第21話 ラーメンと因縁


「腹減ったな」


 ターザンと別れた後、ボスは一人でディッシャーソープ駅から事務所までを歩いていた。ボスには来た道とは違う道で帰ろうとする習性があったため、少し遠回りしながら帰っている。『ブオォォオォン!』 道は大きな道路に面した都会らしいビル街で、そんなだから休日には人通りも多く、となれば飲食店も多々あった。


『何か食うか』


 ボスはちっこい体でひょこひょこ石畳を踏み、道に添えられている数多フードショップの看板を見やった。まるで大きな壁のように並ぶビル群には、テナントごとに別々の飲食店が入っており、その色ひしめき合い具合はパレットのようだった。


『そういや、この辺って有名だったよな。食い倒れサバンナ…だっけか?』


 あぁ、食い倒れサバンナとは! 乱立する飲食店群がお互いに客を食い合った結果、弱い飲食店はバッタバッタと倒れていき、最終的に強い飲食店だけが残っていく…その様子を揶揄した、このビル街の通称だ!


「まぁ、こっちからすれば美味い店が残ってくれるから良いんだけどな。あの店にしよう」


 ボスの下垂気味の胃が、その内壁を店に向けて押した。食事の基本として、いきなり重い物を食べて胃をドツくと体に悪いとある(お通し、前菜などは そんな胃を揺り起こす知恵)。しかし、ボスの胃は飲食店を見ると勝手に飛び上がってダンスしだすので、体に対しては何の心配も無かった。現に、ボスは生まれてこの方、胃もたれを起こしたことが無い。


『コツ、コツ、コツ。ガラガラガラーー!』


 ボスが入ったのは、ちょっと古めのラーメン屋だった。ビルの二階。のれんの掛かった階段を上がればノッペリ構えてある、年季のしみたシールぺたぺたの扉…『暴ラー亭』 だ!


「らッッッっしゃァッセーーーー!!!」


 轟き! 同時に、熱風が! 扉を開いただけで…ライッ!! 訪問者の内臓をボッコボコにする!!


『流石、このビル街で生き残ってるだけある。あいさつの威力がダンチだ』


 聞けば、先に説明した前菜よろしく、ラーメン屋のあいさつには胃を揺り起こす効果があるという。


「アいてるおセキどうぞーー!!!」


 ボスはカウンター席に腰を下ろした…ボスの身長から考えれば、イスの高さからして腰を上げると言った方が妥当なのだが、そんなこと言っては遠方までブッ飛ばされる…ともかく、イスに座った。


「お冷どうぞー!」

「ん、注文いい?」


 メニュー表は見ない。と言うのも、入る前から食べる物は決まっていた。「らッ! ドウゾー!」「チャーシュー麺。麺は硬めで…あぁ、大盛りで頼む」「らッ! 少々お時間いただきますドウゾー!」 店員は足早に、厨房へと駆けて行った。


 店内には、橋から撮ったんだろう海の写真が、壁のコルクボードいっぱいに貼られている。それら一枚ずつは別々の場所だろうが、ボードにまとめてあると、まるで1つの大海原に見えた。『トードの漁港も、こんな場所だったのかな』 こんな大きな海で育ったんなら、そりゃ体だってデカくなるだろうな。とも思ったりした。


『コッ、コッ、コッ…ガラガラー!』


 ボサっとしていると、新手の客が入ってきた。「らッッッっしゃァッセーーーー!!! アいてるおセキどうぞーー!!!」 言われるが早いか、女はコッコッとボスの隣に座った。「お冷どうぞ―!」「…」 背負っていたリュックをカウンターの下にやる。その時、耳にツいたピアスがメタルに光った。


「ソルベット・バルバトロス…」


 思わず、ボスは呟いた。「!」 女は頭を下にやったまま、ボスのことをジロリと舐め見る。


「あぁ、スマン。ついな。職場の若いのにファンがいて」


 そのピアスは、あるバンドグループのファンが共通してつけているグッズだった。ちなみに職場のファンとはシオンだ。ただし、シオンは耳に穴を通してないから持っているだけで、その持ってるのをデスク上のヤシの木に掛けていた。「…良い趣味だね」 女は小さな声で言った。


「伝えとくよ」

「違う。その若いのじゃない。ヒトの耳を勝手にじろじろ見る…アンタのことを良い趣味だって言ったんだ」

「そうかい。人にモノを言う時は、ちゃんと頭を上げてから言いな」


 ボスは幼児の顔に嵌まったドス黒い眼球で、 女のことを見下ろした。「頭上げないと、そのパーカーも被れねぇだろ」「…」 女は黙って、スッと姿勢を戻した。


「驚いた。大層な物言いのワリに、まだ子供じゃん。頭が高いんじゃない? くっくっ」


 今度はボスが黙って、座り直した後に冷水を飲んだ。無視キめ込むことにしたらしい。しかし、意外なことに女は、冷水のコップと共にグっとボスに身を寄せた。それから一層 声をヒソめる。


「ね、アンタ。普通じゃないでしょ。この辺に腕のイイ用心棒とか、逆にハンターを募集してるとこ知らない?」

「はいよッッ! チャーシューメン大盛りおまちーーーー!!」


 ボスのテーブルに、ゴトっと器が置かれた。「ありがと」 ワリバシを『ぱきり』 と割り、ラーメンに向かう。ワリバシは綺麗に別れていた。


「聞いてる? それとも、本当にタダの子供?」

「…」

「感情的。アンタみたいなのがいる職場。きっとロクなモンじゃないんでしょうね」

「なぁ、お冷とってくれねぇか」


 ワリバシで指された先を、女は見た。確かに、その先には お冷のポットやら七味。ラー油や赤キャップのツマヨウジが置いてあった。あとコショウ。「ソッチにもあるでしょ」 女はボスを越した向こうカウンターにあるポットを指さした。「水が少ないんだよ」 麺をススって肩をすくめる。


「はいはい。じゃあ、とったら教えてね」


 女はポットに手を伸ばした。


「なぁ、私はさ。温厚を自称してるんだよ。だから、私がキレるんだとしたら、大抵は相手が悪いんだよ。だから、お前は、今から濡れるんだよ」


 ボスが! いわゆるソッチにあるポットで…女の後頭部を、強く打ちノメした!!


『ガッチぁァンーーー!!』


 割れ、中の冷水がドバドバと、女の髪を濡らす。『コツン』 氷が追い打つように、後頭部に落ちた。


「…」

「…」


 無言。女も、ボスも。水の滴る音だけが聞こえる。すると、


「あのー。お客さァん」


 厨房から、店主らしきネジリ鉢巻きが顔を出した。「そういうのはさ。店の外でやってよ」 鉢巻きを解いて、顔を拭う。「ま、俺が話を聞く限りじゃ、その子の怒る気持ちも分かるけどね」「店長! なんかレジの金が多いっス!」「おいおい、この前オシえただろ~?」 ネジリ鉢巻きはレジの方に小走りで向かった。


「…」

「…くだらない。くだらないわ!」


 女がボスの方を振り返る。「!」 その表情を見て、ボスは少しだけ面を食らった。


「やっぱり感情的ね。はいはい。仲間を馬鹿にされて悔しかったんでしょ? なに? 公園の砂場で営業してるの? バッカみたい。砂のお城でも作ってなよコノ……うぅ」


 女は静かな半狂乱で言い散らかすと、水滴を撒きながら早歩きで店のドアを『パァン!』 開けっ放しにしたまま退店した。


「…泣くんなら、始めからツっかかってくんな」


 席に戻ると、ボスは女の忘れていったリュックを視界に映さないよう、ラーメンの続きをススった。

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