擦り抜け

のう

擦り抜け

私と瑠美さんが同じ学校に通っていたら。今でも考えてしまいます。その選択が不幸の始まりでした。もし、瑠美さんと違う学校に行っていなかったら。こんなにも辛い日々なんて……。

今更どうしようもない事ですが、少し、お話しさせてください。 瑠美さんと仲良くなったのは、小学四年生のときでした。一年生のときから瑠美さんは、いつも笑顔を振りまいているとっても素敵な方で、私とは住む世界が全く違う方でした。言葉を交わしたことすら、なかったほどです。

ところがどうでしょう。クラスが同じになって、席が隣になりました。私は最初、とっても緊張していたのですが、瑠美さんはいつだって気さくに話しかけてくれました。朝、昼休み、それから放課後も。

私は次第に瑠美さんとお話しするのが楽しくなり、私達はお互いの家を行き来する仲になりました。

瑠美さんは話が面白くて、可愛くて。落ち込んでいるときだって、瑠美さんといると安心したものです。私達は卒業まで、おしゃべりをしたり、一緒に遊んだり、とても楽しく過ごしていました。

私は、将来のことなど何も考えていない子供でした。この日々は永遠だと、ずっと続くんだと思っていました。ですから中学校も、瑠美さんと同じ公立の学校に行く以外の選択肢などなかったのです。

だけど、瑠美さんが言ってくれました。「舞はさ、私と違って頭いいじゃん!もっといい学校受験しなよ。私、応援するから!」

と。瑠美さんは昔から、私の成績の良さを沢山褒めてくれました。テストで百点を取るたびに、授業で難しい質問に答える度に、瑠美さんはにっこり笑って、「舞、すごいね!」なんて言ってくれました。瑠美さんに微笑まれると、なんだかとっても恥ずかしかったのですが、それでも嬉しい瞬間でした。

瑠美さんが、私に受験を勧めてくれた理由は二つありました。一つは、シンプルに私の能力を評価してくれていたから。もう一つは、私が……クラスに馴染めていなかったからです。

私は、お友達を作るのが昔からとても苦手でした。私の興味ある話をしても、どなたも理解してくれない。流行りの話をしようとしても、相手の話を聞こうとしても、余計なことを言ってしまう。そんな事を繰り返すうちに、いつしか私はクラスで孤立し、三年生の頃にはいじめのような事まで受けていました。

瑠美さんがお友達になってくれてからは、私に意地悪をする方はいなくなりましたが、相変わらず私ははぐれものとして扱われました。

瑠美さん以外のクラスメイトの視線は、いつも冷ややかでした。もし瑠美さんがいらっしゃらなかったら、私はとうにこの教室で窒息死している、そんな事を考えてしまうほど。そんな私に、受験をしたら、同じくらい頭のいい、話が合う友達が見つかるのでは、と瑠美さんは言ってくれたのです。 それでも最初、私は渋りました。私は瑠美さんといる時間が一番楽しかったので。その時間に代えられるほど、受験が魅力的だとは私には思えませんでした。

しかし、瑠美さんは何回も何回も私に受験を勧めてきました。その視線から、真摯に私のためを思ってくれているのが伝わってきて。私は結局、県内で最も倍率の高い中学校を受けました。

結果は合格。これでいいのかな、瑠美さんと疎遠になったりしないかな、と少し不安もありましたが、私は瑠美さんの言うことを、上手く断れないのです。

いろいろと心配していた私ですが、中学校に入学しても、私と瑠美さんの交流が途絶える、なんてことはありませんでした。

私達はLINEや電話で連絡を取り合い、月に一度はお出かけをしました。瑠美さんはそのお出かけのことを、ふざけて「デート」なんて呼んで、「デート」ではお洒落な街を巡ったり、図書館で勉強会をしたりしました。別の学校に通っていることなんて忘れてしまうくらい、ええ、本当に幸せな日々でした。

また幸いなことに、私は自分で思っていたよりも勉強が得意だったらしく、中学校でもトップクラスの成績を取り続けました。テストで何位を取った、と報告すると瑠美さんはいつも決まって、「やっぱり、舞はすごいねぇ」って。目を細めて褒めてくれました。


