🔮パープル式部一代記・第七十五話

 あの日、あの裳着もぎの日、賢子かたこの後見役となる腰結役こしゆいやくは道長の命により大江匡衡おおのまさひら、メロス・匡衡まさひらと決まっていた。


 そして当日は道長の顔色をうかがって、あるいは興味本位で出した公卿や貴族からの祝詞を携えた使者が次々に到着し、祖父の藤原為時ふじわらのためときは、目を白黒させながらも実に真面目一筋、そんな誠実な対応を忙しく繰り返していた。


 儀式は母屋で粛々と行われ、廂には祝いとして贈られてきた数々の品が並んでいた。(もちろん実資さねすけが送った豪華な和鏡もあった)


 裳着もぎは、深夜、亥の刻から子の刻(午後九時~午前一時)のあたりに行われる行事であるため、母屋の外、御簾の向こうにある、簀子すのこと呼ばれる板の間に並ぶ公卿や貴族たちからの使者には様々な酒食が振る舞われ、紫式部が例の『とりかへばやものがたり』の儲けで値切りに根切り、なんとか雇った楽人たちの演奏が聞こえる中、華やかな宴会が催されていた。


 祝詞を述べに参上した使者には「鬼の代筆屋」の腕を活かして、「道長の筆の跡」を偽造した紫式部が書いた、ひと言メッセージと共に、「ろく」と呼ばれるあしぎぬ(絹織物)や装束など、こちらも紫式部が、最近、爆速で書いている『親子で読める源氏物語』の儲けでひねり出し、大納言の君がツテをたどって、道長の名前を出して格安でゲット。なんとか相当の物を数だけ用意していた。ようは引き出物である。


 賢子かたこは、秋の紅葉を思わせるかさねの色目に、七宝しっぽう柄の浮かぶ、中宮・彰子あきこさまの名でたまわった裳唐衣もからぎぬ十二単じゅうにひとえを着ていた。賢子かたこの背後にいた紫式部も賢子かたこに合わせた色のかさねの唐衣であるが、雲立涌くもたてわくと呼ばれる水蒸気が立ち上る様子を抽象化させた立涌柄に雲を組みあわせた柄行きの墨が装束を着ている。


 やがてメロス・匡衡まさひらは、少し緊張した面持ちで賢子かたこの前に現れる。


 メロスは男性であるので女房が代わりをつとめ、彼は、裳を腰にあてる役をしていた。


 幾重にも秋の色目が織り施された、装束は賢子かたこによく似あっていた。しかし、小規模ながら余りにも儀式が華やかなので、内心、母の懐具合ふところぐあいを心配してはいたが、正式に朝廷からのお給料に、モグリの儲けの『とりかへばや』そして、でき高払いの源氏物語も、『親子で~』が出版され出して重版につぐ重版を重ねながら絶賛発売中だったので、道長にはそれも先に支払ってもらいなんとかなっていた。


 さすが、平安一の売れっ子大作家である。


 そんなこんなで、まあとにかく無事に儀式は終わったのであった。


 小式部内侍こしきぶのないしをはじめとした藤壺の女房たちや、元、山吹子やまぶきこのような親しい知りあいの女君たちも、可愛い賢子かたこの祝いにと次々に押し寄せていたので、しばらくの間、小さいながらも瀟洒しょうしゃな屋敷はギッチギチであったという。


賢子かたこちゃん、おめでとう!」

「おめでとう賢子かたこちゃん!」


「ありがとうございます!」


 特別なときにだけ繰り出される、「山吹子やまぶきこスマイル・エクストラ・スペシャル」の笑顔を浮かべている賢子かたこに、みなは見とれていた。


「ゆかりのヤツ、俺の名前を勝手に……」

「殿……?」

「なんでもない……今日も一段と月も倫子みちこも美しいな……」

「まっ! 殿ったら!」


 真夜中に道長は、ひとりでボンヤリ考えごとをしてからニヤリと笑っていた。


 そう、彼は気づいたのだ。ゆかりが道長の名を使うことで、自分に愛娘の人生を、自分の人生のすべての行く末という名のチップを、オールインしたことを……。


「ますます負けられんな……俺がとらなきゃ、健気な賢子かたこの人生があっけなく真っ逆さまか……ま、ゆかりのヤツはしなびた青菜を食ってりゃいいが……ビシッと見せつけてやるよ、俺はお前みたいなじゃね――からな……お前は変わってはいるが、見る目と分別のある女だよ……」


 月明かりが道長の獰猛な笑みを、闇に浮かび上がらせていた。


***


〈 紫式部がボーナスゲットした瀟洒しょうしゃな屋敷 〉


 賢子かたこが自分に向けてくれる和鏡を覗き込みながら、小式部内侍こしきぶのないしは必死に頑張っていた。


「こうだったかしら?」

「もう少し傾ける角度を控えめに……」


 すぐに自分の裳着もぎがある小式部内侍こしきぶのないしは、「山吹子やまぶきこスマイル・エクストラ・スペシャル」を会得しようと必死に練習していたのだ。


「なに、変な顔をしているの?」


 小式部内侍こしきぶのないしは、突然、声をかけられる。和泉式部が帰ってきたのであった。


「う、うるさいわねっ! なんで、ここにいるのよっ!? ここは、賢子かたこちゃんの実家よ!?」

「なんでって……実の娘が、裳着もぎを、ここでするって聞いたから……」

「紫式部さまに母親役を頼んでるからいい! さっさと帰って!」


 険悪な雰囲気を興味津々で見ている紫式部にあきれながら現在の義理の父、保昌やすまさが間に割って入ると、いらついている小式部内侍こしきぶのないしに少し話そうと言い、彼女を連れ出し不器用ではあるが和泉式部なりに、小式部内侍こしきぶのないしをいつも気にかけていることや、彼女の裳着もぎのために一生懸命、手を尽くしていたことをゆっくり説明していた。盗賊すら反省させて追い払う男、保昌やすまさの言葉には重みと説得力があった。


「……あなたは、あの母のどこがいい訳? いつ、どこに行っちゃうか分かんない女よ?」

「大丈夫。これからは、俺がしっかり見守っているから。まあ、地方にいるから、たまにしか会えないとは思うけれどね?」

「……捨てられなきゃいいわね」


 それから和泉式部と保昌やすまさも、「泊めてやってもいいが、せめて食費代わりに、保昌やすまささまの盗賊退治の話をひとつふたつ……妖怪だっけ? なにせ情報があやふやで……」なんて、いつもの珍妙な装束へ戻っている筆と紙を持った根暗顔の紫式部に、顔をあわせるたびににじり寄られながらこの屋敷で寝泊まりし、多少ではあるが母と娘は、わだかまりが溶けてゆく。


「話がおもしろすぎて、続きが気になってしまい……すみません。お邪魔しました……また、明日にします……」


 深夜にまでを受けた保昌やすまさは、盗賊より怖い……などと思っていたし、和泉式部は例の釵子さいしを投げていた。


『カンッ!』


 紫式部は釵子さいしで跳ね飛ばしていた。

 彼女は、以前よりも腕を上げていたのである。


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