過去と戦いそして勝てと!」

強い苛立ちを見せた問道は、ドカンと地面に座り込む。


「あなたはまだ完全に理解できていない。これは無を迎えるための戦いなのです。今あなたは坂本への怒りの感情に支配され、暴力に走った。いいですか、これはあなたが大人になるための戦いでもあるのです。私が思うに大人に不可欠なのはです。感情に支配されず、常に心にのスペースを保ち、その無のスペースを余裕として人格に体現する。それを身につけなければいけません。」


荒い呼吸の中で、問道は少しずつ涼花の言葉を飲み込んでいく。

「....わかったよ。俺が悪かった。」

「感情の押し殺し方、自然な精神状態を保つ術は既に経験済みですよね。」

「・・・・あぁそうだな。マインドフルネスだ。」


心を決めた問道は、フラリとよろめきながら立ち上がり、再度水の満たされた緑のグラスを手に取る。


「大人、か」

という言葉に、問道の中の固く閉ざされた扉を強くノックされつつも、問道は今に集中するべくその引っ掛かりを振りほどき、そして水を流し込んだ。

忌々しい風景が帰ってくる。先ほど見た風景と何も変わらない。だが一つ変わったものがある。それは、問道の精神だ。

「おい!問道!」

坂本の声を皮切りに、先ほどよりも力強いゴングの音が、問道の脳内に響き渡った。

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