迎無  ーげいむー

サカムケJB

第1話 鍵



「人間は万物の尺度である。」



 山谷問道やまたに もんどうは、いわゆる量産型の大学生。何をもって量産型とするのかは、それこそ人によるお話だが、今はとりあえず量産型という檻に収監しておいたほうがだいぶ楽であろう。

 大学生として四年目の中盤を過ぎ、生産性のない日々を送りつつも授業にはきちんと出席していたし、就活も済ませていた。まだ必修の単位として取らなければいけない授業があと何個かあるわけだが、それ以外にも単位のために専攻外・問道自身の興味外の授業もいくつか履修しなければいけない現状ではあった。


『哲学入門』

 文系だった山谷問道は、哲学に興味はないけれど理数系の授業を履修するぐらいならと、この哲学入門を選んだ。「人間は万物の尺度である」という言葉との出会いはもちろんその授業であった。

 この言葉は、この世に絶対なんてものは存在せず、すべての事柄は人それぞれであると考える相対主義者の代表格プロタゴラスが残したものだ。例えば、あなたにコップ一杯の水が渡されたとする。そしてそれを"冷たい水だ"と感じたとする。ただ、あなたが冷たいと感じたその水も、極寒の地域に住む人たちからしたら”常温の水”になりえる。同様にして、この世の善悪なども所詮はその人個人の価値観の押し付けに過ぎない。これが「人間は万物の尺度である」という言葉が表すものである。


 その言葉は、山谷問道の脳を刺激し爪痕を残していった。その日の哲学入門の授業を終え、いつも通り17:00頃に帰宅後ベッドにドカンと身を投げ捨て、いつものように脳内であらゆる妄想に心を躍らせようとしても、その爪痕がどうも疼く。


山谷問道は、この世の全てに疑念を抱き始めていた。


 問道が応援していたアイドルグループのリーダーKちゃん。かわいいが止まらないですぞ!と日々Kちゃんに鼻息を荒くしていたが、そのKちゃんという存在への疑いを皮切りに、疑いによるこの世の事柄への無差別攻撃が止まらなくなったのだ。


 かわいいと感じていたが、それは自分自身がこの物体を勝手にかわいいと定義していただけでありほかのだれかが見た場合にはこれをまず人だとすら思わないかもしれない。

 そもそも人間なんてもんは最終的には皆焼かれて骨になる。骨組が、物質と、人それぞれの価値観・相対的な定義を身にまといこの世に”人類”として存在している。

 では我々人類がこの世に存在していると思っているものは、そもそも本当に存在しているといえるのだろうか?

 科学の世界?それだって人間が作り出したものだろう。根っこに人間の概念がある限りそれは人間の世界の話だ。人間の人間による人間のための話。人間がこの世界が ると都合よく解釈するために作り上げた、虚の定義。自分という存在、この世界という存在、地球、思想、概念、すべてはその人がその人であるために作り上げた、その人自身への言い聞かせに過ぎないのではないか?


 そもそもこの世界なんてものは、存在しないんじゃないか?


 問いを続け、真理を求めるその姿はプロタゴラスというよりも『無知の知』で有名なソクラテスを彷彿とさせたが、とにかくこの大学四年生山谷問道は "る” だとか

 ”存在” だとかそうした世界の根底を覆す事柄にすら疑いの目を向け、もはやこの世界への認識すら歪み始めていた。



 ____暑いと思うから暑いんだよ!

 

 夏の学校の帰り道、一言あちぃと呟けば、このような言葉が友人あるいはご両親から返ってきた経験はないだろうか。不思議なもので、確かに暑いと思わないようにするとなんだか周囲の熱気が少し薄まったように感じたものだ。


 今回のそれもそれに近いのだろう。まあ近いというにはいささか規模感に大きな違いはあるが。

 

 山谷問道がこの世界は所詮人間が "る" と都合よく解釈し、その解釈あるいは個人への言い聞かせを積み重ねた結果生まれた偽りの何かであると感じ始めたその時、その思考の深まりと同時進行のような形で、世界が歪まり始めた。

「モノ」と呼ばれる触れられる何かも、「概念」と呼ばれる触れられない何かも今自分の五感六感を確かに刺激してはいたけれども、全世界の人が一人残らずそれが "る" と言うなんて保証はないじゃないか。そもそも "る" って何なんだよ。何をもってるなんだよ。

 

 そうした疑念は山谷問道の視界に映る世界に歪みを生じさせ、さらには我々が物体と認識しているその何かも、灰のように少しずつ消失させていっている。

消えてしまう。この世の全てが、なくなってしまう。でもそれもしょうがない。

だってそもそも、そこにあるという考え自体が個人の空想に過ぎないのだから。


 問道にはこの世界の変化が見えていなかった。いや見えてないというよりも、確実に今、問道の曇りなき眼、そのレンズにその景色が投影されてはいるのだが、信号が問道の脳に全く届いていない。当たり前だ。今問道の脳は、世界を黒から白に染め上げる、他の追随を許さない圧倒的な刺激にバチバチに焼かれている。


 


門は開かれた。


 山谷問道が気づいた時には、そこは真っ白なだった。

異世界転移?バカ言うな。別の世界に移ったわけではない。

世界が姿に戻ったのだ。

人間のご都合が介入しない、”世界”自身の本当の姿。そこに問道は立っていた。


「おかえりなさい」

 女性の声だ。透き通りつつもどこか幼さの残る女性の声。確かに聴覚を刺激したその声に、問道は辺りを見渡す。


「誰だい?」

「私はあなたを導く者です。」

「あぁ、よくあるパターンだな」

「ふふ、でもこの先はあまり類を見ないパターンかもですよ。」

「どういうこと?」


「さぁ、共にを迎え入れましょう。」

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