第二話 新たな生き方 後編

 視線を合わせないようにして玄関戸を外から締め、彼は帰路についた。ここはどうやら神社の境内に位置する社務所のようだ。

 それも社務所と住居が一体化したタイプの建物。

 歴史のある神社にはこのような建物が多い。


「全く何が『お前はとっくに死んで』だよ。北斗の拳かよ。浄明正直とか自分で言っておきながら子供騙しの嘘をついて馬鹿馬鹿しい」


 彼の口から愚痴がこぼれる。

 今の彼はそうとでもしないと気が保っていられないようにも見えた。人影が全く無い深夜の街並みの電柱の明かりを頼りに彼は家への道を辿った。


「クソっ」


 アラタは小石を勢いづけて蹴りつける。

 神社は彼の家の窓から外を見たらすぐ近くにあるように見えるといったぐらいの距離感に鎮座している。だから距離としてはとても近い。


 晴れない顔をしてアラタは家に帰った。

 玄関はいつまでも真っ暗で、外から差すほんの僅かな月明かりが廊下を照らしていた。とても静かだ。


「チッ、センサー壊れてるのかよ、電気が付かねえじゃねえか。ほんとヤなことばかりしか起きてねえな、昨日からずっと」


 彼の家の玄関の明かりはセンサー式だ

 今日はそれが付かない。

 玄関の小さな置時計は夜の2時を指していた。


「喉乾いた」


 アラタはリビングに向かう。

 

 すると、リビングへ続くガラス窓の扉から明かりが差していた。

 彼が静かに立ち尽くしていると、ほのかに人の声が聞こえてくる。

 アラタは警戒しながら足音を立てずに近づき、恐る恐る扉のガラス戸から覗いた。


「何やってんだアレ」


 そこにあったのは、彼の家族の姿だった。

 両親、そして彼の弟がソファに身を寄せ合うように座っているのが後ろ姿から見て取れた。その様子をアラタは訝しみながらリビングに入り、ソファに近づく。


「こんな夜更けに何やってんだよ、俺には夜ふかしするなって、あれだけ散々口煩く言ってくるくせによ――っておい、」


 グスッグスグスッ……。

 その声が鮮明に聞こえてきたことで気づく。


 家族は顔を真っ赤にして泣いていた。

 母は大粒の涙を流し、父は泣きながらも気を保ち、母を宥める。

 弟は閉塞感を吐き出したかのような嗚咽を漏らしていた。


「意味がわからない、なんで泣いてんだよ。それにコレ」


 立ち尽くしたまま、アラタはは意気消沈とする。

 ソファの前に置かれたローテーブルの上には割れたスマホが置いてあった。

 間違いなくアラタのスマホだ。


「俺のスマホ……なんでもう一つあんだよ」


 彼は鞄からスマホを取り出す。

 2つのデザインは全く同じだ。


「おいどうなってんだよ、なんで泣いてんだよ、なんで泣いてるんだよ!!」


 誰も彼に受け応えようとしない。

 自分がここにいることを証明するためにアラタは家族のスマホに電話を掛けたのだが、一切通じることはなかった。父親、弟、友人に掛け直しても繋がない。


 ピコン。


 そんなとき、スマホから通知がなった。

 彼が登録していたサイトからのメールマガジンが届いたのだ。


「……!?」


 アラタはそのメールが自身が手に握ってるスマホと、テーブルの上に置かれていたスマホに同時に届いたことに気づく。

 壊れたスマホは画面がつかないが、その通知音で。


「どういうことだよ、俺のスマホが2つ……?」


 混乱が走る。紡ぐ言葉が見つからない。考えても理解は及ばない。家族は彼を無視する。何もいないように。その空間は彼一人だけいない。そして泣いている。大人気なく。限界以上に達したような気の沈みよう。


「もしかして俺、本当に死んだのか?」


 放心状態となり、アラタは手元からスマホを落とす。

 それから家族は弟に今後の進路に関してあんまり力を入れすぎないでいいとか、お世話になった人にどう挨拶するなどを大雑把ながらに話していた。

 アラタはゴクリと息を飲む。

 

