第9話 特殊持ち
「うへぇ、うへへ。まぁまぁまぁ。ぎょうさん人が集まってはるわぁ」
ディッシャーソープ駅の2階。そこには駅の歴史に裏打ちされた、時の深い純喫茶があった。だからか、不思議な魔力をもっていた。駅は1階と2階が吹き抜けになっているため、喫茶店のガラス窓からは1階の駅構内が見渡せる。しかし、どれだけ駅構内から顔を上げても、喫茶店は決して見えない。その意味でも隠れ家的な場所だった。
「ひぃ、ふぅ、みぃ…かける2で、6人くらいか?」
「んん、あぁ。ちゃうよ。単純にいっぱい人がおるねってハナシ」
女の方が、コーヒーに口をつけた。「あちっ」「まだ早ぇよ」 男の方が笑う。と、自分のお冷を飲んだ。
「コーヒーやなくて、良かったん?」
「今もち合わせが無いんだよ。そんな高くて黒い水、とてもじゃねぇが」
「えっ。お代、払うつもりなん? どうせ全部ひっぺがえすんやから。タダなもんかと思っとった」
「いや、そりゃそうだけどよ…火事場泥棒みたいな感じがすんだよ。まだ燃えてねぇけど。だからイラネ」
「うへへ、ジーちゃんのそういうところ。好きや」 喫茶店には、他にもポツポツと客がいた。1階の混みように比べてガラガラなのは、店の場所が激しく分かりづらい位置にあったからだ。「…」 そのため、よほどディッシャーソープに詳しい人間でないと、喫茶店には辿りつけない。詳しい人間ってのは、例えばこの辺をシマにする団体の人とかだ。
『間違いない。パパラッチ・パンチパレードの奴らだ』
男女の3席となりのテーブルで、新聞を読んでいた男は思った! 『俺の鼻がウズくぜ。俺ぁ嗅覚だけでチルトットグループをのし上がる男…』 不安だ。しかし確証があった。『パパラッチ・パンチパレード社…略してPPPだが。アイツらのつけてる腕章にもPPPって書いてある』 ほな、嗅覚関係ないのではないか。
『女の方は よくて18もいってないガキ。俺一人でも余裕で処せる。問題はもう片割れだな…50代、かなり筋肉質だ』
2人についてより詳しく。
まず、女の方。髪は肩の辺りでバッサリ切られていて、前髪も、ハサミで一閃されたようにバッサリ。制服を着ているみたいだが、上からジャンパーを羽織っていて、どこの学校かまでは分からない。先の通り、腕には『PPP』 と書かれた腕章をつけている。
男の方。白髪まじりの短髪に、青ワイシャツ。『新しいの買った方がいいんじゃないか』 そう思えるほど窮屈にパツパツで、ボタンも上から3つ目まで開けていた。そのため、陰影の深いよく映える胸筋が、まるでセり上がってくるようにシャツから覗いている。腕章さえ今にハチ切れんばかりの張りを見せていた。
「なぁ、俺たち、誰かに見られてねぇか?」
パツパツの方が言った! 男は急ぎ、新聞で顔を隠す。
「そう? 分からん。ジーちゃんのファンかな」
「そうか、時代が俺に向いたか」 パツパツは冷水を飲んだ。「あと10年早けりゃあな」「もう! やめてや。辛気臭い」
『バレてない? バレてないよね?』 男はそう思いながら、違和感の無いよう新聞をめくった。『へぇ、あの俳優さん結婚したんだ』
「なぁ、ウチ。やっぱコーヒーいらん」
「あー?」 コーヒーは運ばれてきたばかりで、うっすらと湯気だってさえいる。しかし女はティースプーンで液をかき回すと、「はい」 と投げやりに言って、マグカップの持ち手を対面に向けた。
「砂糖入れてしもたケド、我慢してな」「おい、やだやだ。俺は絶対にブラックオンリーなんだよ」「ふーん、そ」
「なら、誰かにあげてくるわ」
『ガタッ』 パッツンの前髪が揺れた! 『席、立ちやがった』 マグカップの取っ手に指をかけ、まるで幽鬼の
「なぁ、おっちゃん」
女は、別の客の前で止まった。
『ホッ』
「なーに安心してやがる。どう考えても陽動だろうが」
「えっ」 新聞を下げた、その時! 既に拳ノ面が男の眼前に迫っていた!
