第五話 帰宅事変 前編

 「ハアっ! ハアあっ!」


 ずらっと土管の上に並べられた陶器が光の刃で一掃された。

 光の刃が当たると陶器は粉々になり、破片が周囲に散らばった。汗を流し呼吸は乱れているが、彼の目は決して揺るぐことなく、次を見据え。

 その隙にククルは次の陶器を並べる。

 

 それもこれもアラタは打ち砕いていく。


「「ここ数日で精度が上がってきたのう。どうじゃ、今度はこの前の蛇とは違う方法で動く的を狙ってみるか?」

「はい!」


 ククルの言葉に、アラタは肩で息をしながらも力強く返答する。

 彼女が手をかざすと、陶器が宙に浮き、不規則な軌道で動き始めた。


「焦るでない、動きを予想して刃を放つんじゃ」 

「動きを予測して…」


 アラタは自分に言い聞かせるように呟く。

 陶器は不規則に宙を舞い、急に方向を変えてアラタを惑わせた。その動きは彼の反射神経を試すようだった。


「ハアっ!!」


 アラタから放たれた刃は的に向かって一直線に飛んでいく。

 しかし、その刃は陶器にかすりはしたものの、完全に捉えきれなかった。

 陶器はわずかに軌道を変え、刃がすり抜けてしまう。アラタは体勢を立て直し、悔しさを抑えた。


「くそっ…!」


 陶器が彼の周りで不規則に踊る。


「集中するんじゃ、アラタ。力任せではなく、冷静に感じ取るんじゃ」

「わかりました!」


 ククルの落ち着いた声が響く。

 続けて刃を放つも再び陶器は刃を避けるように微妙に軌道を変えた。

 何度攻撃を試しても、陶器の動きを読みきれず、翻弄される。アラタは額から滴る汗を感じつつも、冷静さを取り戻そうと努める。


 体力を消耗しすぎたことでアラタはその場で膝をついた。

 焦りと苛立ちが募り、彼の瞳は次第に冷静さを欠いている。


「うむ、誰しも初めは躓くものじゃ。焦ることはない、アラタ。」


 ククルは冷静な声で言いながら、優しい眼差しでアラタを見つめた。

 彼女の言葉は、今の彼に必要なものだった。アラタは拳を握りしめたまま、悔しさと自分の未熟さを痛感していた。

 

「あと少しで日暮れじゃ、今日の修行はここまでといこう」


 己の非力さを痛感し、何も言えずに頷くしかなかった。

 傾いた夕日に身を染めながら地面に散らばった破片を拾うことにも、彼はあまり身が入らず、うつむいたままだった。


「気にすることはない。ここ数日で、お主は確実に強くなっておる」

「はい、ありがとうございます……」


 その後の彼はククルの意気揚々と話す内容が聞き取れてないようだった。

 気持ちが晴れないのか、食事や入浴のときにも心ここにあらずといった様子でどこでもないどこかに視線を注いでいた。


 何事にも精が出ない。

 

 そして夜、アラタは布団に仰向けで天井を眺めていた。薄い月明かりが部屋を淡く照らしている。

 窓の外をぼんやりと見つめ、今日一日の出来事に思いを巡らせる。


「いつまでもこのままだったりして。馬鹿かよ俺」


 己の非力さを前に片手を掲げ、目の前で広げたり閉じたりを繰り返す。

 外から聞こえてくる鈴虫の声が時間を感じさせない一室で彼は目を閉じることなく、ひたすらに物思いにふけっていた。

 ふとして彼は寝心地が悪そうに寝返りを何回かするようになる。


「こんなときにトイレになんか行きたくないのに」


 虫の居所が悪そうに吐き捨てると、廊下を軋ませながらトイレに向かった。

 下駄を履き、一昔前のタイプのトイレで用を済ませた。下駄のサイズが合わず、引きずるようにしてトイレを後にした。


 あくびを垂らしながら来た道を戻っていくとふと、台所の明かりがついて物音がしていることに彼は気付いた。顔を覗かせてみると、狢仙が小さく屈み込み、何かを忙しそうにしている背中が見えた。


「狢仙さん? 何やってるんですか?」

「――!?」


 ビクッと毛が逆立ったように背中が動く。

 恐る恐る振り返った彼女の手元にあったのは黒いどんぶり。どんぶりの中には湯気立つ天ぷらうどんが入っていて……彼女はどうやら夜食を食べていたらしい。

 

「これはその……」


 見られたくなかった一面だったのか、向き合った彼女は顔を赤らめて手元のどんぶりを背後に隠す。


「夜食タイムだったんですね」

「どうかククル様には言わないでくださいね。サボってたわけじゃなくて、、そのお詫びに天ぷらをあげますから」


 彼女は手近にあった天ぷらを掴み、アラタに差し出した。

 天ぷらはまだ湯気が立っている。


「別にいらないですよ、そんな」

「もしかして天ぷらが嫌いですか?」

「いや、そういうわけでもなく」


 彼女はどうやら、夜の諸々の後片付けで小腹が空き、そこで夜食を嗜んでいる最中だったらしい。実際流し台の上には炊き込みご飯用の大きな釜や、味噌汁の入っていた鍋が並べられていて、まだ作業が途中であることが見て取れた。


