初仕事6
事件が起きたのは程なくしてのこと、鮭の切り身と目玉焼き、ご飯にインスタントでは無い具沢山の味噌汁と男の独り身が作ったにしてはやけに豪勢な朝食を囲んでいる時のことだった。
田舎とはいえ雑木林を持つだけの名家だったことが伺える、指よりも太い鮭の切り身は白く粉吹いており、なるほど昔の鮭はこうだったと郷愁に浸りながら箸を伸ばす。赤い身を口に入れれば刺すような塩味の向こうから鮭特有の脂の乗った旨みが口の中に広がるがすぐ横、並んで座る舞には堪えたらしく、不器用に箸を動かして口に運ぶも吐き出すことはしないもののひどく顔を顰めていた。
「舞、そんな顔して食べるんじゃないよ」
ふざけていうとそのまま殴るのではないかと言うほどの目つきで見上げてくる様子に、思いの外見た目通り子供っぽいところがあるようだ。
視線こそ鋭いが渋々食べ進める少女を眺めていると、突然甲高い音に襲われる。何事かと思えば今では珍しくなってしまった固定電話がなっているだけのこと、家主の蓮田が受話器を上げると、数回頷いた後やや厳しい目線を新堂に向けていた。
……ふむ。
全身の産毛が逆立つような、つまりはあまり好ましくないことが起きている、そんな予感をひしひしと感じるのは間違いなく経験から来るもので、悪い予感は当たるもの良い予感は外れるものと相場が決まっている。ただ悪いことの方が印象強く残るだけで実際はどうかは別として、今回の場合は予感が正しかった。
「どうかしましたか?」
新堂が尋ねる。相手のペースで話を進めるといらない反感や疑念を持たれ関係が悪化する可能性があるから先手を取るのは常套手段であり、それでも功を奏するケースはそう多くない。
井戸端会議中に通りすがった隣の奥様に話しかけるような問いかけに、蓮田は、
「……今朝、近くの田んぼの水門が壊されとったらしいんだ」
「……水門、ですか?」
……水門ってなんだ?
聞き馴染みのない言葉に新堂は首を傾げる。身に覚えがないけれど、蓮田の表情からして重要なものであるようだと推測できたが、身に覚えもなければ場所も分からない。
近いイメージとしてダムが思い浮かんでいた。それが決壊となれば悲惨な状況は免れない。ふと隣を見ると悠長に味噌汁を
……あ!
まさかと一瞬固まるが、顔にも態度にも出さないのは勤め人になって顔の裏表の使い方が上手くなったから、気付いたのは舞から香る独特な臭い、寝静まった後抜け出すことなど容易く水場へ向かったのではないかという憶測だった。
気のせいかもしれない、水の臭いだってそういう体臭という可能性もある、何よりその憶測を口にすれば蓮田の感情が荒れることを危惧して新堂は心の内に留めるしか無かった。
結果、間抜けた顔で蓮田を見つめていると、根負けしたようなため息の後、
「……知らないならいいんだ。被害も木板が壊された程度だったしな。ただ近くにあった踏み荒らした跡がどうやら人間のものでも野生動物のものでもないらしい」
「それって――」
「ああ、ダンジョンから出てきたものじゃないかとな」
御老人はそう嘆いていた。
モンスターが外へ出た、と聞いても新堂に焦りはなかった。
本格的にそれが始まるのは肥大期から、雑木林のダンジョンはまだそのひとつ手前とはいえ、洞窟状のダンジョン内は食料に乏しく弱いモンスターが外へ出てくることは稀にある、危険視しないのはその殆どが成果を持って蟻のように巣穴へと戻るからだ。
しかし兆候であることに間違いはなく、たまたま居合わせれば襲われることもあろう、今回雑木林を抜けた先までモンスターが現れたという事実が重要で、味をしめたものが群れとなって出てくるとなれば間引きする他ない。
奇しくも訪れた交渉の機会に新堂は思わずほころぶ頬を隠すように味噌汁を啜る。ヘルプで来ているとはいえ成果をあげられるならそれに越したことはなく、何よりどうせ無理だろうと考えている会社の連中の鼻をあかせると思うと胸がすくようで、
「蓮田さん」
舞に口火を切られるなどと夢にも思わず、口からお椀の中身が零れ落ちた。
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