「死んだんだ……死んだのかよ俺」


 彼がまじまじ見ると自身の手のひらはときどき少し透けて見える。

 それから彼はためらい、自身の身体の変化を確かめられずにいた。


「俺、本当に何やってんだ。今思い返したら散々じゃねえか。バカ息子だの言われるような酷いことばっかして、最後はこんな形で一生を締めて」


 ………………。


 絶望。

 そして懺悔する。

 

「俺の不幸自慢なんてどうでも良かったんだ、もっと他にやるべきことがあったはずなのに……それなのに」


 これが未練というものかとアラタは胸に手を添え、家族を見る。

 彼に出来ることは何一つ残されていない。


 …………。


 ……………………。


 

 そんなさなか、聞こえてきたのは――。


「ようやく死んだことに気づいたか馬鹿者め」


 ククルの声だった。

 どこからかアラタを見守っていたかのような物言いだ。


「まさか、ついてきて!?」


 どこからともなく聞こえてきたククルの声にアラタはあたりを見回す。


「来ておらん、背中を一度触ってみろ」

「背中……?」


 言われるままに彼は背中を触る。

 何かが引っかかっているようだったが、アラタにはそれが確認できない。

 なんとか外して手にとって見るが、それは釣り竿の浮きだ。

 浮きからは壁に向かって糸が伸びている。


「早く戻ってこい!」


 ククルがそう言ったかと思えば、糸がピンと張り、アラタは勢いよく引き寄せられる。 風を全身に纏い、いくつもの民家の壁や木々をすり抜けて目指すは一点。

 向かうはもちろん神社他ならない。


「うわああああああああああああああ!!!!!」 


 夜の静寂をつんざすほどの絶叫を上げ、彼は振り出しに戻された。

 ずざざざ、と膝を擦りむきながら和室に送られ。

 そしてその勢いのままボフッと布団の上に叩きつけられた。 


「五十年ぶりの釣りじゃが、どうじゃ、吾の釣りの腕は健在じゃろう!」


 ククルはとても誇らしげな表情だ。

 巫女の姿に戻った狢仙に釣り竿を回収させ、ボスっとその場で座り込む。

 アラタは布団に突っ込み、尻だけを突き出したみっともない姿勢のままビクリともしなかった。


「お主が死んだ事実を案外早く受け入れてくれて助かった。死を受け入れることがなければ、こうして引き戻すことができなかったのう。危なかったわい」


 グスグスッ……。

 アラタは布団を涙で濡らしていたまま、変わらず動こうとしない。

 そんな感じでかれこれ三十分ほど。

 ついにククルはしびれを切らした。


「おい、なんか言ったらどうじゃ? そのだらしないケツに指突っ込むぞ」


 ククルの脅しにも彼は動こうとしない。

 そこで「まあ無理もないかの」とため息を付いて結論づける。

 すると、ふと彼女は妙案を思いついたかのような表情を浮かべた。


「いいか? これは独り言じゃぞ? どちらかといえば聞いてほしい独り言じゃぞ~」


 感情どころか抑揚も感じさせないセリフの読み方だ。

 ククルはどこかに視線を向けて、正座の姿勢で木馬のようにユサユサとする。


「お主が協力者として貢献してくれれば結果としてお主を生き返らせてもいいと考えているんじゃがの~。なんせ吾は心臓の神。そのくらい容易い~」


 …………。

 アラタとククルの間にしばしの静寂が流れる。

 しかし、思うように返ってこない反応にククルが顔をしかめると、


「………生き返らせる?」


 今にも消え入りそうな問いかけがやってきた。

 その反応を望んでいたかのようにククルは微笑み、彼を見る。

 

「お、魚が食いついた。今日は大漁…………じゃなくて、コホン、これ以上不信感の募らせるような発言は控えるべきじゃな」


 ちょうどそのタイミングで巫女が戻って来た。

 それを機にククルは立ち上がる。


「改めて名乗らせてもらおう。ほら、早くこっちを向け」


 促され、アラタは正座をして二人に向き合う姿勢を取った。

 

