第六話 帰宅事変 後編

「これは…霊気、のようですね。アラタ様の家にある何かが、この霊気を発しているのかもしれません」

「霊気、思い…?」


 アラタは驚きと戸惑いを感じながらも、違和感に包まれた自分の家をじっと見つめた。思念という言葉に心が引っかかりつつも、彼の瞳には戸惑いと不安が胸に渦巻いる。


「はい。霊気は、人の思念が強く残る場所に現れることがあります。特に負の感情が絡むと、霊的な影響が強まるんです。アラタ様は初めてですか?」

「何もこんな物があること自体初めて知って……」


 そう言う彼は不安そうに周囲に漂う霊気を見つめる。


「生身の人間はそもそも目には見えないものですから、そうなのでしょうね、新しい肉体をククル様から授かってから初めて見るのですか?」

「はい。少なくとも俺が死んで帰ったときはこんなの見えてなかったです」

「だとすると霊力を持った今、生前長くいた魂が結びつきが強い場所だからこそ、異変が目に見えるようになったのかもしれません」

「目に見えるようになった……」


 アラタは狢仙の言葉を反芻しながら、目の前に漂う薄暗い光の玉を見つめた。

 家に残る「思念」や「霊気」という概念が、まだ彼にはすんなりと理解できていなかったようだが、それでも自身の変化を実感していたらしい。


「じゃあ、この家に残る霊気は……俺の家族の……」

「そうかもしれませんね」


 再び家をじっと見つめる。その薄暗い光が、

 彼の家族の何らかの感情や未練を表しているのか。


「狢仙さん、俺行ってきてもいいですか?」


 アラタは真剣な表情で問いかけた。

 狢仙は一瞬黙り、アラタの決意を静かに見つめた後、優しく頷く。


「もちろんです。それにこのまま放置していると負のエネルギーに良からぬ霊が吸い寄せらせられることもありますので。対処できれば、の話ですが」


 アラタは彼女の言葉を胸に刻み、深く息を吸い込んだ。

 玄関の鍵を差し込み、ゆっくりと回した。鍵が開く音が静寂の中に響く。 

 しっかりと後に続くように彼女が入って来れるような角度までドアを開けると、冷たい空気が彼の肌に触れた。


「おじゃまします……」


 家の中は静かで、まるで時間が止まっているかのような感覚に包まれている。

 玄関の振り子時計は音がせずに動いていた。空気は冷たく乾いている。

 目に映るすべてが、どこか寂しいものに感じられた。


「こんなに静かだったかな……」


 アラタは小さく呟き、狢仙と共にリビングに向かって歩き始めた。

 

「なんだか重々しい感じがしますね。空気がどんよりしています」

「おかしい。絶対におかしい。こんなんじゃなかったはず」


 リビングに近づくにつれて不安がますます膨らんでいく。

 扉を開けると、深夜のリビングは、まるで命が抜けたかのように冷え切っていた。家具は整然と配置されているが、そのすべてがどこか色褪せた印象を与える。


「あれは……?」


 室内を見渡していた彼の瞳が部屋の中心で何かを捉える。

 禍々しい黒い何かがそこにいた。その黒い何かは、まるで影の塊のように見えた。不定形で、時折うごめくように姿を変えている。


 その足元には淡い光をまとった蹲った人と、それに手を添える、淡い光をまとった人の姿があった。ゆっくりと揺らめくその姿は、まるで悲しむ誰かを慰めるようだ。


 「あれは俺が死んだあの日に見た母さんと父さん……狢仙さん、あれは一体」


 アラタは声を震わせながら狢仙に尋ねた。

 狢仙はその禍々しい影を凝視し、険しい表情を浮かべた。

 それから、とっさに手で狐の窓を作り、覗く。


「あれはアラタ様のご両親の念が残像として残ったもののようですね。悲しみに明け暮れていた感情がその場に霊気として残り続けているようです。そしてその、負の感情が呼び寄せられたのが、あの不浄な魂といった感じでしょうか」

