🔮パープル式部一代記・第七十四話

 この先、紫式部をはじめ多くの人生は史実から遠く沖へと流されてゆく。


 『小式部内侍こしきぶのないし』は、無印・なんちゃって内侍ないしであったが、賢子かたこと仲良しだと聞いた帝が、「そちらも一緒に」なんて言い出しので、正式に掌侍ないしのじょうという肩書を早くも手に入れる。


 そんな彼女は、賢子かたこのすぐあとに裳着もぎを行う予定になっていたが、相変わらずこじらせていた。


「え? うちの母を呼ぶ? 別に……また、イワシ柄の反物を送られても困りますし……」


 なんて言って、『無印・紫式部』に、付き添い 兼 腰結い役、つまり後見人を頼んでいた。


「え? でも、わたし無印だから……」

「でもでも大作家なのに無印なのがおかしいんです! いいんです!」


***


「とか、なんとかでさ……バカさま、いいと思う? 常識的にはどう?」


 なんて、紫式部は、ひょっこり床下から道長の仕事部屋へ顔を出して、いつも通りの暗い顔ではあるが珍しく常識について相談していた。激務の道長は、うちの床にまで穴開けやがって! なんて思いながら歯を食いしばって考える。


「…………」


 そして、ついに、ついに本当についでではあるが、そのときは、そう、そのときは突然やってきた。


「……これが最後、あとはもう俺は本当に知らんぞ! この際だから紫式部、お前をの“権・式部卿”(正四位・下)にしてやるよ! なら、小式部内侍こしきぶのないし裳着もぎ格好がつくだろ! ったく! お前が全部しきってやれ! 特別だからなっ! 非常事態宣言して官位をもぎ取ってきてやるよ!」

「え……いいの? ほんとに?」

「手が足りなきゃメロスも使え! いいから二度と俺の部屋の床に穴を開けるなよ!」

「分かった……」


 道長は、紫式部ことゆかりは無印でいいやと思っていたのだが、激務に湧き上がった騒動に寝不足がたたり、いらつきすぎて、「これは世界に残る文学! 女叙位にょじょいにかけるまでもなく、いますぐに!」などと職権乱用をして、あおりを受けたメロスは里内裏の土御門殿つちみかどどの、道長のやかたから書類を持って、大内裏へゆくと、各方面の省庁の間を走り回っていた。


 そう、表向きの理由は道長の横暴で……。


 実は、道長はこのあとから先は、娘の中宮・彰子あきこを柱とした、血で血を洗う権力闘争がはじまるのを、おのが目的のために闇に向かってひた走る未来を、確実に予測していた。ゆえに、下手に官位を与えてを宮中の騒動に巻き込みたくなかったのである。


 考えた彼は、ゆかりの身の安全のために、与えた屋敷での在宅勤務へと彼女の立ち位置を切り替えて内裏への常時出仕を止めた。


「あいつの書く物語は、俺の大切な人脈つなぎのみなもとだからな……」


 彼女のご行状を知る公卿たちは公卿たちで、「家にいてもらった方が助かるよ。物語の才能は認めるし、その方がいいんじゃない?」と賛成し、後日、帝も、まあ物語さえ書いていてくれればと、『権・紫式部卿』への就任許可の裁可を下すことにしていた。


 そして帝は道長との長いやり取りの末、ようやく成長した彰子あきこを自分の寝所、夜御座よるみざへ呼ぶ生活をはじめていた。

道長さえいなければ……帝はそう思いながらも土御門殿つちみかどどのからようやく引っ越して、彰子あきこと仲睦まじくも短い時間を過ごすようになる。


 そう、その幸せなひと時と引き換えに、彼の帝としての治世は終焉しゅうえんへのカウントダウンが、遂にはじまってしまった。


***


〈 土御門殿つちみかどどの 〉


 道長は女房へ告げる。


安倍晴明あべのはるあきを呼べ!」


 彰子あきこは身ごもる前から皇子を産むための、あの金色の粒を飲んでおり、それがいよいよ発動しようとしていた。安倍晴明あべのはるあきはすぐさまやってくる。


金色の粒アレは、もう在庫がありませんので、ラフレシアさまの分はありませんが……」

「しかたねえな……まあ、願掛けみたいなモンだが……期待しているぞ……」

「ははは、ご心配性なことで……お珍しい……」

「伸るか反るかの大勝負だ。当たり前だろ? そのために、までかけて、吉野で山登り……御嶽詣みたけもうでまでしたんだからな!」

「確かに……」


***


 そんな訳で無印・紫式部は史実とは違うが表向きはまさに棚ぼたで転がり込んできた官位、『権・式部卿』の地位を手にした。


 なお、『権』は、名誉職風の意味合いがあり、ちゃんとした式部卿よりは少し格落ちであるが、やはり根暗のゆかりは父を飛び超えていた。


 先のの人生にそれでなにかが変わったのかと言えば、特には変わらなかったのではあるが、紫式部、正式名称、『権・式部卿』は、いつでも堂々と内裏を出入りできる身分になったのである。そう……真夜中でも……。


 紫式部の奇行を知る殿上人たちは、あとでその可能性を思い出し、いつ自分が突撃取材を受ける身に……などと恐怖し、たまに真夜中に床板が音を立てると、「きつと、あの地獄の根暗が、紫式部が床板剥がして参内してるっ!」なんて騒いでいたという。


***


「お初におめもじいたします……比類なき才を誇り道長さまに一本釣りされたいつでも絶好調の作家、紫式部と申します……」

「出た! とうとうきたよ! 突撃取材!」

ではありますがまったく作家一個人として伺っております……」

「あ、やっぱり言ってるよ。言い逃れ……現場百篇げんばひゃっぺん、あちらこちらで聞き込みをせねば、そうそう血の通った物語は生み出せぬ物でございまして……って、言うんだろう!?」

「おや、よくご存じで……」

「ちゃんと、床の上を歩いて参内しろよっ!」


 そんな風に嫌がりながらも、日々の権力闘争に疲れ切っている殿上人たちは、紫式部が顔を出すのを、なんとなく楽しみにしていた。


「昨日さ、ひょっこり出たよ! 地獄の根暗が!」


***


 そんな母の娘、藤原賢子ふじわらのかたこは、のちに大弐三位だいにのさんみ、従三位、公卿たちと同列の地位まで史実でも登りつめることなるが、この物語に住む、未来の彼女が思い出す一番素敵な思い出は、母の紫式部が自分の裳着もぎで、いつもの様子とはまるで違いそれはそれは美しくしとやかな姿を見せて、自分の横で付き添ってくれていたことであった。


 のちに紫式部へ道長がつけたあだ名は『化けゆかり』であったが、生地(自分)を整えない乱れた生活習慣を改めて、ちゃんと? 食生活と睡眠の質を整えれば、彼女は中々に美しい涼やかな目元のはんなりとしたおなごだった。


 そう、紫式部も万年モテ期と言われた伝説の男、宣孝のぶたかの親戚なのである。


 本人にその気がないので『化けゆかり』は、しばらくすると、やはり髪を振り乱し、墨を飛ばす勢いで絶賛執筆中……そんな元通りの散々な有様だったが……。


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