「吾は玖々琉ククルは大神、この玖々琉神社の主祭神じゃ。そしてコヤツは玖々琉神社の巫女として代々仕えるムジナの神、狢仙かくせんじゃ」

「狢仙です、新入りでまだこの姿にあまり慣れていなくて………よろしくお願いします」

「………アラタです。お願いします」


 二人に対して否定も肯定もしようとしない。

 視線を注ぐことすら今の彼には抵抗感があるようだ。終始、ソワソワと落ち着かない様子で二人の自己紹介を聞いていた。


「じれったく感じるかの。さっそく本題に移ろう」


 ククルは俯いて大きく深呼吸してからアラタに向き直る。

 そして、彼女の口から聞かされたのは数千年にも及ぶ壮大な物語だった。

 遡ること数万年前――、




 かつてこの地には黄泉の国に繋がる渓谷が存在していた。 

 そこから、黄泉の国の魔物が地上に姿を表し、各地に天災をもたらす魑魅魍魎があふれ出ていた。


 そこで神々はこの地に巨人を送り込み、その巨体で渓壑を塞ぐように指示した。

 しかし時に強力な魑魅魍魎はその巨人の身体を破り地上にやって来る。巨人だけの力では対処できないことがあった。

 

 神々はそれ防ぐために巨人の身体の部位それぞれに神を使わし、神社を建て巨人の身体を守らせた。こうすることで巨人は神より力を得、この地の安寧が約束されたのである。


 しかし現代になり、戦争による燃焼、人口流失、つい最近になって始まった再開発運動に信仰の大半が失われてしまった――、


 このままいくと、巨人の力が亡き者となり、黄泉の国から魔物が地上世界をめがけて攻め込んでくると行った『終末の日』が起こってしまうのだという。


「つまり、その『終末の日』を回避するために――」

「そうじゃ、物分りがいいのう。吾は心臓の神としてこの地に眠る、巨人の身体に祀られた神々と協力をする必要がある。そこでお主の力が必要なんじゃ、なんせ最後に吾が生きていたのは――……」


 ククルは気難しい表情を浮かべ、ありもしない顎髭に触るような動作をする。


「五十年も前の世界?」


 五十年、という言葉にアラタは引っかかったのか、繰り返す。

 狢仙はククルの話に軽く説明を加える。


「心臓の神は、巨人の心臓を司る重要な役職を担ってる以上、取り決めでこの世に姿を現すことが出来るのは五十年に一度だけなんです。だからククル様は現代のことを何一つ知らない」

「そうじゃ、何一つ知らない。お主が持ってる光るガラスも。アレはテレビの仲間なのか? 何がなんだか全く分からぬ」


 アラタの鞄に収まっているであろうスマホを指差し、ククルは尋ねる。


「スマホです。五十年前だから黒電話の進化系っていえばいいのか……?」

「なんと、あの黒電話が!? 」

「そういえば。聞きたいことがあって。家に帰ったときに、俺のスマホがもう一個存在していたんです、何か知ってるんですか?」

「ああ、その話か」


 まるで何かを知ってるかのような物言いで再度ククルは彼を見る。


「道行く人間は皆、そのすまほ?ってのを呪具みたいに持ち歩いているからのう。人間が生きていく上で大事そうじゃったから、お主の壊れる前のものを吾の力で生み出しておいたんじゃ。迷惑じゃったかのう」

「いや、迷惑では……ないです」


 生み出した?と言葉に突っかかった彼は首を傾げる。

 それから鞄からスマホを取り出し、隅から隅まで確認していた。どうみても壊れる前の彼自身のスマホと同じらしい。

 