「ちゃアッッッッ!!」
体を、イスの上に急いで倒す。と! 持っていた新聞をシュリケンのように投げて、相手の耳を削ごうとした! しかし! 『シャッッ――』 新聞は鋭利なサウンドを立てて空気を裂くと、そのまま『トンッ』 天井に突き刺さった。
『デカいくせに、機敏に動きやがる』「おい、待てよ! 何なんだよお前は」
男は寝転んだまま、動揺しきった一般人のフリをした。「金か? えぇ?!」 見上げれば、振り切られたパンチが置いてある。『危うく、コッチも躱せたぜ』 刺さった新聞紙が、天井のプロペラになびいていた。
「何なんだッてーと。そりゃお前…コレよ」
パツパツの腕章を指さした! 「知ってんだろ? どーせ」「知らねぇよ! お前の名前か?」 男はおびえ切ったフリをする。
「違ぇよ。俺の名前は『
『あぁ、馬鹿だ! ふふふ』
男はほくそ笑んだ。まさか自分から名乗ってくれるなんて! 『大した連中でもないらしい。末端か?』
「お前は誰なんだよ」
「お、俺は。俺は、ジョン・ブルースだ。一般人だ」
もちろん偽名だった。すると、上空にある拳よりちょっと低い位置から、女がヒョッコリと男を覗いた。
「ウチは、『
「あ? あぁ…そう」
「困ってんじゃねぇか、オイ」
「そんなぁ。ウチみたいな若人の名前も知りたいやろな思て、気ぃ使ったのに」
常夜は手をヒラヒラさせると、ジャンパーのポケットに突っ込んだ。「お前、コーヒーは?」「そこの人にやった」 言いながら顎を動かす。と、その先にいたジェントルマンが、乾杯するようにマグカップを上げて会釈した。
「なぁ、君たち」
「スマンが、これ以上騒ぐようなら出てってくれないか。代金はいらんから」 セリフのワリに感情のない声で注意すると、「弁償もいらんから」 そう言って親指で、天井にできた穴を示した。さっき新聞が刺さったところだ。新聞はもう床に落ちてる。
「あぁ! うへへ、申し訳ない。すぐ出ますぅ」
常夜は柔和な顔ツキで、ぺこぺこと頭を下げた。しかし
「外、行こか」
男に告げたその顔は、まるで有無を言わさぬ雨獣のように、ひどく裏側がキいていた。『…』 男はイスから立つと、2人と一緒に店の外に出た。
「お前らのせいで出されちまった! どうしてくれんだ? エェ?」
男はまだ一般人っぽく、ジクウにキレちらかした! 「まだ新聞読み切ってなかったんだぞコノヤロウ!」 怒声! 中の店主は、『出しても騒がしいな』 と、思ったりした。「あぁん? カスコラ」 しかし打って変わって、2人は静かだ。「ナントカ言ってみたらどうだぁ!?」
「アンタ、もういいだろ。どんだけ怒鳴っても踏み込んではこねぇ。そんなパンピーがいるかよ」
男は、ぴたりと黙った。
「チルトットグループやろ? 大きいグループって聞いてたんやけどねぇ。えらい遠回りな絡み方しはる。もしかして、中身はがらんどうなん?」
「…お前らの方こそ、得体の知れねぇ。架空の会社じゃねぇのか?」
仲間に、連絡を取ることもできた。それをしなかったのは、焦っていたからだ。『俺ぁなぁ。長いことチルトットに尽くしてきた。なのに、あの女。昨日帰ってきたばっかの女が、俺の指揮を取ってやがる。許せねぇ』 ムカつく。その女を傷つけるためには、相応の手柄がいる。『俺が一人で解決する。大勢カり出してバカスカ調査やってるアイツの面目は、それで丸つぶれだ』
「かかってこいや。ジジィ」
男はジクウの眼を見て挑発した。「さっきみたいなパンチ。立ち合いの今じゃ、余裕でカウンターが取れる」 誘いも欠かさない。もちろん警戒も。『普通に殴ってくる? いや、ツバだって吐きつけてくるかも』 あらゆる算段を予測し、全身の神経を浮き上がらせる。
『来いッ…!』
が…「…」 ジクウはただ、何もせず黙していた……その時!
「こっちよ。さみしいなぁ」
ジクウの、体を、スリ抜けて! 常夜の体が…勢いよく飛び出した!! 『えッ…』 厳密には! こちらにドロップキックをかまし、その靴裏を相手の顔面に叩き込もうと浮く常夜のニーソックスが!
「グゲッ!」
予想の範疇。その言葉がチンケに思えるほど、常識のはるか遠くから来た攻撃! 『まさか女の方が』『まさかドロップキックで』 そして何より、『まさか体を透けて!?』
男は咄嗟にガード! するも、未完全。体が大きく、後方にブッ飛んだ!
『見えなかった! 男の体に隠れて…ドロップキックの跳びが!』
飲み込み切れず、透けたという事実は後回し! 『ズシャァンン!!』 大きな音! 『ズシャンガタガタガタ!』 喫茶店の前。陳列されている食品サンプルの棚に、男は全身マルごと突っ込んだ! 「えぇーーーーーい!」 店主驚愕!
「ボケ…」
『ゴツン!』 上から落ちてきたパフェの模型が、男の頭を打った。「ブチ殺してやる…」「今度こそ、本当に怒ったみてぇだな」 ジクウは肩をすくめた。「じゃ、おっかねぇから行くぜ。皆さんにもヨロシクな」「ほな。ごきげんよう」 常夜は、靴を地面でトントンした。
「は…待ちやがれボケども…」
男はポケットに忍ばせておいたナイフを握った。前には、去り行く2人の背中がある。
『死ねッッ!』
男はマジックショーのナイフ投げよろしく、あの背中めがけて手首のスナップをキかせた!
『カンッ』
だが、ナイフは前のガラスに当たって落ちた。「……………え?」 そう、前のガラスに当たって落ちた。つまり、男の目の前にはガラスがあった。詳細には、食品サンプル棚を囲う、ショーケースのガラスが。
「は…」
男はショーケースの中。崩れた食品サンプルの山から、2人を見送った。
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