初仕事7

「蓮田さん」

 舞はまだ微かに湿り気の残る髪に指を通しながら言う。

 ……眠い。

 閉じたがる瞼に活を入れることでどうにか目を開いていられる状態だった。あとやけに塩気の多い鮭も。

 原因は昨日からほぼ一睡もしていない事だ。夜の間中走り回り、外来生物かぞくと共に水浴びをして帰る。雪解け水が流れ込む田んぼの水は心臓が停止するほど冷たく、まだ冬の気が残る夜風は鎌のように鋭く肌を斬りつける。それも我慢して濡れそぼつ身体を自然乾燥させながら朝焼けの空を背に物音立てず布団へ戻ったが、芯まで冷えた身体は震えを押さえることが出来ずひもじさに零れた涙で暖を取るほどであった。

 そして何より昨日から今日にかけて煙草のひとつも吸えていないことが問題だった。

 舞は自他ともに認める愛煙家であるため、少なくとも二時間おきに煙草をたしなまないと不調になる、立派なニコチン中毒者びょうにんであった。現に今も手は震え苛立ちに目が血走り顔は青を通り越して白く――全て冷えが原因にしか見えないが――とにかく悠久の時を揺蕩たゆたうような極上の一服を欲していた。

 ……眠い!

 しかし、しかしである、それと同時にこの仕事にも不満を感じていた。双方の時間を使い何も生み出すことのない非生産的であり退廃的である行為に我慢ならず一石を投じざるを得ない、上司は諦めることが当然のような顔をし最低限のノルマをこなして帰ろうとするし、無知な老人は己のルールで援助の手を拒む、必要なことは蜂蜜をたっぷりかけた砂糖菓子より甘い考えを打ち砕き、停滞に慣れきった精神を、騎手のように尻を叩いて追い立てることである。

 眠い、けど楽しい!

 ケツに火がつかないと分からないのであればケツに火をつけるまで、マッチポンプというなかれ、少なくとも善意に少しだけ己の欲望を混ぜただけ、正直ここまで上手く行く予定ではなかった故になお面白い。

 快楽主義が顔をのぞかせ、眠気と混ざって薬物を摂取したように雲の上を歩いているよう、正常な判断など分からぬまま舞は半分閉じた目と頭で言葉を紡いでいく。

「今後、こんなケースが何度も訪れることとなります。テレビや新聞は調子のいいことばかりを垂れ流しているし、ここに来た会社の人もまだ急ぐ段階ではないと真剣に説明をしていなかったんだと思います。だってもっと大きな被害が出てから泣きついてきてもらったほうが値段交渉しやすいんですから」

「そんな――」

 口を挟もうとした新堂を目で制止する。

「大人、会社なんてそんなものですよね。確かに肥大期までは時間があるけど、その間にしておかなければならない事ってすごく多いんです。ダンジョンにもぐる人材の確保、取れた資材の売り先、人を集める交通手段。成功していると言われているところは多額の投資をして自治体や大学、研究機関と協力しているんです」

「ならうまくいくようにすればいいんだろう。自治体や大学に話を通していけばいい、それにあんたたちの会社に任せても成功するとは限らないんだろう」

「そうです。だってダンジョンは災害なんですから」

 舞は言い切る。海外では主流の考え方だし、舞も的を得ていると考えていた。

 たまたま油田が敷地内に湧いたからと言って、産出量が少なければ土壌汚染だけで終わってしまう。温泉だって硫黄の濃度が高ければただの毒ガスでしかない。ダンジョンはそれと何ら変わらないのだ。

 ならどうするか。災害にあったなら泣き寝入りをするのか。今の社会はそんな血も涙もない政策をとってはいなかった。

「土地はおじいちゃんのもの、ダンジョンは会社に貸して定期収入を得る。素材や入場料による収入はなくなるけど、モンスターによる被害は会社が持つ。下手にハイリスク・ハイリターンを狙うよりも確実な道を行くべきです。お子さんの為にも」

「どうして――」

「玄関にあった古新聞、ダンジョン関係のチラシ以外にも老人ホームの案内だけが残してありました。奥様も居ない今、ひとりで生きていくには辛くなった時の為にお金が必要なんですよね?」

 舞が告げる。

 ……もちろんそれだけじゃないんだろうけど。

 子どもがいて孫がいるなら、かかるお金は家計に重くのしかかる。どう見ても年金で生活している老人が力になるためには、立派な収入源が必要だった。

 気持ちは分かるが、それでは無理なのだ。何故なら――。

「おじいちゃんが亡くなった後、お子さんがダンジョン経営できると思いますか?」

「それは……」

「無理です。無理ですよ。こんな簡単に非常事態が発生する、まだ誰もが手探りなのに急に任されたとして上手くやれるはずがありません。相続放棄するしかないんです。幼少期から慣れ親しんだこの家を手放す決断をさせるんですか?」

「……」

 矢継ぎ早に責め立てられ、蓮田は黙ってしまう。

 ……うーん。

 言いすぎた、と舞は思わない。十分現実的なことしか言っていないからだ。

 ただ、上手くやれるなら老人の構想通りが一番利益になることも理解していた。そのためには、

 立地がなぁ……。

 都心から車で三時間、最寄りのインターや駅からも遠く、バスも一時間に一本あるかないか。ごく一般的な田舎だから、県内にあるもっと利便性のいいダンジョンに人が取られてしまうのだ。

 悪いところを上げればキリがなく、いいところなど特にない。事業として成功するかどうかを議論する余地などなく、いかにリスクを排除するか、それしか考えることが出来なくなっていた。

「……無理か?」

「無理ですね。今後熟成期、完熟期となれば専属の人も必要になります。ダンジョン関係の仕事を希望する人は年々減っていて、今は大手が青田買いし教育しているのが現状です。在野にいる人が根付くほど魅力があるダンジョンじゃないんですよここは」

 厳しく告げる。ここに夢はないんだと。

 舞は視線を横に滑らせる。口を挟めず置物になっていた上司は、うん、と頷いて、

「蓮田さん、舞の言うことは何も間違っちゃいない。調査の結果でも利益に乗せることは難しいと出ています。本音を言えば土地ごと売って欲しいのですが……権利の貸与でも負担を減らせると思います。お力になりたいんですよ、私たちは」

 新堂の真っ直ぐな言葉が刺さる。

 ダンジョンの中で価値のある物と言えば宝石か貴金属だ。煮ても焼いても食えない生ものや、モンスターの持つキロ数十円にしかならない金属製の装備品などは見向きもされない。時折研究機関があるかどうかも不明な薬効を求めて手当り次第に産物を買い漁る時があるが、恒久的な収入源にはなるものではない。

 その事は蓮田にも伝えてある。それでもなお夢を見てしまうのは限られた情報の中で都合のいい言葉を選んだからだった。

 蓮田は静かに息を吐くと、ゆっくりと膝をつく。しばらく無言のまま時間が過ぎて、

「……考えさせてくれ」

 煙のような声で呟いていた。

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