セピア


 …ぱらり

 ページが気怠げに小さく鳴いた


 梅雨の香りに薄く浸った言の葉と出来事の「ぬけがら」が

 その微かな湿り気に 仄かに生気を取り戻す


 少女が本をめくる

 頁が鳴く

 物語が進む


 少し飽きてきて

 ぱさぁーっと

 退屈そうなこいつを弄んでみる

 物語は「過去」へ戻った


 文字とそのは鮮明に少女の記憶を呼び起こす

 あの時、彼は、彼女は、

 こんなふうに、こうして、こうなって、


 頁をめくる時の指の感触

 そこに懐かしさは ない


 懐かしさというのは不思議なもので

 その時自分が

 ちゃんとそこにいて

 特別な感情を抱かなければ

 十分に寢かした後に振り返っても

 その「時」は単なる秒と秒とのつながり


 少女は不思議だった

 自分が赤子の頃

 いっときも離すことを許さなかった玩具

 ずっと顔をうずめていられたふかふかのタオル

 どうして

 今、それを見て何も感じられないのだろう


 ぱらり ぱらり

 少女の指があでやかに頁に据えられる

 頁はあくまでも無機質な声を保つ

 物語が、終わりに近づく


 セピアの額縁の中

 彼、彼女のおもてから

 もう一つのいろが消えていく

 

 ぱらり ぱらり

 最後にめくったその頁は

 

 いやに白い肌をさらしていた


 梅雨の香りが濃くなる

 強まる雨足と蛙の歌にまぎれて

 聞こえる妙に長いサイレン


 懐かしさすらかき消すのは

 梅雨の香りと、彼と彼女の最期の晩餐の残り香

 それを映す少女の瞳は

 曇天よりもくすんでいた


 …ぱたん

 間抜けな断末魔の余韻を十分に味わい

 少女は雨上がりよりも静かに この部屋を出た

 

 取り残された頁の端くれが

 今も朱殷に蝕まれている

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