あれは、九月の終わりのことでした。ちょうど期末テストの一週間前で、私は、英語の問題集をかりかり進めているところでした。

――ヴーッヴーッ

ここに入るのはtoじゃなくてforのはず。回答を書き込もうとしたその時、突然、携帯に着信が入りました。瑠美さんからです。私は慌てて通話ボタンを押して、上がる口角を抑えながら、少し不機嫌そうな声を作りました。

「どうしたの?私、今テスト期間なんだけど……」

本当は、瑠美さんの声を聴けるのは、いつでも嬉しかったのですが。

「あっ、そっか!二学期制だもんね!ごめんね!でもど~~しても舞に一番に伝えたくて!」

瑠美さんは聞いたこともない早口でした。でも語尾には心なしか喜びが混ざっているようで。いつになく瑠美さんの声は弾んでいました。私は何故か不安になって、少し声を潜めながら、「何があったの?」と聞きました。

答えまでには、少し間がありました。瑠美さんは幸せを噛み締めるように、ゆっくりゆっくり、息を吸って。

「あのね、あのね、私、私……か、彼氏ができたの!」


――あたまが、まっしろになりました。


「ちょっと前から気になってる人がいてね!すっごいイケメンなのに優しい人で!運動神経もよくて!勉強はちょっと苦手らしいんだけど、そこも可愛いっていうか……っ。とにかくっ、ほんとーっに素敵なその人と、文化祭で仲良くなれてね!」

次々と発せられる言葉が、耳を通り抜けていきました。大好きな瑠美さんの声なのに。この報告をきちんと聞いてあげたいのに。頭が追い付いていきませんでした。唯一気付いたことは、私は瑠美さんから恋愛の話を、これまで一度も聞いたことがない、ということでした。

私がそんなことをぼんやり考えているうちにも、瑠美さんの話は続いていました。

「それでそれでっ!本日!ななななっなんと!告白、されちゃったの~!きゃーーーっ!マジで幸せ過ぎるーーーっ!」

「……」

「でね、今度ね……、って舞?聞いてる?」

はっ、として、意識が現実に引き戻されました。どうしよう、なにか言わなきゃ、なにか……。

「……聞いてるよ?少し、しんみりしちゃっただけ。おめでとう。幸せになってね」

なんとか、声を出しました。

「えへへっ、舞、ありがと!」

はにかんだ笑い声。よく聞いている声なのに、今始めて知った声。

――ああ。

「ごめんなさい、私、……問題集やらなくちゃいけないから。そろそろ切るね」

嘘でした。問題集は既に二周目で、更に期限はだいぶ先でした。

「あっ、うん!ごめんね忙しいときに!ばいばーい!」

「……ばいばい」

――ぷつん

通話を切ってから、私はしばらく呆然としていました。

……瑠美さんに彼氏ができた。

るみさんにかれし。かれ、し。るみさんに、かれし――

――るみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにかれしるみさんにか――


それからの私は、灰になったようでした。

『舞、すごいね!』、『今週末、デートしよっ』『私、応援するから!』 ……瑠美さんとの思い出全てが、指の間から擦り抜けていったような気がしていました。

勉強なんて全く手がつかなくなりました。この式を解いて、この単語を覚えて、テストでいい点を取って、いったい何になるの。今までやってきたことが、どうしようもなく馬鹿らしく思えました。それでも頭のどこかに、勉強しなくちゃいけない、という気持ちはあって、一応机に向かってはいたのですが、どうしても進みませんでした。 ……何をしていても、瑠美さん、瑠美さん、瑠美さんだったのです。

気づいたらテスト当日になっていて、問題は全く頭に入らず、何を書いたのかも覚えていません。後で知ったのですが、回答欄にはいくつか、瑠美さん、と小さな字があったようです。 もちろん、試験の結果は散々なものでした。


テスト明けの月曜日の放課後。のろのろと向かった昇降口に張り出されていた順位。左上の成績上位のスペースに、私の名前はありませんでした。代わりに右下のすみっこに「百二十七位 岡野舞」の文字がありました。

私は、しばらく唖然としてその場に立ち尽くしました。

百、二十、七、位……?