「こんな遅い時間までお仕事して大変ですね」

「そうですか? まだそんなに遅くないような。どちらかといえば、今日はアラタ様の方が早く寝られてました気がして」


 彼女は物憂げな表情で肩をすくめる。


「ククル様も私も心配していたんですよ。ククル様が言うには今日の練習の成果はあまり芳しくなかった。そのせいで落ち込んでいるんじゃないかって。やっぱりそうだったんですか?」

「まあ、ちょっとだけふて寝を」

アラタはバツが悪そうに頭をかいた。

その仕草を見て、彼女は安堵したかのように微笑む。


「この後気晴らしに、二人で夜の散歩にでも行きませんか? ずっと修行ばかりじゃ窮屈な思いもされるでしょうし」


 アラタが頷くと、彼女は嬉しそうに両手を合わせて立ち上がる。

 どんぶりを置いてから、彼女は洗い物をパパパっと済ませると、外出の準備をするために一度自室に引っ込んだ。頭にはピンクとブラウンのシュシュを乗せ、白いロングワンピースの上にデニムを羽織る。


「準備できました。では、行きましょう」


彼女は嬉しそうに靴をとんとんと鳴らして、玄関から外へ出る。


「ククル様、ちょっと出かけてきますね」


  外に出るなり、振り返ると家の奥に向かって彼女は挨拶をした。優しい風が室内から流れ出てきて彼女の髪をなびかせた。

 

「お待たせしました、行きましょう」


 下駄を履いて外に出た二人を、澄んだ空気と温かな月明かりが出迎える。

 心地の良い風が頬を掠めた。

 夜の静けさが二人を包み、月明かりが小道を照らす。


「静かですね」


 アラタは少し肩の力を抜きながら、狢仙の隣を歩いていた。彼女の軽やかな足取りに合わせて、アラタもゆっくりと歩を進める。


「久しぶりに外に出たような気がした気がします」

「確かに、ずっと修行ばかりでしたものね。本当はふて寝じゃなくて疲れていたんじゃないですか? 本当のことを言っていいんですよ?」

「本当のことと言うか、修行で思い通りの成果が出せなくて少し焦っちゃって。ククル様にも迷惑かけちゃったし」


 狢仙は彼の言葉に頷き、優しい目でアラタを見つめる。

 彼はどうしても彼女に目を合わせることができないようだった。


「迷惑なんてとんでもないことです。ククル様はむしろ心配されてましたよ。それにそう気を落とさないでください。誰しもが一度通る道ですし」

「ありがとうございます。俺だけじゃない……」


 彼女は正面の向き直し、空を見上げた。

 まるで自分たちがこの空に比べればちっぽけな存在だとでも言いたげに。彼女は穏やかな口調で続ける。


「そうです、私だって人間の巫女の姿になるまでにすごく苦労したんですよ。生まれたときから狢神の跡継ぎになることが決まっていて、それなのに私はずっと才能を開花させられない」


 彼女は少し笑いながら言葉を続けた。


「周りの期待が重たくて、何度も投げ出したくなったことがありました。それでも、何とか諦めずに続けていたら、結果がついてきたんです。だから、アラタ様も焦らなくて大丈夫です」


 狢仙の言葉にアラタは思わず息を呑んだ。彼女も自分と同じように悩み、挫折を経験していたのだと知り、少しずつ気持ちが軽くなっていくのを感じた。


「……ありがとう、狢仙さん。少し心が軽くなった気がします」


 そう言ってアラタは彼女に向かって微笑み、夜の風が二人の間を心地よく通り抜けた。彼女は少し笑いながら言葉を続けた。


,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,。


 それからアラタは考え込んでいるようで会話がない。

 狢仙は彼に何か物言いたげにしていた。

 狢仙もしばらく黙っていたが、アラタの横顔を見つめると、意を決したように口を開いた。


「あの――……」

「俺。少し行きたいところがあって!」


 彼女のか細い声はかき消される。


 「い、行きたいところですか?」


 狢仙は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んで、その動揺を隠した。

 アラタはその事自体に気づいていないらしい。


「ちょっとだけ自分の家に戻ってみたいんです。家に残していった家族はどうしているのかなって。少し心配で」

 

 狢仙は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んで、その動揺を隠した。

 彼が突然、自分の家族のことを気にし始めたのは、ここでの修行が過酷であることに加え、孤独感を抱えながら戦っているからかもしれない。


「…そうですか、それなら行きましょう」

「はい!」


 狢仙はアラタのそばを歩き続けた。

 どこか遠くで聞こえるサイレンや鈴虫の声が、静寂の中で響いている。狢仙は、黙り込んだままのアラタにそっと目をやった。


「ここです、俺の家」

 

 アラタが指差した先にあるのは、白壁が目立つ一軒家だった。

 月明かりに照らされ、家全体が柔らかな光に包まれているようだった。家の外観にはどこか寂れた雰囲気があり、まるで時間が止まっているかのように感じられた。


「ここがアラタ様のお家なんですね。とても立派ですけど…なんだか」


 狢仙はその家をじっと見つめながら、何かを感じ取るように静かに頷いた。

 二人の周りを薄暗い光の玉がゆっくりと漂い、不気味に瞬きながら彼らを取り囲んでいた。

 狢仙は少し眉をひそめ、周りの光の玉に目を向けた。アラタもその光に気づき、無言で見つめる。


「なんだ、この光…?」

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