第16話 蒸辱


(6)・・・・・・・・・


「ん、んんん」


 どうしようもなく頭が重い。そんな頭を上に向ければ、星の少ない夜空が見えた。だが、忘れるな。風だって夜を駆け抜け、冷たい温度をひゅるりひゅらひゅら。男性の頬をくすぐった。


『俺、寝ちゃってたのか』


 男性は地面に手を付く。荒いコンクリートの道が、手のひらに食い込んだ。目の前には、花壇に植わった花が見える。


「よいしょ」


 男性は力を込めて、一気に立ち上がった。すると、目の前には花壇に植わった花が見える。


「…ん?」


 おかしかった。そりゃおかしかった。倒れ込んでた状態で花壇の花が見えたんなら、大学生ともあろう自分なら、立ち上がれば目線が高くなり、せいぜい見えるのは花壇の向こうの住宅くらいだろうから…『んん?』 男性は首を傾げた。


「てか、俺。何でこんなところに寝てるんだろう…前後関係がイマイチ…」

「ちょっと君! そこで何をしているんだい?」


 『キキィッッ!』 自転車のブレーキ音! 目を向けると、警察官が訝しそうにこっちに来ていた。


「大丈夫かね!?」

「あぁ、スイマセン。今起きます」


 男性は再び、コンクリの地面に手を付こうとした。というのも、その警察官の顔が、自分よりも遥かに高い位置にあったからだ。つまり、男性はさっき立ち上がったつもりになっていたが、実際そんなことは無く、今も座り込んでいるに違いなかった。『相当酔ってるな。俺』


「よいしょっと」


 手を地面に置く。『スカッ』「?」 手を地面に置く。『スカスカッ』「??」 思わず自分の手を見た。


「…え?」


 その手は、明らかに大学生の手じゃなかった。何かといえば…小学生の手…?


「こんな時間に! 親御さんは? 家出かね?」


 その言葉に、何となくの光景がフラッシュバックする! 『お、俺も、確か前にそんなことを言ったような…』 だが、不明瞭。その間にも、警察官はズンズンと到来し、ついに男性の近くまで来た。


『で、デケェ。俺の身長が178だから…ん、この人。250cmくらいないか?』


 そんなワケない。と言いたいところだが、人類の最高身長は251cm(2024年9月15日現在) らしいので、無いとは言い切れない。少なくとも考えられるもう一つの可能性より、はるかにありえるコトだった。すなわち


「お、俺が縮んでる…ははは」

「ん、突然どうしたんだね。お腹でも痛いのかね」


 警官は男性の顔をジロジロと、妖怪入道のような顔つきで見た。「あっ」 男性は急いで首を振る。これには警官への『いえ!』 の意味と、現実に対する『まさか!』 の意味があった。だが、警官はその首振りを意にも介さず、「ウ゛ン!」 と喉の奥だけで一喝する。


「とにかく、いったん私と来てもらおうか。なぁに心配はいらんよ。少し話を聞くだけだから」


 警官は鉄をひん曲げて作ったような笑顔で、男性に話しかけた。どうやら普段から表情筋を使うタイプじゃないらしい。「さぁ」 警官はその表情のまま、男性に手を差し出した。


「さぁさぁ」

「あ、あ、あ、いやぁその…」


 『何だコレ…ゆ、夢?』 状況がこんがらがって、右も左も掴めない。とにかく、ゆっくり考える時間と場所が欲しかった。


「あ、俺。家近いんで…」


 とっさにフリ絞った。ある意味で帰省本能とも言うべきか、こんなワケ分からない状況下でも、真っ先に『家に帰りたい』 という気持ちが湧いていた。「あの、だから…」「…」 警官は黙って男性を見つめる。と、「はぁ」 ため息をついた。


