第三話 秘密の特訓 前編

「やべぇ。寝れねぇ」


 アラタがククルに協力すると誓いを立てた後の出来事だ。

 布団で横になるもククルと狢仙によりさらに詳しい説明を受けた彼の頭はパンク寸前だった。目まぐるしい事態が彼の頭の中をぐるぐると回り、目が冴えていく。


「結局のところ、恋は実ってたんだな。色々な意味で驚きだけど」


 彼の恋した巫女の正体はムジナで、そのムジナは自分の住む雑木林に招待するも彼はそれに騙されたと早とちりをして傷心し、歩み寄る巫女を振り払って離れようとするも不注意でトラックに轢かれる。しかもそのムジナは三十六代目の狢神。


 「全部自爆じゃねえか……冗談じゃねえよ。死にてぇ」


 アラタは布団をかぶり、眠気を無理やり呼び込もうとする。

 何もかも忘れてしまいかの如く。しかし、眠ることができず、彼はじっと天井を睨みつけたまま、時が過ぎていくのをただ感じていた。


「……おい、どこだよ、ここ!!!!!!!」


 そしてふと気づいた頃には、彼は夢の世界にいた。

 夢の中、炎の中で黒煙が空に渦巻いていた。あたり一面が血と死体で埋め尽くされ、叫び声が遠くから響いてくる。

 熱気。煙と盛る炎、草の焼ける匂い、目に映るもの全てが絶望そのものだった。

 殺伐とした世界。彼は戦場に突っ立っていた。


 その恐ろしい光景に圧倒されつつ、彼は戦場に突っ立っていた。

 周りでは怒号を上げた戦士たちが血迷った瞳で敵に斬りかかり、何人もの人間が矢に打たれて倒れ、斬り離された首が転がっている。


 地獄のような世界だった。


「何がどうなって……おいアンタ、俺はどうしてここにいる!」


 アラタはたまたま真横を過ぎ去った黒い鎧を纏った男に話しかける。

 だが、男は彼の問いかけに応えることなく、身に纏った鎧と鎧がぶつかり合わさる音を立てながら遠くに去っていく。


 その姿がとても印象的に見えたのか、アラタは遠くなっていく男の後ろ姿をいつまでもいつまでも眺めている――。



 暗みがかった空に淡い光が差し込み、小鳥がさえずる。

 どこからともなく清々しい風がやってきて、朝露にぬれた草木を優しく揺らした。

 朝だ、朝がやってきた。一日の始まりだ。


「朝ですよ、起きてください」


 コンコンコンコン。

 狢仙がドアに軽快なノックをする。

 中からの返事はない。しかし、中からは唸るような声が聞こえている。


「入りますよ……失礼します?」


 おそるおそるドアを開け、部屋の中に足を踏み入れる。

 するとそこには、 苦しそうに顔を歪めて眠るアラタがの姿あった。

 その額からは、玉のような汗が流れ落ちている。

 呼吸は荒く、時折うめき声が漏れる。


「もしかして悪夢にうなされているんですか? 可哀想に、でも大丈夫ですよ、私がついているのでもう怖いことはありません……」


 そう言うと、狢仙は頬を赤らめ、アラタの身体の上に重なるように寝そべろうとするが……


「ううわあああああああああああああ」

「きゃっ!」


 悪夢から目覚めたアラタが突然起き上がり、その勢いで狢仙は勢いよく弾き飛ばされた。


「うぅ……何だったんだよ」


 額に手を添え汗を拭うアラタの、胸の奥でまだ鼓動が激しく響いていた。

 戦場の幻影が脳裏に焼き付いているのか、アラタは周りを見渡す。そこは、戦場ではない。社務所の一室だ。


「あれ、狢仙さんおはようございます……どうしてそんなところに?」


