[玖々琉大神(くくるのかみ)編]
第一話 新たな生き方 前編
人生に大きく影響を与えるものが恋。
恋の数だけ無性に焦がれて何度も無計画な日々を送ってきたという自覚は本人にもあるようで、振られて失恋する都度、反省する日々に身を浸す。
周りの数少ない友人に彼女が出来るたびに焦りだし、また懲りずまた繰り返し……だが、今回の結果はいつもと違った。
本来であれば、今日という日は彼にとって特別な日になるはずだった。
のに。
そんな彼の視界に広がるは雑木林。これといったものが目に映らない、獣道があって細い木がまばらに生えているだけの小さな林。
教えてもらった住所はこの雑木林だった。
「マジかよ、これが現実か、ざっけんなマジで」
ことの発端は昨日にまで遡る――。
◇◇◇
「わ、私ですか……?」
「はい!! 一目惚れでした!! 付き合ってください!!」
道路から丸見えな、告白場所となったこの境内。
ときどき道行く老若男女が二人の様子を遠くから視界に入れて何事もなかったように去っていく。
「まあ」
巫女は握っていた竹箒を地面を落とし、広げた両手で口を覆う。
今回彼の恋のターゲットになったのは近所でも美人として有名な巫女だ。
後ろで結んだ髪の光沢や見た者を包み込むような眼差しといい、近所ではとても評判がいい。巫女装束のこなしでも完璧だ。彼女が履いた袴の赤と、朱色の唇がマッチしてさらなる魅力を引き出している。
「どうか俺と付き合ってください!!」
「どうか? あのえっとちょっと……」
巫女は顔を赤らめ、小さく丸めた拳を胸に添えて視線の先を二転三転させる。
なかなか彼女の口から返事が発せられることはない。
頭を下げたままのアラタの瞳はいつまでも冷静さを欠いていた。もしかしたらまた駄目だったかと考えたのか、情けない鼻息が漏れる。
「えっと、その……私なんかで良ければ」
アラタはゆっくりと顔を上げ、彼女に喜びを示す。それから彼は彼女から連絡先を聞き出すこと成功した。
この時代には珍しく彼女はスマホを持っていないらしく、家の所在を聞く領域に留まったのだが……
「あの年齢でスマホを持っていないのかよ。まあでも神社の巫女をやってるぐらいだし、きっと両親は厳しいのかもしれねえな」
気分が良いためか、彼はあまり深く考えようとしなかった。
彼女曰く、明日一日は家にいるのだという。
そこで彼は家に向かうことを決め、幸せを笑顔に染み込ませて彼は夕日に向かって歩いていく……
◇◇◇
今日において、昨日の出来事なんぞ、まさしく過去の栄光だった。
「自転車じゃカッコつかないから片道一時間近く歩いてきたのによぅ」
アラタは情けない愚痴を吐いてその場で崩れ落ちた。
「帰ったらまたバカ息子だの駄目息子だの言われる暮らしに逆戻りか……信じた俺が馬鹿だった、こんな気持ちになるぐらいなら」
今まで来た道をトボトボと戻っていく。
途中で偶然同じ獣道にいたムジナと影が重なった。ムジナは悲しそうに彼のことを見ていたが彼がその存在に気づくことはなかった。いやむしろ構うほどの気力がなかったのかもしれない。
ムジナはコン、と何か言葉を送っているかのように鳴く。
「はあ」
昨日の夕暮れとムードが雲泥の差ほどあった。掴んだのは雲だったかのように。
一時間近くの片道を辿るにも何時間も浪費している。自宅に戻る道を選べず、己が足の赴くままに死人のように歩かされ続けているようだ。
タタタタ……
さなか、彼に足音が走り寄ってくる。
アラタの影に重なるように現れたのは髪を結んだ女性の影。
「やっと見つけた!」
巫女だった。
その一言にハッとしたのかアラタは振り返る。
「本当にごめんなさい! 私ったらなんて説明すればいいのか分からないけど、アラタさんにとっても酷いことをしちゃって……」
彼は救われたかのような表情を浮かべるが、まぶたで視界に巣食う涙を絞り出し、巫女のことを強く睨みつけた。
人間不信に陥った獣のような瞳。その傷ついた心に触れようとでもしたのか、巫女はそっと歩み寄るがアラタは手で払い、逃げ出してしまった。
視界を覆う涙があまりにも多く、何度まぶたを閉じようと涙が抜けきらない。
そのまま彼は走り続ける。
「もう放っといてくれ」
「待って! 行かないで!」
巫女の言葉は彼には響かない。
「――あぶないいいい!!!!!」
巫女はアラタの進路には赤信号が待ち構えていたことに気づき、声を荒げる。だが、その声も虚しく。届くことはなかった。
アラタの真横に大型トラックが迫ってきている。自身の間合いに何か迫ってきている危機を全身で感じ取った一瞬、大きく目を見開く。
そうして――――
ドンッッッ!!!!!!