「あれ?岡野さん今回点数低すぎない?」

「ほんとだ、珍しー。あのガリ勉ちゃんが」

「何かあったのかな、彼氏に浮気されたとか?」

「あんな不細工に彼氏なんていないでしょ」

「あはは、言えてるー」

ばっと振り向くと、後ろにクラスメイト達がいました。いつも私に意地悪をしてくる方達。私を見て、にまにま笑っています。……結局、私は中学校でもクラスに馴染めていなかったのです。

昇降口を飛び出して、逃げるように家に帰りました。とんでもなく惨めな気持ちでした。あんな順位、見たことない。なんでもっと勉強しなかったんだろう。いつもやっていることなのに。なんでできなかったんだろう。ソファーに突っ伏しても嗚咽は止まらず、クッションがじわじわ濡れました。

――ピコン

その時です。携帯がうるさく鳴って、LINEが、瑠美さんからLINEが送られて来ました。内容は、「テストどうだった?」の文字

と、うさぎのスタンプ。うさぎはへらへらと、口を開けて笑っていました。

何かがぱちん、と切れました。

「……お前のせいだ」

気づくとそう、口にしていました。

「お前が、浮ついた連絡しなければ」

私はちゃんと勉強できたのに。あんな点数取らなかったのに。

「お前さえ、いなければ」

ひどく息が熱くなっていました。肩が上がって、吐くことはできても、吸うことが困難でした。頭がぼんやりして、だんだん回らなくなりました。腹の底が、煮えくり返っているようでした。

「お前なんて、お前なんて」

苛々、苛々してたまりませんでした。瑠美さんが憎いのも、勉強できなかった理由も、本心では嘘だとわかっていたのです。ですが、どうしても苦しい苛々は止まりませんでした。

それは段々と、我慢できないものになりました。 私は、携帯をわしづかみにしていました。LINE、トーク、瑠美さん、ブロック……。指がするすると動いて、操作はあっという間に終わり、瑠美さんのアイコンが。

すぽん。画面から静かに消えました。

「……やった」

消えました、瑠美さんのアイコンが、消えました。

けらけらと私は笑っていました。ひとりぼっちで、お腹が痛くなるほど笑っていました。


――私が、自分が何をしたかに気付いたのは、電話番号、写真を含めた瑠美さんのデータを、携帯から完全に消去した後でした。

「……嘘」

さっと血の気が引きました。画面を何度もスクロールしました。指の感覚がなくなるくらい探しました。それでも何にも見つかりませんでした。

何故こんなことしたの。私は今、何したの。そうだ、私は瑠美さんが憎くて、でも本当はそうじゃなくて。私は今。


……瑠美さんのデータを、消しちゃった。

―――――ッ。

「うああああああああああああああああああああああああ」

喉から、今まで出したこともない絶叫が響きました。

とても喉が痛みました。息ができなくて、ぎりぎり、ぎゅうぎゅうしました。顔がぐしゃぐしゃになって、そんな自分がみっともなくて。

それでも私は、叫ぶことを止められませんでした。

「舞、どうしたの!?」

母が血相を変えて二階から降りてきました。私は携帯を放り出して、自分の部屋に転がり込み、鍵をがしゃんとかけました。誰の顔も、見たくありませんでした。クラスメイトも、母親も、自分も、……もちろん、瑠美さんも。


……それから、数カ月が経ちました。窓の外から、時折クリスマスソングが聞こえます。夜中はイルミネーションが眩しいです。……そういえば、そろそろ瑠美さんの誕生日でした。

あの日以来、私は部屋から出られていません。スマホにも、電話にも触っていません。家族との会話も、最小限に留めています。

今でも考えてしまいます。瑠美さんに彼氏ができなかったら。せめて同じ学校に行って、もっと早くに気付けていたら……。こんなことには、きっと、ならなかったのに。






……ならなかった、でしょうか

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

擦り抜け のう @nounou_you_know

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画