第6話 ヒャクエンキンイツ
「ありがとよ、おかげサンで楽しかった」
牛丼屋の前。巨漢はパッと、日輪の輝くように笑う。「こちらこそ、色々話せてよかったよ」「オッサン、この街は景観も汚ねぇケド、人まで汚ねぇから気を付けるんだぜ」 ターザンが促すと、「あぁ、忠告感謝だ」 巨漢は親指だけを立てて返事した。指がデカすぎて、指紋さえ樹木の年輪みたくなっていた。
「じゃあ、またどっかで会ったらヨロシクな!」
「あぁ、デカいから分かりやすいよ」
「はっはっは! それもそうだ!」
「くく…おっと、つかオッサン。アンタ、名前なんテんだよ。よく考えれば聞いてなかった」
「ん、そうだっけか?」 頬をポリポリと、寸胴鍋のような指で掻く。「俺はターザン。こっちはボスな」 ターザンが紹介した。「ボス?」「役職名だ。名前は私自身、覚えてねぇ」 ボスはそう言いながら、牛丼で歯に挟まった肉カスと舌で遊んでいた。『ボスか』 巨漢は改めて、前にいる女児を見やった。
「俺は『トードード』 だ。トードード…変な名前だろ?」
巨漢はしっかり伝わるように、名前の部分をグッと呼んだ。
「みんなはトードとか、ドードって呼んでる」
「変じゃねぇさ、トード。今言ったが、私なんて覚えてすらねぇんだぞ」
「くくく、そうだそうだ。それに変な名前の方が、一発カマしたときに目立ちやすいしな。この街じゃ得に働くことだってあろう」
「おいおい、本当かよ。トードードだぜトードード。聞いたこ…あぁいや、やっぱ何でもねぇ」
「?」
「じゃあな! また会おうや!」
トードードは大きく手を振ると、その巨躯を動かして、街の暗がりへと消えていった。
「良い奴だったな」「そうですねぇ。この街でやってけるんでしょうか」「あの図体ならダイジョウブだろ」 ボスはポケットからタバコを取り出すと、一本ちゃきちゃき出して、唇に当てた。
「火」
「無いです」
「…」 ボスはポケットをまさぐる。も、ライター無し。
「100均、寄っていいか」
「くく、ボス。そんなことしてる間にPPPの連中キえちゃいますよ?」
「黙れ。すぐソコにあるから、大したロスじゃねぇよ」
「へぇい」 ターザンは頭の後ろに腕を組むと、てくてく歩きだしたボスの後ろに付いていった。
百均ショップは実際『カンカンカン』 牛丼屋から近い所にあった。「お会計…」 薄暗いトタンの下に軒を「やべっ、小銭がナイ」 つらね、繰り返される店内音楽は『ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ、ヒャクエンキンイツ』 確実にアルバイトの脳を破壊していた。『ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ、ヒャクエンキンイツ』「ウギ…狂いそう」「ん?」
「お前、『
「あ…どもデス」
ライターをレジに持ってくと、周りの空間をジメジメの粘液でトロかしているかのような、人生で一度も当たりクジを引いたことが無さそうな女性が立っていた。「頑張ってる?」「まぁ、ボチボチ。へへへ」 女性はそばかすの頬をニタリ歪めると、重たい前髪の隙間から、ボスと目を合わせない。目は宙を泳いでいた。
「誰です?」「前までウチの事務所にいたヤツ。つっても、一か月で辞めたがね」「へへ、すぃやせん」 燐木は縮こまって礼をした。
「バイトで繋いでんのか? 戻ってこいよ、ウチ。お前なら大歓迎だ」
『ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ、ヒャクエンキンイツ』
「いやぁ、向いてなぃですよ。ワタシ、やっぱり」 言いながら、燐木はライターのバーコードを読んだ。『ピッ』
「惜しいね。電話番号って変えた?」
燐木は首を振った。「じゃあ、何かあったら連絡するよ。短期だけでも来てくれ」「へへ、うぃす。110円です」「給料?」「ライターです…」 ボスは小銭を直接手渡すと、「これ、貰っとけよ。少ないケド」 と、別で2000円渡した。燐木は頭を下げた。
「あ、ありがとうございましたー!」
ボスは手を振ると、百均を出ていった。『ヒャッ、ヒャッ、「ボス、粋なことしますねぇ。けど2000円? 」ンイツ』「見栄とサイフの均衡価格が、2000円だッてことだよ」 ボスはライターから火を点けると、タバコに移した。
「はぁ」
「ウマいんですか? タバコって」
「…分かんねぇ」
ケムリが立ち昇る。蒸気機関で動くビスクドールのように、小さなボスはその場を後にした。
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