「悪霊ってことですか?」

「悪霊と言うより……」


 適切な言葉を探すかのように彼女は手を添えてうつむく。


「悪霊にはなれない不浄な魂ですね。入水自殺をして、そのときに脳も機能を失ってしまった過去が見えます。だから悪意というものすら抱けない。だけど、この家の中に居座られると不幸なことに多く見舞われるかもしれません」

「追い出した方が良いってことですね」


 狢仙は静かに頷いた。


「ですが、今回に限っては供養をした方が良いかもしれません。この手の霊は早めに供養しておかないとまた戻ってきて厄介事を起こすかもしれませんし」


 「供養…」アラタは呟き、再び両親の姿である淡い光を見つめた。


「あの霊はご両親の念に執着しているようですね。ご両親の念も霊を呼び寄せる厄介さがあるので祓わなきゃいけませんが、まずはあの霊を何とかしないと」

「供養なんて、どうやればいいのか全くわからない。そんなことが俺にできるのか…」

「そこは私に任せてください。だけど問題が1つ……」


 そう少し困ったような顔で口を開いた。

 彼女の表情には一瞬のためらいが見える。


「今回は強制的に供養させる形を取るために、場合によっては暴れることもありえます。もし供養の邪魔をされてしまうと、祓うことができなくなります。そこでお願いをしたいんです」


 狢仙はアラタの目をじっと見つめ、その瞳に真剣な光を宿して続けた。


「アラタ様、私が供養を行う間、あの霊が暴れた場合は、どうか私を守ってください。霊が攻撃的になったときに対応できるのは、アラタ様だけです。どうかお願いします」


 狢仙の言葉を聞き、アラタはその場に立ち尽くす。

 心の中では不安が渦巻いていたようだが、アラタは深い呼吸をして、心を静めるよう努めた。自分の中で燃える決意を固め、狢仙の真剣な眼差しに応える。


「わかりました、絶対守ってみせます。任せてください」


 アラタは拳を固く握りしめて頷いた。両親を守るため、そして家を守るために、自分がやるべきことは明確だった。

 狢仙は安堵の表情を浮かべた。彼女は深く頷き、再び正面を向き、供養の準備を進めるために静かに手を合わせた。


「ありがとうございます、アラタ様。それでは始めますね」


 狢仙は手を前に差し出し、ゆっくりとその手のひらから光を放った。

 温かく柔らかな光が部屋に満ちていくと、禍々しい黒い影が次第に激しく動き始めた。


「あ、ああああああ」


 その光が影に届くと、影はまるで炎に触れたかのように震え、形を変えて狢仙の光から逃れようとした。狢仙の祈りの力が強まるにつれて、影は激しく暴れ、部屋の中の空気がますます張り詰めたものになっていく。