「……まあ、それもこれからする話に繋がる。一旦聞いてくれんかのう。吾はお主に頼みたいことがあるんじゃ」

「頼みたいこと? なんですか」


 改まって彼女はアラタを真正面から見据えた。

 真剣味を帯びた彼女の眼差しに、何事かとアラタは生唾を呑み込んだ。


「お主に、生き動く吾の依代になってほしいんじゃ」

「……依代?」


 アラタはその言葉に具体的なイメージも湧かないのか、ただオウム返しにその単語を口にするだけだった。

アラタが尋ねるとククルは重々しく首を縦に下ろす。

 そして――、 彼女は自身の身の上話を打ち明けた。


「吾は神といえど、所詮は霊体だ。霊体で神社から出てしまうと、周囲の気に影響されて力が摩耗していく。依代という気の供給の場が必要なんじゃ。その供給の場をお前になってもらいたい。まあじゃが、依代と言っても普通のものじゃないがな」


「普通のものじゃない?」

「ああ――」


 すると、ククルは狢仙に指示してあるものを持ってこさせる。

 それは木箱だった。彼女は木箱の蓋を開けて中身を見せつける。


「これは?」


 木箱の中にあったのは小さな肉片。


「お前の身体の肉片じゃ」

「なんてものを取っておいて……」


 アラタに吐き気がこみ上げる。

 しかし、ククルはそんなアラタのことなどお構いなしに肉片をつまみ上げ、


「これは、お主の身体の再生に必要となるものじゃ。これを使えば肉体を作れる」

「肉体を作る……」


 見ておれ、とククルはそう言い放つと肉片にもう片方の手をかざし、睨みつける。

 すると包み込むようにして光が宿り、肉片は宙で留まった。肉片が心臓のように鼓動する。すると肉片から徐々に人の形が再生されていき……


「――!!」


 突如、人の形を光が発散したかと思えば、目の前にアラタと瓜二つの肉体が出来上がっていた。


「今しがた、お主の肉体を再生した。これよりお主はこの身体に収まり、吾はこの身体を依り代にして吾の手伝いをしてもらう。どうじゃ、悪くない考えじゃろう?」

  

 アラタは無言のまま物思いにふけている。

 正直なところ、話を聞いた時点で既に彼の答えは出ていたようだった。それを口にしていいものかどうか、唇に強く力を入れてはアラタはククルの目を見据える。


 一方の狢仙はことの成り行きを見守っているようでアラタの瞳から目を離さないようにしていた。彼は彼女を位置を見るなり、大きく息を付く。


「是とするなら、肉体に触れてみい」


 アラタは無言のまま再生された自身の肉体に近付き、触れる。

 心臓の音、体温、全てが彼に生々しく伝わる。彼の身体はまるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように吸収され、その身体に合わさってゆく。

 そして彼の肉体と一つになった瞬間――、 アラタの肉体が眩い光に包まれた。


「どうじゃ、その身体の心地は?」


 アラタはまたもや布団の上で目を覚ます。

 心配そうに狢仙が彼のことを覗き込んでいた。

 アラタは自分の身体の具合を確かめつつ、ゆっくりと起き上がる。


「なんだか少し身体が軽いような」

「そりゃそうじゃ、残った肉片以外の部分の殆どは霊物質でできておる。霊物質は人間の身体じゃ感じられない、気の流れの影響を受けやすいからな、この神社の気の流れがお主にそう感じさせるのじゃろう」


 つまりは成功じゃな、とククルは結論をくくる。


「実は私のこの身体も、ムジナの本体を霊物質が包み込むようにしてできてるんですよ、分からないことがあったら私にも頼ってくださいね!」


 狢仙はアラタの片手をぎゅっと握りしめ、優しく微笑みかける。

 アラタは自分の両手をまじまじと見つめ頷く。二人の様子をうんうん、といった感じにククルは誇らしげに眺めていた。


「今後はお主の身体を依り代にさせてもらおう、今後は長い付き合いになるじゃろう。そこでじゃ、吾はお主をなんて呼べばいい」

「アラタで、呼び捨てで構いません」

「アラタか、いい名前じゃ。親に貰ったその名を大事にするんじゃぞ」


 ククルはアラタの肩に手を置き、彼の身体を揺さぶる。

 彼は今後多くの困難と逆境を乗り越え、安寧のために尽力することになる。

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