第13話 ある大学の物語
(1)・・・・・・・・・
山の深い場所に、その研究室はあった。
フラスコに怪しげな薬品をたらし、光に透かしながら攪拌しているのが一人。そして、その横でセワシなく動き、バラバラの書類を横から持ってきて 縦に積み上げているのが一人。計2人の研究室だった。
「あぁ、あぁ、助手君。もうダメだ。てんで次の策が浮かばないよ。八方塞がりだ」
「しっかりしてください。八方には木しかありませんよ」
「じゃあ君ぃ、私のために木を切って、山を裸にでもしてきてくれ」
液を攪拌してた方…この研究室の責任者である女性が、窓の方に顔を向けた。「7年もあったら出来るだろう」 「7年後にこの研究室があるって確約してくれるんなら、やりますよ」 2人の間に沈黙が流れた。
「…コーヒー、入れてきますね」
「…頼むよ。じゃんじゃん飲んで、じゃぶじゃぶアイデアを出そう」
書類を積んでいた方…助手の男性は「じゃぶ…じゃぶ」 と うわごとのように呟きながら、給湯室へと向かった。
研究室は、ウイルスについて研究しているトコロだった。大学の機関で、本来なら多少の学生を抱えるべきアカデミックな場に違いない。が、立地、得体の知れない研究内容、浅く根の張ったウワサなどの あらゆる面で、この研究室は人気が無かった。
「はぁ」
在籍しているのはただ一人、今にタメ息をついた男性だけだった。
『アカネさんに出せないアイデアが、俺に出せるわけないよな』
『アカネさん』 というのが、女性の名前だった。ちなみに研究室の教授ではない。教授は男性が研究室に来て以来、一度もあったことが無い。これが浅い根のウワサの種だった。
『天から降ってきたような発見でもない限り、この研究室はダメかもしれない』
「うわぁーーーーーーーーーーー!!!!」
その時! アカネさんの叫び声が聞こえた!
「あ、アカネさん!?」
「助手君! スゴいぞコレはぁ!」
アカネさんが興奮気味に、覗いていた顕微鏡のスコープを指さしている。「何ですか…」 男性は呆れっぽく首を振ると、そのスコープを覗き込んだ。
「うわぁーーーーーーーーーーー!!!!」
男性はそのままひっくり返った。その際、後ろのデスクに頭をぶつけ、縦にしていた書類が宙を舞った。
(2)・・・・・・・・・
その発見は、たちまち界隈を駆け巡った。ボンクラ扱いだった研究室の評判はこれにて一変し、発見の功績は2人の人生を明るく導く…ハズだった。
「あンの、ボケカスバカ教授ーーー!!」
『ダン!』 ビールジョッキの底で居酒屋の机をブッ叩き、吠えたのは夜10時のアカネさんだった。
「突然シャシャリ出てきやがって! あのウイルスぶち撒けるぞコラぁ!」
「まぁまぁ、こればっかりはね。ホントホント…」
「君! 悔しくないのか!」
アカネさんは男性の眼前に、指を突きつけた。
「手柄オール横取りされてさ! しかも、カゲもカタチもなかった大人に!」
「俺たちだって大人ですよ…だからこうやって粛してるんです」
「馬鹿! バカバカバカ!」
「馬鹿ですよ…そうです。俺はバカ!」
酒宴は、そのまま深夜まで続いた。
(3)・・・・・・・・・
「う~ん、飲み過ぎたッッッてヤツですかねこれは」
「そうかもしれないし、そうかもしれないよ」
男性は酔っぱらったアカネさんに肩を貸し、深夜の住宅街を歩いた。しかし忘れるなかれ、男性もかなり酔っぱらっており、2人揃って竹馬のようにフラついている。
「あ」
アカネさんが声を上げた。
「家のカギ…さっきの居酒屋に置いてきちゃった」
「えぇ…なーにやってんですか」
男性はアカネさんの顔を見た。すっかり赤くなっていて、少し荒れている肌が冬風に晒されている。マフラーを巻いている口元からは、白湯のように息が立ち昇っていた。
「すまない…」「いえ、気付かなかった俺にも落ち度があります」 男性は首を振った。
「戻りましょう。まだ間に合うハズです」
「あぁ、そうだね。でも…申し訳ないホント…んん、ホントに…ん」
「アカネさん?」
アカネさんが、男性の方に強く寄りかかった。
「重ねて申し訳ない…もう…眠いかもしれない」
「ちょっと? アカネさん!」
「グッド…ナイっ。助手くん…」
その言葉を最後に、アカネさんはこっくりと眠りに落ちてしまった。
