🔮パープル式部一代記・第六十六話

 怪しげな人影は、どんどん近づいてくる。この家に入ってこようとする意思は、最早明白であった。


「えっ!? 男が通ってきた!? そんなの取説に書いていないし、あり得そうにもない! やはり強盗か!?」


 保昌やすまさが、紫式部の取説に、素早く目を走らせて、どうしたものかと思いながら、取りあえず役に立ちそうな男手は自分だけ……やれやれと、様子をうかがっていると、和泉式部の冷淡な娘、小式部内侍こしきぶのないしが顔を出して、「あ、ひょっとして、あのときの!?」なんて、自分を無視して、愛想よくさっさと、怪しげな人影を案内していた。


「知りあい……?」


 影は、やがてぼんやりと正体を現し、しわがれた声を出しながら、御簾内みすうちに声をかけて、中へと消えていた。


「悪しき気が漂っておる……久しいな、……」


 そんな声が聞こえたかと思えば、すぐになにかを詠唱する声が聞こえ、あたりが一瞬、煌々とした光に包まれ、思わず眩しさから目を逸らし、なんとか気を取り直して、抜刀した刀を手に、紫式部のいる御簾内みすうちに入ると、「あ……このは大丈夫だから……」紫式部は、そんなことを言い残し、コトリと眠ってしまう。


「田舎者だから、ご高名を知らないんですよ……」


 保昌やすまさは、小式部内侍こしきぶのないしに、そんなことを言われながら、『変なじじい』を凝視していた。


「変なじじいではなく、安倍晴明あべのはるあき、最終官位、従四位だから……日本書記の件でやってきてみたら……明らかにおかしいのに、なぜ誰も呪詛に気づかなかったの?」


 なんて、変なじじい……ではなく、安倍晴明あべのはるあきは、首をひねっていたが、「そういえば、普段からおかしな女だから気づかないか……」なんて納得すると、この時間なら起きてると思ったのになあと言いながら、文机ふづくえに向かって、なにか書きつけると、おびえている年老いた下働きに、「土御門殿つちみかどどのへ持って行って……」と告げていた。


「えっと……なぜ、土御門殿つちみかどどの?」


 まさかの紫式部と道長の関係を想像した保昌やすまさであったが、自称、希代の陰陽師によると、彼への報酬は、とても紫式部が払える物ではないらしい。


「わたしは、だからね……」

「はあ……」

「君が有名な和泉式部の夫か……よかったら、浮気封じの札を売ってあげてもいいよ? 効果100%……」

「えっ、本当に!? って高っ!」

「それなりのモノには、それなりの価値がいるのだよ……」


 晴明はるあきは、そんなことを言いながら、「早く治せじじい……」と、ぜーぜー言っている紫式部に、「この間の日本書紀のあれさ、思いついたんだけど、この案はどうかな?」なんて、気にせずに話しかけたりしながら、ちっちゃな家に居ついて、生かさず殺さず……そんな状態を自覚があるのかないのか? で、紫式部を見守っていた。


 そして、火災の後始末に、年末年始が重なって、道長が、超忙しかったことが災いし、かなりたってから、ようやく道長から「支払い保証状」が届き、それからすぐに、安倍晴明あべのはるあきのお陰で、元気を取り戻した紫式部は、粥を、なん回もなん回も、お代わりし、青菜をむしゃむしゃ食べてから、「じじい! お前、絶対に嫌がらせしただろ!」「そう言えば、いつかだれかに、皺首とか言われたような……」「このじじいっ!」なんて、を振り上げ、保昌やすまさに没収されていた。


(手斧)に注意ってこれか……」


 保昌やすまさは手にしたを、じっくりながめながら、取説に納得していた。


 紫式部は、生霊に取りつかれていたのである。


「しかし、かなりの耐性があるね? 普通は、もうあの世に行ってるはず……誰の生霊か知りたかったら、別料金……」

「わたしは選ばれし存在だから……あと、わたしは別に、正体は誰でもいいから、そこは道長にまかせるよ……どうするか聞いといて? この、も物語に生かさねばっ……もう少し早かったら、あの場面に生かせたのにな……」

「わかった……」


 太陽がうっかりにらまれると顔を隠すほどの、ジメついて暗い、闇に引きずり込まれるような、陰湿な瞳の輝きと情念を持つ女、紫式部は、「やはりわたしは選ばれし存在」と、自分に感動していた。

 そう、彼女は忘れていたのである。自分の被っている衾から床に転がった『豪華漆塗り螺鈿細工の祈祷済み刀子とうす』の存在を……。


 紫式部がすっかり寝込んでから、刀子とうすを見つけた晴明はるあきは、「これは凄い……なるほどなコレの加護が……」などと納得していた。


 そして保昌やすまさは、土御門殿つちみかどどのから届いた、とんでもない支払い、馬や絹地の山に驚愕する。


「替えのきかない大作家だからね!」


 巨額の支払いに、なぜか紫式部は威張っていたが、その分はあとの給料から分割払いと、保昌やすまさに告げられ、ゆでられすぎたびちゃびちゃの青菜……そんな姿になっていたという……。


 下手をすれば、親子ローンになりかねない……そんな、巨額の支払いであった。


「じじい……少しまけてくれ……」

「いやいや、もう、退官しちゃって、老い先が長そうな生活があるからね、占事略决せんじりゃっけつもまだまだ在庫が山になっているし……すまんな……」

「じじい……覚えてろよ……紙と墨を無駄遣いしやがって……わたしみたいな大作家しか、本なんて、そんなホイホイ売れるもんじゃないんだよっ!」


 じじい……史実では、既に身罷ったはずの安倍晴明あべのはるあきは、まだまだ元気に長生きしていた。


***


「電子書籍か……でも、まだ先に在庫を掃いてしまわないとね……実は、源氏物語の漢文バージョンもあるんだけど、うち、見つけにくいのかなぁ……」


 ここだけの話であるが、現代、日本の京都の片隅で、「じじい」がそんなことを言いながら、直筆の『占事略决せんじりゃっけつ』の在庫を、看板もなく、電波の届かない、そんな薄暗い、扉に小さな五芒星のシールが貼ってあるだけの古書店で、未だに売っているそうな……。

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