🔮パープル式部一代記・第七十一話

 案の定、実資さねすけが思った通り、賢子かたこは、はじめは驚きしばらくとまどっていたが、きゅっと唇をかみしめてから思い切ったように口を開いていた。


「あ、あの……母が、最近体調を崩しており、安倍晴明あべのはるあきさまに生霊を退治していただいて治ったのはよいのですが支払いが……左大臣さまに立て替えていただいたそうなのですが、そのような場合は一体のものかと……母はなにも言わずに、ただ、がむしゃらに作品を執筆……わたくしめもささやかながら助けになりたいと……しかしながら、わたくしめにはまるで雲を掴むような話……お恥ずかしながら、それは、い、一体、のものか、お教え願えませんでしょうか?」

賢子かたこ……」


 ぽろりと涙をこぼす賢子かたこと、それからもひと言ふた言の会話を交わしてから贅を尽くした品のある牛車に乗り込んだ実資さねすけは、無言のまま怒り心頭! そんな様子でイライラと扇子を牛車の中で振り回していた。


「道長め! 左大臣という大きな役職でありながら、おのれの大切な家臣である……まあ、かなり変わっているが、いや、それでも、おのれの名声を大いに高めるのに役立てている、しかも子を抱えて必死に働いてきた未亡人の命を救う代金すら支払わぬとはっ! それが為政いせい為政しせいつかさどる者のすることかっ!」


 結果、紫式部の居らぬ間に翌日、今現在は里内裏となっている土御門殿つちみかどどので開かれている最高会議、陣定じんのさだめに顔を出した実資さねすけに道長は、陣定じんのさだめが終わった瞬間、誰も立たぬうちに、大声を浴びせられていたのである。


! 臣下は君主を君主として仕え、君主は臣下を臣下として扱い、子は父を父として仕え、父は子を子として扱うのが政治の肝要ぞ! これは言わずもがなこの場にいる者が知っているはずの言葉ではあるが最近の公卿ときたら……それと言うのも、そもそも一事が万事、上に立つ左大臣の日頃のうんぬんかんぬん……うわさによると主人のせいで業を背負った貧しい使用人から治療費を取り立てるような浅ましき、グチグチグチグチ……紫式部がそもそも生霊に……左大臣ともあろうものが……くどくどくどくど……それにつけても……聞けばそもそも、もひとつくどくど……」


「これは長引くぞ……久しぶりの実資さねすけが開幕してしまった……道長がなにしたってか?」

「はじまったよ……もう、誰にも止められないね……」

「紫式部がどうしたって? 安くこきつかってたの? え? その上、完璧美少女、あの賢子かたこちゃんの朝廷からのお給料もお召し上げ? なんで? 鬼かあいつは……」


 そんな感じで、道長は延々と真正面から説教をされて、周囲の公卿たちがひそひそしながら投げる興味津々といった視線が突き刺さる中、かなり立ってからようやくなんとか実資さねすけの息継ぎの隙間を狙い素早く返事を挟む。


「いや、その、ざ、戯言ざれごと! ただの戯言ざれごとを幼い女童めわらが真に受けただけ!」

「そう、それはそうでしょうな! 天下の左大臣が、まさか引退した陰陽師への支払いすら困窮しているなどと驚愕きょうがくいたしましてなっ! それならいっそのこと母子共々我が家で雇い入れ……それからついでにぐちぐちくどくど……」


「まだ続くぞ……おい、膝が痛くなってきた……あとのにひびく……今日こそ本気出そうと思ってんのにさ……」

「俺も……早く蹴鞠しようよ……誰でもいいから……このままじゃ日が暮れるぞ。早く道長なんとかしろよ……」


 そんな風に、おおやけの場で話が広がりゆき不満が立ちこめる中、「この頑固親父が変な口挟みやがって! ただの遊びじゃねーか! ネタばれ楽しみにからかってただけなのにっ!」なんて道長は思いながら、少し離れたところでその日は随分前に、「あとで本気の蹴鞠しよう!」なんて実資さねすけから言われて、なにがなんだかと思いながら延々と控えていた実資さねすけの蹴鞠仲間でもあり、道長とも親しいメロス・匡衡まさひらに声を投げる。


「あ、すぐに賢子かたこ戯言ざれごとだって言ってきて! 陰陽師のことは、なにも心配しなくていいって、いますぐに言ってきてくれっ! 収拾がつかん!」

「え!? は、はい!」


 いきなりの命にあせったメロスは、今度は土御門殿つちみかどどの渡殿わたどの(廊下)を脇目も振らずに走っていた。


賢子かたこちゃん、紫式部の生霊の件は支払わなくっていいって! 大丈夫!」

「…………」

賢子かたこちゃん?」


 メロス、今度はちゃんと間にあったのだが、安心した賢子かたこが気絶していたのである。


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