「マジかよ…どうしよう」
男性は取りあえず、自分の家にアカネさんを運ぶことにした。
(4)・・・・・・・・・
男性はアパートに着くと、アカネさんを自分の布団に寝かせた。瞬間、アカネさんは足を曲げて、すっかり毛布にくるまってしまった。
「…」
その横で…いったん正座する。天井から下がったライトの紐が、まるで男性を誘うように揺れていた。だが、男性は握りこぶしを固めると、自分のヒザ上に重しのように置いた。
『ダメだ。いくら好きだからって、ダメダメだ』
今なら酒のせいにできる。その免罪符を、クシャクシャと頭の中で丸めた。
『…アカネさんちのカギ、取りに行こう』
このまま部屋にいては、身体が言うことを聞かなくなるかもしれない。そうなる前にと、男性は寒空の中に飛び出していった。
(5)・・・・・・・・・
「あー、寒い」
はく息は白い。寒さにビビって、肌はずいぶんと緊張していた。こんなではせっかくコサえた酔いも、今にある程度冴えてしまうだろう。現にさっきまでフラついていた足取りも、車道のフチを辿って歩けるほど回復していた。
静まった住宅街で、生えた電柱の明かりが、根元に生えた雑草にスポットライトを当てている。
「夜の雰囲気って、イイよなぁ」
「うん、それって とっても分かる」
「うぉっ!」 突然の声に、男性は思わず肩を揺らした。
振り返ると、まだ小学校低学年くらいの女の子が立っている。
「こんばんは」
男性は驚いたことを悟られないタメに、ほとんど矢継ぎ早に「コンバンワ!」 挨拶を返した。しかし、いくら子供と言えどもバレていたようで、少女は『くすくす』 と笑った。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの」
少女は着ていたスカートのフリルを揺らした。子供らしい素直な態度で、明らかにシュンとしている。
男性はココでようやく、子供が深夜に外に出ている。という問題に気づいた。
「君、親御さんは?」
「いないよ」
軽く、重い答えが来た。しかし、今この場にいないという意味かもしれない。
男性は取りあえずヒザを曲げて腰を下ろし、少女の目線に合わせた。
「こんな夜中に危ないよ。家はどこ?」
「さぁ」
「『さぁ』 ? んん…まいったな」
「けど、カギは持ってるよ」
「家の?」
少女は頷くと、確かに言った通り、ポケットから家のものらしきカギを取り出した。
「…え!」
そのカギを見て、男性は腰を浮かした。
「なんで…?」
カギは…男性の知る限り、アカネさんの家のカギだった。
『アカネさんの家族?』 とも考えた。しかし、男性の知る限りアカネさんに妹はいないし、少女の様相は控えめに見ても、アカネさんに似ていなかった。
「どうしてソレを」
「拾った」
「拾った? …居酒屋じゃなかったのか」
男性は一息つき、少女に再び目線を合わせた。
「ありがとう。そのカギは僕の…知り合いの物なんだ。よければ返してくれるかな?」
「うん、良いよ」
アッサリと、少女は頷いた。「ありがとう」 男性は改めて礼を言い、アタマでは少女を警察に渡すことを考えていた。
しかしカギを貰うとき、少女は
「でも、ホントにアナタの知り合いのカギ?」
と言った。
「ん」 男性も、咄嗟に手を止めた。確かに夜道は暗く、そもそも他人の家のカギなんて、よくよく見ても分からないことが多い。しかし、男性は目を凝らした後、「確かに知り合いのカギだよ」 と断言した。
「どうして分かるの?」
「キーホルダーがついてる」
男性はカギに付いた、小さなダルマを指さした。
「可愛いダルマでしょ? そのダルマを付けてる人は、世界中探したって僕の知り合いだけなんだ」
「ふぅん…でも」
少女は手でダルマを掴むと、カギを持ち上げて宙で揺らした。
「ここ、変な文字が書いてあるよ」
「ん? どれどれ」
男性は少女の指さした部分に、目をやった。しかし、カギは揺れ続けている。
「見えないよ」
その言葉に、返答はなかった。仕方なく、男性は揺れるカギを目で追い続ける。
「……………」
やがて、男性の意識はコンクリートの地面に吸われていった。
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