次にアラタは温かみのある証明で満ちた和室で目覚めた。
寝かせられた背中から違和感を感じ取ったのか、すぐ真横を見て畳に敷かれた布団に寝かされていたことに気づく。それから起き上がると、彼は部屋の風景を見る。
田舎のよくあるような四角いタイプの間接照明。
年季の入って少し黄ばんだ壁。
布団を敷くスペースを取るためにそうしたのか、和室の隅に立派な和机と椅子が追いやられている。和室の床の間には天皇陛下の写真が2つ並んで飾られている。
まぶたを強く閉じ、歯を食いしばる。
「駄目だ、何がなんだかまるっきり……思い出せない。トラックにはねられて。それからそれから……」
息詰まったように両手を組む。
しばらく考えた後彼はまた再び布団に身を託す。
「第一なんで俺は生きてるんだ? あんなのにはねられたら普通、身体はバラバラだしそれどころか身体に傷一つない」
彼が見る限り、なんの変哲もない、いつも通りの身体のようだ。
「はっ、ちん●は!?」
布団をガバっと持ち上げてアラタはズボンの中身を確認する。
凝視した後、彼は安心してため息を付く。
「ん、なにか物音がした?」
そんななか、どこからともなく声が聞こえてくた。
アラタはギョッとして声のしてきた方に振り向く。
「だ、誰かそこにいるんですか?」
「その声はもしかして!!!」
ドタドタドタ。
彼は障子の方を視線を注ぐ。
「良かった、死ななかったんですね――!!」
何事かアラタが唖然としていると、ぐたんと数枚もの障子を戸ごと吹き飛ばし、現れたのは巫女だった。
巫女は勢いをあます事なく、アラタに飛びかかる。
「うおおお、いきなり何だ!?」
何枚もの障子がアラタの上に覆いかぶさり、ホコリを吐き出す。
彼はゴホッゲホッと咳き込み、ホコリを手で払い除ける。
「大丈夫ですか、何気にすごいことをやってのけて……」
「いえ、ついうっかり本能というかその……やっちゃうんです」
「あれ、てかどこに行って……あれ、あれ?」
目を瞑るほどのホコリっぽさに目をつぶっていた彼が、目を開けたときに巫女の姿はもうどこにもなかった。
そのかわりに、視界に入ってきたのは何やら黒い生物。
いたのは小さなムジナだ。
「た、たぬき――――」
後ろ向きに腰をついたまま後ずさる。
「ムジナなんですけどね、バレちゃったのなら仕方ない……」
巫女の声をしておきながら、話しているのはムジナのようだ。
アラタが失恋の帰り道で出会っていた、あのムジナ。
ムジナは申し訳なさそうに頭を下げる。
「実は私の正体はムジナなんです。ごめんなさい、隠してて」
「ム、ムジナだったんですか!? てか、どいういうこと!?」
「その、騙すつもりはなかったんです。本当にすまほを持っていなくて。代わりに私の家の雑木林の場所を教えたんですが……それがその、えっとちょっと」
ムジナは戸惑って言葉を失い、黙りこくる。
「何事じゃ、騒がしい」
「!?」
沈黙を破るように聞こえてきたのは少女の声。
ペタペタと木の床を歩く音が廊下の方から聞こえてきたのでアラタはそちらを見る。だが、一向に誰も現れず。しかも、その音はやむなくして止んでしまった。
警戒心がほどけず、廊下の一点のみに視線を注いでいた彼だが、実際には彼の額の上からくっつくように少女が覗き込んでいて……
「!!!!!!!」
「コヤツが例のやつか?」
少女は壁をすり抜け、上半身だけを壁から突き出していた。
「あ、あああああ……あああ」