 彼がそう言う視線の先、扉にもたれかかりながら、ふくれっ面をするムジナの姿があった。

 頭を手で抑え、痛そうに涙を滲ませている。


「お、おはようございます」


 ムジナは複雑な表情をして、アラタから目をそらした。





 目を覚ましたアラタは洗顔に朝食といった諸々の支度を済ました。

 それから向かったのは、神社の裏に広がる森。

 神社の裏に位置するこの鎮守の森には、お焚き上げ用の竈であったり、廃材置き場であったり、多くのものが存在している。

 ククルはその廃材置き場に捨てられた土管の上に座って、彼のことを待ちわびていた様子だった。


「おお来たか、アラタ。多少の寝坊したようじゃな。何かあったのかのう」

「ちょっと悪夢を見ちゃって……戦国時代の合戦場にいる夢……」

「そうか、それは興味深いの。その時が来たら、すべてが変わるじゃろう。」


 彼女は期待に胸を膨らませるような笑顔を浮かべる。


「なにか知っているんですか?」

「いや、今のお主は知らなくて良い。それよりもじゃ」


 意味深な言葉を残しておきながら、少々ぶっきらぼうにかわす。

 そして再度土管の上からククルはアラタを見下ろすと、


「今日、お主がここに呼ばれた目的が何か、ちゃんと分かっておるな」


 ククルの瞳は鋭く、まるでアラタの全てを見透かしているかのようだった。

 昨日の夜、ククルは言った。


『――お主は今、この世界の基盤に関わる重要な役目を担っておる。しかし今のお主の軟弱な身体では、その重圧と運命に押しつぶされてしまいかねん』


 彼女曰く巨人の信仰が薄れた今、巨人の心臓から身体の末端に祀らている神々の社の中には、完全に神の気配がなくなっているものもあるという。

 そういった場所は悪しき存在が、悪しき力を持って根城としていることもあるとのこと。もしそれらが襲ってきた場合、身を守らなくてはならないのだ。


『――お主は今、この世界の基盤に関わる重要な役目を担っておる。しかし今のお主の軟弱な身体では、その重圧と運命に押しつぶされてしまいかねん。お主がこの特訓を乗り越えられなければ、すべてが無駄になる』


 彼女曰く巨人の信仰が薄れた今、巨人の心臓から身体の末端に祀らている神々の社の中には、完全に神の気配がなくなっているものもあるという。

 そういった場所は悪しき存在が、悪しき力を持って根城としていることもあるとのこと。もしそれらが襲ってきた場合、身を守らなくてはならないのだ。


 『お主がこの特訓を乗り越えられなければ、すべてが無駄になる』という言葉は、彼の心にずしりと重くのしかかった。


「特訓ですよね。万が一の事態に備えての」

「ああ、そうじゃ。危険が及ぶことも十分ありえる。だが、今のお主の軟弱な状態だと、吾の依代としてはまだまだ器が足りてない。そのための特訓じゃ」


 ククルは土管から飛び立つと、アラタの周りをくるりと回る。

 対してアラタは俯き、覚悟を決めているようだった。


「心の準備はできているようじゃな。まずは簡単な特訓から行こうかの」


 そう言うと彼女は竈のところまで飛び去り、そこからいくつもの陶器を持ってきては、土管の上に並べ始めた。

 並んだ陶器は去年の干支である蛇の形を模った陶器だ。


「これは一体?」

「お焚き上げしてほしいと持ち込まれたものじゃ、陶器は燃やせないと注意書きしても毎年持ってくる輩がいるらしいからの。ちょうど放ったらかしにしていたもののようじゃ。ほれお主、この位置に立て」


