🔮パープル式部一代記・第六十五話

 紫式部ことは、もうなん年前に帰ったのかも忘れるくらい、久々に実家……といっても誰も住んでいない空き家へ牛車に乗せられ帰る。


「こんなヤツなんて戸板で十分なのにな!」


 そんなことを言っている和泉式部の夫の藤原保昌ふじわらのやすまさと一緒に。


 ゆかりが実家で静養すると聞いた道長が、家司けいし保昌やすまさ以下、家政を担当する者たちを集めて、「これ、紫式部の取説。一応、うちの大事な専属作家だからなん人か下働きとだれか腕の立つのも一応つけといてくれ!」なんて言われ、「取説? なにそれ?」などと、あまり事情が分かっていなかった保昌やすまさが、「腕の立つ者……警備のさむらいでいいのでは?」なんて思いながら振り向くと誰もいなかったのである。


 保昌やすまさが逃げ遅れたと気づいたときにはもう遅く、「母君を母君をどうかどうかお願いいたします……これ、精いっぱいの用意できる御礼で……」なんて、どこから現れたのかそれは美しくも愛らしい、まるで空から舞い降りたような女童めわら賢子かたこ)にイワシ柄の寝間着らしき物を手渡されてしまい、ぽろぽろと涙をこぼされていたので、「あ、うん……大丈夫……母君はお守りするから心配しなくていいから……」なんて、つい返事をしてしまったのである。


『……この柄はどこかで見たような? はて?』


「あんなだから、お前にそそのかされて紫宸殿の梅の枝を折っちゃうんだよ……」

「なにか言った? 保昌やすまさは子どもに優しいのよ!」


 その会話は、和泉式部の特別講座を和泉式部のうしろ、屏風の裏で中宮・彰子あきこさまに、「え――っと、いまの言葉にはですねのとのをかけておりましてその心は!」「なるほど――」なんて、一晩中生でヒソヒソ実況解説してすっかりうんざりしている伊勢大輔いせのたいふと、「やっぱり保昌やすまさが一番かな……」なんて思いながら、押し寄せたイワシならぬ元カレたちにせっせと、「残念ながらお断りです」そんな意味を含ませた、これまたさすがと唸るしかないふみを、彰子あきこさまに見せながら書き散らしていた和泉式部本人であった。


「あら、小式部内侍こしきぶのないしどうしたの?」

「別に……呆れてるだけ……うちの母ときたらってね。わたしも賢子かたこちゃんの家に行ってくるから」

「あ、そっか、あなたは紫式部のお付きだっけ?」

「そうよ! 変な人でも賢子かたこちゃんの母君はずっと賢子かたこちゃんの父君を大切に思う素晴らしい方よね!」


 こちらの母と娘には季節同様に寒風が吹き荒れていた。


 そして女車と呼ばれる牛車に揺られていた紫式部は、その日は体調がよくもなく悪くもなくで、「あれ? 保昌やすまさ……藤原保昌ふじわらのやすまさ……どこかで聞いたような……あっ! 妖怪退治の!?」


 なんて、本当は盗賊退治なのだけれど中途半端に思い出し、あまりネタには関係なさそうだけど一応聞いてみようと思ったが、ちょうど、ちっちゃな自分の空き家についていた。


「やれやれどんなに荒れ果てているかと思っていたら……意外にも大丈夫だった……」

「お前が帰るってなってから道長さまに頼まれて、業者に手入れさせたんだよ……お前の父親、藤原為時ふじわらのためときって大国の国守だろ? なんで、京の家くらい最低限の手入れしていないんだよ? 任期制だろ? 帰ってくるんだろ?」

「たぶん稼ぎは全額学術関係に投げ入れてる……学者バカだから……ちょっと変わり者でさ。まあ、いい人間なんだけどね……」


 そう言って、いつもジメジメした女ではあるが体調の不安定さで、更に陰鬱な雰囲気を漂わせている紫式部は、ちっちゃい家にある御簾の中へ保昌やすまさに担ぎ込まれて、衾(掛け布団)を被って体調のよい日は、「記憶力のよさが怖い……」なんて言いながらまとめてなん日分もの日記を書いて、体調の悪い日は、ひたすら一日中御簾内みすうちで転がって高熱を出しては、ぜーぜー言っていた。


「基本、好きにさせておけ。青菜はたっぷりやれ。出歩き癖に要注意……とは書いてあるが出歩く元気もなさそうな……まあアイツ(紫式部)はどうでもいいケド、けなげな娘の賢子かたこちゃんにはどう言ったものか……医者も、ただの風邪とか言ってるけど……それにしても……」


 そして、自宅に帰ってはや年末も押し迫る頃であった。夜の暗がりからぼんやりと男のものらしき怪しげな人影が、ちっちゃな家に近づいてきたのは……。

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