トレーニング

 なんだか最近はちらちら人に見られている気がする。

 フェクトはロードワークを行いながらふと思った。借りているアパートから約三キロ離れている公園に行って休憩し、公園の坂道をダッシュで往復してから、また休憩、そして最後は家に戻る。


 というのを朝のルーティーンにしている。


 八時から十時を目安に行っているのと住宅街を走るのでさほど人と遭遇する場面は少ないが、それでもすれ違う人に長めに見つめられている気がする。


 最初は気のせいかと思ったが、どうやらそうではないらしい。小学生に「フェクトだよ、本物」とこそこそ話をしているところを聞いてしまったからだ。


 心当たりといえば、先日上がったバミィの動画しかない。


(いろんな人がみるんだなぁ)


 子どもまで知ってるとは思わなかった。


 公園までたどり着き、椅子に座って休憩をする。トレーニングは過酷すぎると体を壊す。ましてや朝なので軽めに済ませておく。


「おわ」


 軽くシーカーズのアプリを確認するとオファーのメールが来ていた。最初は協会を仲介するため、協会からのメールではあるのだが、テレビ局やインフルエンサーの名前らしきものがズラッと並んでいる。興味があるものがあればそれを協会に伝えて直接やり取りが開始される。


 お断りの返信をする。


 先日バミィから動画の使用許諾をメディアがほしがったときは、メディアがフェクトの許可を得てから考えると伝えておくとメッセージが来たのでその関連だろう。


 やり取りが面倒だ。


 休憩を終わらせて坂道のダッシュをしてから家に帰ることにした。







 月明ジム。

 近所にあるボクシングジムである。中に入るとボクシングの選手たちがサンドバッグを叩いたり、シャドーをしていたり、シャドーボクシングをしている。


「もっと足動かせ!」


 鋭い声やパンチの音が響く中、ひとりのトレーナーが顔を向ける。口の端を片方だけ上げて、笑みを浮かべる。好戦的なものだった。


 茶髪のポニーテールが特徴の女性だった。目つきが鋭く、体幹がしっかりしていて姿勢が良く、身長も170ほどはある。


 月明つきあけ 勇希ゆうき。このジムのトレーナーのひとりだ。ジムの会長の娘で元プロのボクサーだったが、今は引退している。


 勇希目当てで入会する人もいるらしい。というのも、身体強化系のスキルが蔓延りがちな格闘技業界の中で「観察」のスキルでフェザー級の世界チャンピオンになったからだ。身体能力上の差は大きいのだが、文字通りテクニックで全てねじ伏せた女性だ。的確なアドバイスと容姿の良さも相まってフィットネスコースの女性客にも人気らしい。


「来たかバズり男」


 からかうようにいってくる勇希。

 フェクトの契約はフィットネスコースだ。ボクシング選手を目指しているわけではない。


「バズってるんです?」

「二十万再生はバズりだろう。まだ動画投稿から三日くらいだぞ」


 こつんと胸を叩かれる。


「げぇ!? 二十万もいったんですか」

「知らなかったのか。まぁ興味なさそうだからな」

「はい! ないです」


 呆れた顔が返ってきた。


「はっきり言うな。情報収集も大事だぞ。これからモテたりするかもしれないしな」


 このこの〜、と脇腹を肘で突かれる。


「いや〜一発ネタですよ。あんまモテても嬉しくないというか」

「じゃあ、嬉しいご褒美をあげよう」


 目つきが鋭くなる。


「着替えてウォームアップしろ。スパーリングの相手をしてやる」


 トレーナー自らスパーリングはほとんどない。というかフィットネスコースのフェクトにはスパーリングは組まれない。ミット打ちの相手を勇希がするだけでも喜ばしいのに、スパーリングとはいえ戦って良いのだろうかと思ってしまう。


「え、いいんです?」

「エフェクトを使ってもいいぞ。叩き潰してやるからな」

「いやたぶんみんな気が散るのでやめときます」


 苦笑いをしながら更衣室に向かった。







 拳が飛ぶ。


「防御が甘い!」


 フェクトはリング上で勇希にガードを崩されて、顔に拳を叩き込まれる。

 受けながらジャブを放つが空を切る。距離をとられ、軽やかなステップでこちらの動きを読み込まれる。


 パンチのやり方などの矯正をここで行っている。やはりひとりでは限界がある。他の格闘技は独学だが、入会してからボクシングだけは例外になった。ここでなら正しい殴り方、急所への攻撃の潜り込ませ方、ガード等多くのことを学べる。


 ――そして何より、


「遅い!」


 クロスカウンターで拳を入れられ、倒れる。


 ――勇希が強すぎるモンスターだ


 強い相手と戦うのは楽しい。ボクシングという土俵でなければフェクトにも勝機があるが、ボクシングであれば勇希に勝てる人間はいないだろう。


 何せ男のプロボクサーでも負けるくらいなのだ。


「もっと脇を締めろ。相手の動きをよく見ることだ。ガードを崩されそうならゴリ押さずに流せ」

「ありがとうございました」


 シーカーはプロの格闘技選手にはなれない。モンスター相手に身体能力が追いついている体は単純に試合として成立しない可能性が高くなるからだ。


 ダンジョンに潜っている方が、身体能力は上がりやすい。ダンジョンのほうが魔力が空気に馴染んでおり、そして魔力は生物の身体能力を上げる。モンスターが強いのはダンジョンに魔力が満ちているから、というのもある。


 勇希は若干息が上がっているが、フェクトはけろっとしている。気分としては小突かれた程度だ。


 真剣に戦い続けたら身体能力の差でフェクトが必ず勝つ――とは言い切れないのが元世界チャンピオン勇希なのだが、まぁ他のプロを相手にすれば基本的にフェクトが勝つのだ。


 フェクト自身、それは楽しくないし、カッコいいことだと思えない。


 だからフェクトの目的はボクシングで誰かに勝つだとか、そういうものではなく、ボクシングを通して技術、精神を学ぶことだ。その面で勇希は非常に頼りになる存在だった。


 フェクトはスパーリングを終え、一時間ほどトレーニングをしてから帰った。

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