「うおっ!? 早い!!」


 アラタは影の急な動きに驚きつつも、即座に反応し構えた。影はまるで獣のように吠え、狢仙に向かって一気に襲いかかろうとしていた。


「行かせない!」


 アラタは渾身の力を込めて光の刃を振るった。刃は真っ直ぐに飛ぶが、それを影はいとも容易く避け、空中を大きくうねる。

 焦りながらも冷静さを取り戻し、次々と光の刃を放ったが、影は蛇のように動き回り、その攻撃を巧みに回避する。

 アラタを先に倒すことにしたようだ。


「あああ、ああああああ」


 唸り声を上げながら、影はアラタの腹めがけて突進してきた。

 攻撃を当てようと専念していた彼の腹に容赦のない一撃が放たれ、アラタはその勢いに耐えきれず、後ろへと吹き飛ばされてしまった。

 衝撃で壁にぶつかり、床に倒れ込む。


 それでもアラタは気を失うことなく、苦しげに体を起こした。


「くっ…今ここで負けるわけには」


 アラタは苦しみながらも立ち上がり、腹部を押さえつつ再び構えた。

 彼を蹴り飛ばした衝撃で一緒に倒れ込んでいた影も起き上がり、走り出した。


「狢仙さんに手を出すな…!」


 アラタは痛みに耐えながら、影の動きを見極めようと集中する。

 影が狢仙に飛びかかろうとして足を屈めたアラタはその瞬間を見逃さなかった。足を屈めるそのわずかな予備動作、その隙に――、


「今だ…!」


 刃は真っ直ぐに影の中心に向かって飛び、ついにその黒い塊を捉えた。  

 影は鋭い叫び声を上げながら激しくうねり、倒れ込む。


『さあ…お鎮まりください』


 謎の声が静かに部屋に響くとともに、影は次第にその姿を縮めていった。

 激しくうねっていた黒い塊は、まるで霧が晴れるようにその形を失い、淡い光の粒へと変わり始める。そして、ついには静かな光の波となり、完全に消え去った。


「やった……やったあ!」


 アラタは歓喜の声を上げながら、疲れた体を支えきれずその場に崩れ落ちた。全身が痛むようだったが、彼の顔には安堵感と達成感が浮かんでいる。

 狢仙は静かに光が消え去った空間を見つめ、深く頷いた。その後、アラタの元に歩み寄り、彼の肩に手を置いた。


「アラタ様、本当にお疲れ様でした。おかげで、無事に供養を終えることができました。」


アラタは彼女の顔を見上げ、少し弱々しいが満足そうに微笑んだ。


「なんだか放つコツも掴めたような気がします。良かった……」


 狢仙は優しい笑みを浮かべながら、アラタの頭を軽く撫でた。彼女の手の温もりがアラタの疲れを少し和らげるようだった。


「それはそうと……いたた」


 彼はよろつきながらも立ち上がり、リビングのソファ近くで蹲っていた両親の方へと歩んでいく。狢仙は彼を介抱するようにそっと寄り添いながらアラタを支えた。


「母さん、父さん……」

「もしお二人の気持ちを救い出したいのであれば、その霊気に触れてみてください。アラタ様が気持ちを受け止めることで浄化されるはずです。そうすれば、念の持ち主であるご両親の心も安まります」


 アラタは狢仙の言葉に一瞬迷いを見せたが、深く息を吸い、決意を固めるように頷いた。そして、そっと手を伸ばし、両親の姿を模した霊気に触れた。


 手に触れた瞬間、彼はその場で膝から崩れ落ちた。

 そこから流れ込んできた感情は、とても重たい。

 息子の帰りを待ち続け、不安と孤独の中で祈り続けた両親の心が、アラタに直接届いたかのようだった。


「母さん、父さん…。いなくなって、本当にごめん。こんな形でしか戻れなくて」


 アラタは涙を流しながら呟いた。


 ◇◇◇


『この前はよくも我の同輩をやってくれたな、同輩がやられた以上、こちらも黙っておれん!! 死してその罪を償え!!!』


 巨大な大蛇が牙をむき出しにし、アラタに襲いかかる。

 身体をうねらせ、攻撃を当てるのが難しそうだったが……

 アラタは構え、目を鋭く光らせるなり、


「今だっ!」


 アラタは渾身の力を込めて光の刃を放った。

 光の刃は蛇の胴を目掛けて一直線に飛び、大蛇の攻撃を真っ向から受け止めた。大蛇の咆哮が響き渡り、巨大な体が崩れ落ちる。


『馬鹿な、我がこのような人間ごときに…!?』


 大蛇は苦痛の声を上げながら、うねりながらも徐々に動きを止めていく。その巨大な体が地面に倒れ込むと、黒い霧のように崩れ去り、空気中に溶けていった。


「アラタ、お見事じゃ!本当に良くやったのう」


 その戦果を目の当たりにしてククルは駆け寄り、アラタの背後に立ちながら声をかけた。


「しかし一日だけでここまで変われるとはのう。昨晩一体何があって……」


 ククルの問いかけに、アラタは少し表情を緩め、肩で息をつきながら答えた。


「まあ、色々あって。狢仙さんのおかげです}

「ほう……狢仙がかのう」


 不思議に思ったククルは少し離れた場所で掃除をする狢仙を見る。ククルも後に続いて視線を移す。

 狢仙は自身が二人に見られていることに気づくと微笑んで軽く手を振った。



ーー第一章 玖々琉大神編 完ーー



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かけまくもかしこき魂迷譚 長宗我部芳親 @tyousogabeyoshichika

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