「分かった。送ろう。ただし…」


 警官はポケットからメモを出すと、そこにサラサラと電話番号を書いて、男性に『ピッ』 渡した。


「辛いことがあったときは、ここに電話するんだよ。いいね?」


 男性はメモを受け取ると、その小さなお手手できっちりとたたみ、なぜか同じように縮んでいたズボンのポケットにねじ込んだ。


(7)・・・・・・・・・


『ガチャ…』


 ドアノブを捻る。自分より高い位置のを。「うわ…自分の部屋…だ?」 入ると、確かにそこはマゴうこと無き自分の部屋だった。しかし、たった目線が70cm低いくらいのことで、いつもより感覚の違う場所になっていた。例えば玄関の段差。靴を脱ぎ、いつもの感覚で上がろうとすると、「うわっ!」 思わず躓いてしまった。


 男性はとにかく、急いで洗面所に向かった。


「あ…うーん」


 鏡には、完全に見覚えのある子供が映っている。厳密には小学校の卒アルだったり家族との集合写真だったりで見た…幼い自分の姿があった。「ふーん、ふーん」 ふーんとしか言えない。手で顔を触りつくしても、その童顔が剥げることは決して無かった。もちろん、頬もつねる。


「…寝ーれーばー治るか」


 民間療法だ。睡眠は百薬にも勝ると聞く。そもそも『治る or 治らない』 の次元から一歩抜きんでた事案な気もするが、この夢のような状況から逃げるためには、とにかく寝まくる他なかった。

 男性は洗面所から出る。と、寝息が聞こえた。


「あ、そういえば」


 今にダイブしようとしていた場所には、アカネさんが寝ていた。『そうだ。アカネさんの家のカギ…』 自分が外にいた理由を思い出す。これにより、現実にちょっとだけ足がついたような気がした。


「アカネさん。アカネさん」


 男性は布団の横に正座すると、アカネさんの肩を揺り動かした。


「俺、子供になっちゃいました」

「ん、んう」


 アカネさんは一度寝付くと中々起きない。研究室で寝落ちしたときには、あの硬いゴチャついた机の上で6時間寝ていた。


「ねぇ、起きてくださいよ」

「…ん」


 その時だった。『ガバッ!』 男性の体が、布団に食われた。


(8)・・・・・・・・・


『ギュっ…』


 アカネさんの両腕が、男性の体を丸め込むように抱きしめている。「ん…んん」 まだ眠っているらしい。寝息が、頭上から聞こえた。男性の頭はアカネさんの胸辺りに封されている。


 男性はバタバタと暴れた。しかし、暴れるほど強く締まる。アカネさんのモモが、腰に乗っかった。そこからグルンとマワりついて、アカネさんは足で、男性をより寄せる。抵抗は無駄と知れ。男性の頭は、もう催眠術にでもカケられたように『ぼおっ』 として、食虫植物にでも溶かされるように蒸辱ジョウジョクを強いられた。『ぐぐぐ…』 万力のごとく彼女に圧し込められ、水飴に包まれたように身動き一つ取れない。

 ト息は、一定のリズムで男性のツムジに吹きつける。そのリズムの二倍以上で、男性の心臓は血液をドクドク押し出した。荒ぶる心臓はその在り処を如実に現し…あまりに近いアカネさんとの距離から、まるで1つの心臓を、2人で共有しているようだった。しかし、もちろんアカネさんの心臓もある。心拍までもがしっかり聞こえる。男性の心臓とは打って変わって、安定した静かな、重たい音だった。


 総じて、熱帯夜。されるがままの未熟は、大人の女性に力負けした。


(9)・・・・・・・・・


『い、息が苦しい…』


 男性はアタマをぐりぐり暴れさせると、『ポンッ!』 とアカネさんの締めツけから顔だけ逃れた。水面から顔を出したように息継ぎをする。「ふぅ、ふぅ」 肺が喜んだ。のも束の間、鼻には随分と酒っぽい匂いがした。それから脳に酸素がいったもんで、ようやく考えが巡り始めた。


「あ、アカネさん…」

「ぐぅ」

「あの…」


 顔が、もうすぐ間近にある。


『…起こされるのも、イヤだよね?』


 男性は自分も目を瞑ると…少し考えた後、また締め付けの中にダイブしていった。

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