アラタはそれを情けない表情で出迎え、ムジナと少女と距離を置くようにまた後ずさる。勢い余って背が壁にぶつかり、額縁が落ちようとも今はそれどころではない。
「ククル様、その、今は私がちょっと厄介なことになっていたところで、その」
「申し訳ない。ちょっと近道をしてしまった。驚かせたな、坊」
少女は壁からフワフワと身体を宙に漂いよわせながら移動をし、すたっとムジナのすぐ真横に降り立った。
流れるような長い黒髪に、首にかけられた翡翠の勾玉のネックレス。淡い白が基調の、ヒラヒラと舞うワンピースのような衣を纏った出で立ち。
彼女はとても知性の感じられる目つきをしていた。
だが、背が低く全体的にとても幼い印象だ。
少女は腰を屈めるなり、遠くからアラタを見定めるように見る。
「おっと、これまた失礼。自己紹介が遅れていた」
改まった態度でアラタをを見る。
「吾が名は
「三十六代目の狢神、
ククルと名乗る少女の後に続き、ムジナはお辞儀をする。
それからまた一歩また一歩と二人はアラタの下に近づいていく。アラタは怯えた顔つきで後ずさり、また後ずさり、背中と尻が完全に壁に貼り付いてしまうまで下がった。
ついに彼は近くにあった座布団をククルに投げてまで、二人の接近を拒む。
座布団はスッとククルの身体を通過し、回転をつけて畳に落ちた。
「く来るな、化け物!! これ以上近づいてくるな!!」
「気の荒いやつじゃのー、またこんぐらいがちょうどいいとて」
アラタは頭を両手で覆い隠し、小さく縮まる。
そうしてる間にも一歩、また一歩と迫りくる二人は、次に何をしようと企んでるのかとと思えば――
「どうかこのとおりだ、吾らに力を貸してくれぬか!!」
唐突な土下座だった。
思いもしなかった二人の行動にアラタは固まる。
「……力を貸してほしい?」
「うむ、協力者が必要なんじゃ」
ひとまず彼は顔を覆っていた両手を僅かながらに落とし、そこから自分よりも低い位置に頭がある二人を見る。
それからさらなる嫌な予感がすると言わんばかりに固唾を飲む。
「それって魂を食わせろってこととかじゃ……」
「ない。そんな野蛮さは持ち合わせておらぬ」
「本当に?」
「神道の神は浄明正直! 嘘は決してつかぬ!」
「はあ……そうなのか」
アラタの視線の先で二人は未だに頭を下げたままだ。
その言葉遣いなり、姿勢なりで二人の真剣さがひしひし伝わってくる。その様子を見て彼に何か思うことがあったのか、彼はしばらく考えるような動作を見せ、
――そのまま帰ろうとした。
「ちょっと待てこれだけ真剣な様子を見てもまだ分からぬのか?」
立ち上がるなり部屋から出ていったという予想外の反応にククルは必死に説得しようとする。だが、彼はそれに見向きもしようとしなかった。
玄関で靴と鞄を見つけるなり、腰がけて靴紐を結ぶ。
「神様であろう人がなんで俺なんかに頼るんだ。俺よりマシなやつなんてこの世にごまんといる。他の人を頼った方がいい」
「待て、行くな! 吾らにはお前の力が必要なんじゃ、それにお前はとっくに死んで……」
反応する素振りを見せず、アラタは木製の玄関戸をガラガラと開ける。
外から鈴虫の鳴き声が聞こえる。外は夜の闇に包まれていた。
「さいなら」
「待て!!! 行くなあああ」
ククルの叫びが虚しく夜闇に溶けて消える。
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