 アラタはククルに言われるがまま、土管から数メートル離れた位置に立つ。

 コレを一体どうすればいいのか、とアラタが困惑していると、 彼女は彼の前に立って身構えた。まるで忍者のようなポーズだ。手を組み、人差し指だけを建てる。


「見ておれ、一時足りとも目を離すなよ。まずは呼吸を整えよ」


 鼻から少量の息を吸って腹からゆっくりと吐き出す。

 すると周りで彼女を軸にするように風が渦巻き始めた。その範囲が徐々に広くなっていき、草木までも風に吹かれる。まるで共鳴しているかのようだ。


「ハアっっっ!」


 刹那。彼女の一声と彼女の身体から分離するかのように、幾重もの光の刃が放たれ、土管をめがけて飛んでいった。

 その刃は土管の上の陶器に直撃し、その一つ一つを粉々に砕いていた。


「すげえ……」


 アラタが呆気にとられているなか、 ククルはくるりと振り返った。


「いいか。呼吸が重要じゃ。あの刃は吾の身体の霊物質。呼吸するときに体外の霊物質を蓄え、そしてそれを身体から刃として放出する。これが基本じゃな」

「あんなこと俺にできんのかよ、あんなの見たことない……」

「できる。昨晩言ったじゃろう、新しいお主の身体の多くは霊物質でできてると。きっと出来るはずじゃ」


 アラタは正面にいる彼女から自身の右手に視線を移し、手を開いたり握りしめたり意気込む様子を見せる。拳を握り締め、覚悟を決めたようだ。

 ククルが新たに並べた陶器を眼の前に据えて深呼吸をする。


 すーーーはーーー。すーーー。


 しかし何も起こらない。


「吸うより息を吐く量を多くするんじゃ。そしたら霊物質も放出しやすくなる。お主ならきっとできるじゃろう、イケイケドンドン!」

「はい!」


 傍らを漂うククルの助言通りに、呼吸を行う。

 すーーーーはーー。すーーーーはーー。

 

 アラタが実践すると同時に、周囲で風が巻き起こった。

 風は上昇気流のように落葉を巻き込んで登っていく。

 

「風が起こっておる、いいのう、霊物質が放出されている証じゃ。そのまま思いっきり放つんじゃ、どんどんどん」

「ハアっ! ハアあああっ! ハアああ!!」


 アラタは力み、声を張るがなかなか刃が放たれない。

 彼の顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「タイミングが大事じゃ! 息を吐くときに放て!」

「はい!!!! ――はあああ!!!


 彼が刃を放った瞬間、声が地面から湧き上がるように反響する。

 

「おお、ついに!」


 ククルは感嘆の声を上げるが、肝心の刃が放たれたのは彼の腰の辺りからだった。それから刃は土管に置かれた陶器とは真逆の方向に、弧を描きながら飛んでいく。  

 勢いよく刃が飛んでいったのは神社の境内の方だ。

 アラタはそれを見届けるなり肩を落とす。


「じゃが、初めてにしてはなかなか良いと思うぞ。普通は気を集中させた部分から飛んでいくはずなのじゃが、まさか腰から発射されるとは不思議じゃ」


 気を落とさないように励ます一方で、ククルは刃が放たれたアラタの腰を不思議そうにを注視をする。ありもしない顎髭に触るような動作をしながら。

 

「すみません、力んだらその……お尻がむずむずして」

「へ!?」

「何とか耐えようと思ったら刃が腰の辺から……」

「屁ぐらい構わぬ。お主が集中するならばな」

「すみません」


 申し訳無さから頭を下げようとしたアラタだが、彼女は彼から見て数メートルの距離を既に取っていた。鼻を摘みながらこちらを睨んでいる。


 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 それとほぼ同時刻――。



「今日はいつもより時間がかかって……大変大変」


 そう弱りきった表情でせっせと賽銭箱付近の掃除に気合を入れるのは狢仙だ。彼女は巫女として朝方は境内の掃除をし、参拝客を笑顔で出迎える役割があるのだ。

 彼女は今日も今日とて、いつものやって来る参拝客に挨拶をかわしながら、掃除に勤しんでいた。


「流石にアレは大胆に行き過ぎたかな、勝手に部屋に入って……」


 どうやら彼女の頭の中は朝の出来事でいっぱいのようだ。

 一瞬手を止めたかと思えば、途端に落ち葉を履くのを再開し、また手を止めたかと思えば頭の中の思考を濁すようにして落ち葉を履き始める。


「考えすぎかな」


 その繰り返し。

 すっかり仕事に手がついていない様子だった。

 しかし疲れは明らかに溜まってきている様子である。


「ふぅ、ここが終わったら一旦休憩……」


 そう言う彼女に迫りくるのは、刃。

 アラタが初めて放った刃だ。


 刃は彼女の真上を飛んでいき、参拝用の鈴が吊るされた紐に命中する。

 すると紐はたちまち切断され、鈴は彼女の頭に向かって大きな影を作って――。


 ドゴン!!!!


「きゃ!?」


 ずっしりと重たい音が響いた後、そこにいたのは涙を浮かべて頭を抱えるムジナの姿だった。

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